CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

愚の如く魯の如く

ムーンデイの朝。
久しぶりにどっしりと腰を落ち着けて坐れた朝。ああ、この世俗の垢と切り離されたような夜明けの清浄さを忘れていた。ずいぶん汚れをためてしまったものだ。

次いで、世の中の喧騒にまみれる前にヨーガ・スートラのサンスクリットと向き合う。1日いちスクリット、3日でサンスクリット。パソコンで辞書を開く前に、手書きの文字だけを眺めていたら、いつもよりすっと解読が進んだ。

読みたい本が数冊出てきて図書館に予約を入れた。少しヤル気が戻ってきたかも。

犬を寝かしつけてから、?カ月ぶりのヘアカットへ。
今回もまたボッサボサのアミダばばあになってしまったので、整ったあとの気分が一段とすがすがしい。

帰りに買い物をしてくるつもりが、ガランとした街の雰囲気のせいか、お腹が空いていなかったせいか、その気にならず。地下鉄駅のホームで「スガー、シネー!」と叫ぶ若い男性の声。慢性的な病気の人というよりも、鬱憤がたまっている人の声に聞こえた。解雇させられたとか、そういう目に遭った人が、そうでもしないと収まらないとでもいう風な声に聞こえた。

田中真紀子が管政権を”安倍家の生ゴミのバケツのふた” と言っていて内心ウケてたけれど、問題は生ゴミのバケツのふたなのではなく、処理せずにためこんで腐敗した生ゴミすなわち日本の政治の構造や体質だから、首相をターゲットにしてもたぶんあまり意味はないのだろう。

悪いのはこのワタシ。
先日、世の中が悪いのは私がちゃんと坐ってないからと冗談まじりに書いたけれど、ほんとうにそうなのだと思う。私が敗北したのはシューの発作に対してではなくて、自分自身に対して。生ゴミを片付ける気力がなくて放置し続けていたからだ。そうして汚れがたまっていく。

そうやって自分のゴミには目をつぶりながら、他人のゴミには文句を言っている。そういうことなのだな。まさに「他人の噂話禁止」だ。

今年も愚直にただひたすら修行を続けるという意味で、年頭のスローガンとして書いた言葉が「宝鏡三昧」というお経の一節。

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教室の後ろに貼ってある小学生の習字みたいな「ちゃっ筆」にて


うまく解説しているサイトがないかなとググったら、灯台下暗し。星覚さんの雲水喫茶がヒットした。

unsui.net


今年もCHAZENは禅の精神でアシュタンガヨガを続けていきたいと思うております。世間的にはまさに「なんじゃそりゃー」「???」でしょうが、それこそ「愚の如く魯の如し」で、ひたすら生ゴミ処理に励むしかないのであります。それが「愚の如く魯の如し」です。