CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

茶味空間。

禅の旅の常連さんであるS丈から「ちゃみさんはもしかして茶味さん?」と、千宗屋著『茶味空間。』という本の存在を教えていただいた。Casa BRUTAS誌に連載されていたらしくマガジンハウス刊である。

ちゃみはニックネーム。ヨガ人となってからはこれで全面的に通しきっているので、別にかくしているわけではないがほとんどの人が本名を知らない。その昔、ちゃみという文字ヅラはちょっとかわいいので、自分のキャラに合ってないような気がして茶味と表記していたことがあった。ミクシィが流行り始めたころの話。そのころは禅はまだやっていなかったのだけど、思えば茶味が禅味とつながる「伏線」だったのかもしれない。

ちなみにこのブログのタイトルは、「茶禅一味」という言葉のもじり。「CHAZEN一味」を「CHAZEN三昧」としたら、ヨガらしくなるし、意味的にもぴったりと考えたのだった。

千利休にはその昔、たいへん興味を持って本を読んだり映画を観たりしたけれど、茶道には結局まったくご縁がつながらずじまい。惹かれるものは多々あれど、家元とかお道具拝見とかが性分に合わないので、好きだけど結婚はできないという悲恋に終わっている。

茶室というあの小さな空間にそそられる。なかでも、にじり口。あれにはやられたね。武士が刀をとって丸腰になるという発想がいいと思っていたけれど、この本によるとそれを狙ったわけではなく、実際は茶室の暗さを演出するためだったという。にじり口から入って目が慣れるまでの間、見えないだけに客は匂いや音に敏感になるからと。

小さいとき家族で六畳一間に住みたいと憧れていた私は、狭いところに妙に惹かれるのかもしれない。にじり口を初めてテレビで見たときはゾクゾクしたもの。起きて半畳寝て一畳の禅に惹かれるのも然り。

茶の湯とはただ湯をわかし茶を点ててのむばかりなることと知るべし

利休のこの言葉が好きなのは「ただ」ってところだな。
なんでも「ただ」やる。

それだけでいい。


本日のちゃみ空間。

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最後の最後まで生かす