CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

楽しいなら間違いない

お盆休みの大雨降りとなった本日のスートラクラス。
参加者も少なめだから、いつもと違うことを試みてみた。ふだんは私がまず講義形式でスートラの解釈をして、最後に感想などを言ってもらうやり方をしているが、きょうはまず参加者自身が説明する立場になって考え、自分が理解していることと、わからないことを明確にしてもらうことから。

その後、新しい人から順に本日の経文についての理解と疑問を投げて、(私が答えるのではなく)先輩方にコメントしてもらうという形でキャッチボール的なやりとりを行った。いつも私が説明していることを受け身的に聞いて納得するよりも、自分で考えて何かを話すことで見えてくるものがあるのではないかと思ったからだ。

キャッチボール、想像以上にうまくいった。
新人さんたちの発言は先輩方のコメントを引き出すのに十分な内容だったし、先輩方の理解もなかなかのもので、しかもなんらかの気づきを伴ってもいた。テストをしているわけではないので、正しいことを言っているかどうかでなく、そのエクササイズを通して何を思い何に気づくかだからね。

それにしても、改めて思ったのは、何かの資格がとれるわけでも、業務上役に立つわけでもない、つまり一銭の得にもならないことによくみんな真剣に取り組んでいるなあと。ある意味達成する目標のないことを続けているという無目的性が感じられてうれしかった。「無目的」って言ったらシャバの感覚ではディスってるのかと思われそうだけど、褒め言葉ですよ。

もっと褒め言葉らしく肯定的な言葉で言えば「誰からも邪な欲を感じない」ってことかな。だからキャッチボールがいいカンジにできるのだと思う。キャッチボールは、速球投げて「どうだ受けてみろ」ってものじゃないでしょ? 相手のことを思いやりながら投げたり受けたりするわけじゃない? そういう雰囲気がCHAZENらしくていいなと思ったのよ。

あと、新しい人たちが「難しいけど楽しい♡」と言っていたことが印象的で、楽しいと思えるのは感覚的にスートラを理解しているということ。言語的に頭で理解できなくても、直感ではわかっているってことだから。「楽しい」って邪道だと思っている人もいるかもしれないけど、実はこれが正しい道。アシュタンガの朝練だって続けられるのは「楽しい」からだよね。

私はいつも毎日やれ、サボるなってけしかけているけれど、それは本当にやりたい人に対してだけ。練習が楽しくないという人には「無理して来なくてもいいよ」と言っている。それでけっこうな数の人が本当に来なくなったしさ。そうやって淘汰されているから楽しい人ばかりが残っている。

アシュタンガの練習は歯を食いしばってやるようなものではない。楽しくない人にとっては、本当の意味で何の役にもたたない、時間の無駄遣いでしかないのよ。もちろん、長く続けていると何らかの事情で楽しくないときもあるけれど、その先にある楽しさがわかっているならそこは乗り越えられるはず。

スートラも然り。
楽しくなければ無理して参加しなくていい。

......とは言いながら、11月から新しく第1章から学ぶクラスを始めることにしたので、今までに途中で挫折した経験のある方、新たにヨーガ・スートラについての学びを始めたい方は、ぜひこの機会をお見逃しなく。

現行のクラスは9月と10月のあと2回で一旦終了し、第4章は不定期開講で続行していくつもりです。詳細は近くまた改めてご案内します。


きょうのおやつはS子の手作りバナナケーキ。

f:id:chazenyoga:20210815203200j:plain
しっとりふわふわでウマウマ