CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

気づきのヨーガ・スートラ

再開後2回目のヨーガ・スートラクラスは、八支則のパートが終わって難しいインド哲学のパートに入りました。学問的な読み方をしたらおそらく9割の人は眠るか、頭の中が混乱するだけで終わってしまうであろうとみて、そこには深く踏み込まないことにしました(チラッと予告編的に口にしてみたりはしましたが)。それを知識として知ることにたいした意味はないからです。

それよりも重要なのは、なぜプラクティス(あるいは修行)が大事なのか、プラクティスをしたらどうなるのか、どこをめざしてプラクティスをすべきなのか、です。そのためにサーンキャの二元論については知っておいたほうがいいですから、第二章で学んだことの復習から始めました。今回初めてこの話を聞く人もいるので、サーンキャとは......というところまで遡ってから、現象界がどのように転変したかについてざっとふりかえってみました。

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師匠は爆睡......いえ、深い瞑想に入っておられます


もうひとつは、前回話題になったサンスカーラについて。
どうやらサンスカーラに対して誤解していた人も見受けられましたが、今日の話ですっきり明快になったようです。このあたりは単純にわかるとおもしろいばかりか、日々のあれこれをサンスカーラに絡めて考えるといろいろが楽しくなります。

毎回お茶を飲みながら、その日の講義内容や実修について気づいたことをシェアしていただく「気づきのシェアタイム」があるのですが、これがまさにその人の気づきが今どこにあるのかがわかって、私にはたいへん興味深いのです。正しく理解したかどうかというよりも、その人が何を見て、あるいはどっちを向いて練習をしているのかがわかるからです。

以前は、何か言わなくてはいけないから仕方なくありきたりの言葉を並べていた人が、自分ではっきりと気づいて自分の言葉として話しているのを見ると、心の中でよっしゃあ!と手を叩いて喜んでいます。

何を理解したのかではなく、何がハラに落ちていったのかが重要です。同じ話をしてもハッと気づくことは人それぞれ違いますし、何も気づかない人もいます。座学で学ぶことの醍醐味は、今までバラバラだったその気づきが整理統合されてハラに落ちていくことにあると思います。日々の生活の中で、あるいはアシュタンガの練習の中で感じたことがつながったときに、その気づきのパワーはより強力なものとなって自己の基礎(土台)を形成していくような気がします。

来月(8月30日)は今回の続きになりますので、どうぞお楽しみに。
ヨーガ・スートラの内容がどんなに難しくても、たとえどんなに陳腐であったとしても、なぜプラクティスが大事なのか、プラクティスをしたらどうなるのか、どこをめざしてプラクティスをすべきなのかという視点で勝手に話を展開させていくつもりです。


明後日からCHAZENの神楽坂本校でのマイソールクラスはおやすみで、おやすみ中は「自主練部隊」による練習の場となります。それで、スートラクラスのあとで自主練部隊の隊員に留守中の申し送りをしていたのですが、場所を移動しながら説明をしていると部長がグループにまぎれて一緒に移動してくるので笑えました。

いつだって、チームの一員でいたい部長です。

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サーンキャ哲学を理解する気はないようですが......