CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

共振作用でパワースポット化

本日こそ、新しいギータークラスの第1回目。
第3章にはヨーガ・スートラにつながる形而上学的な哲学理論がちらっと出てくるので、毎年最初の洗礼としてちょっと難解な用語を使って説明しているのだが、受講生の目が半開きになったり、うつむいたり、次から来なくなったり(!)する現象がみられる。

それが、今年は初めての方も眠そうではないし、聞いてみてもさほど難しいとは感じていないみたいなのだ。

年を経るごとにどんどん通りがよくなっていくように感じるのは、CHAZENの場が成熟してきたからだと思う。周りの人が理解していると初めての人にもそのエネルギーが伝わって理解を促す「共振」のような作用があるのではないかとみている。

CHAZEN初のギータークラスに受講していた人が「最初読んだときはぜんぜんわからなかった」のは、そういうエネルギーの恩恵がなかったのだと思う。これはアシュタンガの朝練でも言えることだけれど、練習している人のエネルギーというのは場の全体に伝わるもの。

しかしながら、まったく違う周波の人にはこの現象はみられないのだから、今のCHAZENには同じ周波数を持った人たちが集まっているといえる。というよりも、一緒に練習しているうちに周波数がそろってくるのかもしれない。

うふ。なんかステキ。

アシュタンガの練習も、坐禅も、理論の学びも、ひとりよりはみんなでやる方が発揮する力も継続する力も大きくなる。アシュタンガも坐禅もそれぞれが自分のペースで個々に練習しているのに、全体のエネルギーは総和されて大きくなる。

特にマイソールクラスは好きな時間に来て勝手に自分の練習をしているだけで、何の共同作業もしてないし、意思疎通も必要ない。にもかかわらず相互に影響し合っているのだから不思議だ。

逆に、練習の場を共有していないと何か伝わりきらないものがあると最近とみに思う。
言葉だけでは伝わらない。それは毎日CHAZENに来ていればおのずと伝わることが共有されていないからなのだと思う。練習生は毎日、練習の場に充満するナニカを身体でキャッチし、私の態度や振る舞いに表れるナニカを無意識のうちに感じている。

そして、これもまた伝わる速度が早くなっているような気がするのだ。
従来は3年くらいCHAZENで練習しているとなんとなく伝わっていたことが、最近は1年で伝わっている。個人差もあるけれど、やはりこれも全体が醸す雰囲気によって、ソッコー理解してもらえるのではないかと睨んでいる。


ところで、今日は、今年に入って座学を始めた、あるいは継続している人たちの運気がめぐり始めているのを実感した。

今日読んだギーターの詩句の中に何度も「相対から離れなさい」ということが出てきたけれど、幸も不幸も同じように引き受けることができれば、「不幸」はその人にとって存在しなくなる。ものごとを「良いか悪いか」「好きか嫌いか」「快か不快か」で判断する習慣を手放すことができれば心はいつも安らいでいられる。

そこらのパワースポットに行って満足しているよりも、CHAZENで朝練&座学したほうが間違いなく運気はめぐります(断言)。

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パワースポットCHAZEN