CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

つながることの喜び

昨日「インド思想とヨガ、そして仏教」の座学クラスを終えたら、夕暮れには疲れて眠くなり今朝はアラーム鳴っても起き上がれないほどだった。どうやら「気」を使い果たしたとみえる。

つい2週間ほど前に思いついてから、今私が最も伝えたいことをどういう形で伝えるか、参加者が知りたいと思っていることは何なのか、どうやったら興味をもって聞いてもらえるか、毎日頭の中はそのことでいっぱいだった。

結果的に参加された方たちがそれぞれに楽しみ、頭の中が整理された様子が見て取れたので、その安堵感でどっと疲れが出たのかもしれない。やり切った満足感かもしれない。ふだんの座学クラスにはこれほどのエネルギーを注がないので、たまにはパワー全開で取り組むのもいいものだ。

経験や知識に関係なくすべての人に楽しんでもらえる内容を考えたら、ちゃんとヨガの未経験者から座学クラスを数年受けている方まで幅広い層の方が参加してくださったのもありがたかった。7年目の今、座学にアンテナが立っている人たちが集まってくれたのも、今後どうやってヨガ哲学や禅のクラスを進めていくかの参考になり、私にとってもたいへん有意義な時間であった。

「インド思想とヨガ」については今まで何度も話してきたが、そこに仏教を入れたのは初めての試み。参考文献を読み漁る中で、自分自身の疑問に対する答えがいくつも見つかったので、もしかしたら私がいちばん収穫を得た人だったかもしれない。

たとえば、数多くの仏教スタイルがある中で、空海真言宗チベット仏教にも心惹かれるものはあるけれど道元禅にハマった理由が、ヨーガ・スートラにつながるものだと判明したこととか。なぜクンダリニーヨーガではなく、アシュターンガヨーガにきたのかとか。なーるほどがたくさんあった。

それから、大乗仏教についてもクリアになったことが多い。
道元禅師は自ら伝える仏教について「大乗でも小乗でもない」と言われていたという話を聞いて以来ずっと、それはいったいどういうことなのだろうと疑問というか好奇心が頭の片隅から離れずにいた。どう考えても大乗でしょ?と思っていたのだけど、お釈迦さまの元の教え(原始仏教)を重視する姿勢が大乗とは一線を画すところなのかなと、道元禅師の気持ちがちょっとわかるような気がしたり。きっとそういうカテゴライズ自体を違うと思われていたのだろう。

あくまでそう感じただけで本当のところはわからないけれど、正法眼蔵を読むための基礎知識として法華経を読んでいたこともあって、なんとなく「大乗でも小乗でもない」のニュアンスがわかったような気がしたのだった。

こうしてナニカ不明だったものの正体が見えてきたり、ナニカとつながってきたときにおもしろさを感じるのではないかな。それはかかえていたモヤモヤがパッと消えて視界が開けるような感覚だと思う。

「わかった!」

というときのソレ。
きのうはそれを電球が灯るイメージで「ピッカーン!」と表現したけど、まさにつながったときに電気が流れて光るという感じ。昨日参加した人が、星覚さんの本を読んでいたら「ピッカーン!」があったと言っていた。

ソレは新しい知識を仕入れたときに来ることもあれば、あるとき突然やってくることもある。

私はよく朝練中にソレが降りてきて、感動しながら練習していたものである。このメカニズムはよくわからないのだけど、おそらく練習しているときは頭が空になるので、その空になったスペースに閃きや啓示、答えが降りてくるのではないかと推測している。ちょうど「ない!ない!」と探し物をしているときは見つからないのに、ふとしたときに出てくるようなものだ。

インド思想を学ぶ意味のひとつは、その「わかった!」を導くヒントが得られることだと思う。
私たちが行っているプラクティスの先にあるものとプラクティスそのものがつながるとモチベーションも上がるように思う。

yogaはつながることだという話も出たけれど、人と人、心と心、いろいろがつながると発揮するパワーは急上昇する。まさにクンダリニーのように。

さて、今度の日曜日は新装版のヨーガ・スートラクラス。どんなクラスになるのか楽しみだ。

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