くつろぎとぬくもりの......
リトリート初日の続き。
蕎麦屋のランチ、薪割り体験、落ち葉掃きのあとは......、
ターザンごっこ〜!
伐採で切り離された例の藤蔓が宙ぶらりんになってるのを見たら、やらずにはいられないでしょ?
森には自然の遊び道具がいっぱい。老眼かつ白髪になっても探検・冒険が楽しいったら!
しばし外で戯れたあとは、アーユルヴェーダのことを少しだけレクチャーして、調理実習へ。
前回と同じベジタブルキチュリを作ったが、今回は圧力鍋がなかったので土鍋&薪ストーブで。
土鍋は熱が伝わるまで時間がかかるので新しい作り方を編み出してみた。土鍋に沸いたお湯を入れておいてから、そこにギーとスパイスで炒めた野菜・米・豆を加えて、蓋をして30分くらい薪ストーブにかけておくという方法(ご飯炊き用の土鍋なので吹きこぼれない)。
なんでも永平寺など大量にお粥をつくる必要があるところでは、沸いたお湯に米を入れて蓋をしないでかき回しながら炊くらしい。帰ってきてから読んだお粥の本にそう書いてあった。ちょっと意図が違うけど、何気に永平寺方式だったのね。
とりあえずキチュリでは成功。あつあつのキチュリができあがり。
ところでこのキチュリ、私が10年以上前に初めてその存在を知り、作り方を習ったとき、先生は「キッチャディ」と称していた。しかし、調べてみてもキッチャディなるもののことは出ておらず、おそらくキチュリの間違いだったのではないかと結論していたのだが、その後「キッチャディ」というのは南インドの言い方だと知った。訛って伝わったのだね、きっと。
インドは広いので、南と北で違うことが多い。
デリーも、ヨガの聖地リシケシも北だけど、マイソールは南なのでブンカもジョーシキも多少異なっている。カレーもそうだしね。
さて、今回のテーマ「くつろぎとぬくもり」のメインはやっぱり温泉。
リトリートでお連れする温泉は5カ所くらいから選んでいるが、今回は星野温泉トンボの湯へ。
星野エリアは大混雑で駐車場も満車......。別の温泉に行くことも考えたが、クリスマスイルミネーション目当ての車が多かったのか、お風呂は意外と空いていた。
露天風呂で星を眺めながらの「くつろぎとぬくもり」タイム。
外の寒さが温泉のあったかさを引き立てる。肉体労働の疲れが極楽気分をいざなって嘆息がもれる。
なんたるぜいたく。
森のCHAZENリトリートは基本的にあまり厳しくはしないことにしたの。
個人的には永平寺風味の気が引き締まるスタイルが好きなのだけど、それよりも、温泉に入るようにほっとして、内側から自然に湧いてくるものを大事にしてみようかなと。
(靴を脱ぎ散らかしたり、風呂桶を片づけないで上がったりするとバッサリ斬られますがね)
もちろん、リクエストがあればいくらでも厳しくしますので、お気軽にご要望をあげてください。
そう遠くないうちに来年のご案内をしたいと思います。
瞑想と浄化の時間
リトリートの最後には参加者一人ひとりに、禅の旅でおなじみ「ハイライト&ローライト」という形で感想をお聞きしている。印象に残るものは人それぞれでもあり、似ているようでもある。ハイライトの王道は朝の坐禅や瞑想、マイソール練習だけれど、中には「草取り」とか、今回のように「落ち葉掃き」という声も出る。
落ち葉掃きと言われて一応「そこかよ!」とツッコミを入れたのだけれど、実はリトリートのキモはそこだったりする。禅寺で考えればこれは「作務」という立派な修行のひとつであるし、ヨガで言えば「カルマヨガ=行為あるいは奉仕のヨガ」ということになるが、ヨガスタジオでお客様としてヨガを習っていたら意味がわからないだろうなあ。
ボランティアとか奉仕は誰かのためにやることというイメージがあるけれど、実は自分自身のプラクティスであり、楽しみでもあるのだ。特に草取りや落ち葉掃きのように掃除してきれいにしていくということは、一目瞭然で成果が見えるだけに「浄化」作用が実感しやすい。そして、黙々とカラダを動かすことで頭がカラになるため、瞑想的な時間となる。都会のマンション暮らしでは味わえない野外労働の爽快さが味わえる時間でもある。
あの、荒れ放題のジャングルだった庭がここまできれいになったから。
参考までに11月時点での落ち葉の状態。右側にあった枯れ枝の山も今回ようやく片づけられた。
木々の葉が落ちて暗杉くんがなくなったら、向こう側に山が見えた。
山だけでなく空が見えるようになり、寝る前に外にでたら、煌々と輝く満月の下にオリオン座が光っていた。朝方は西側のゲストルームが月明かりに照らされているのにうっとりし、外に出れば北のほうにでていた北斗七星の脇を流れ星がひとつ。すべてがまるで作り込まれた映像のように美しい。
思えばリトリートまでの準備期間は、周囲からも引かれ、引退するのではと思われ、雨は降り続け、森はジャングルと化し、私の心にも陰がさしていた。
気持ちは暗くなる一方だったけれど、リトリートに来てくれた方たちの笑顔がすべてを帳消しにしてくれた。
参加してくれたみなさま、ありがとうございます。
そうそう、暗杉くんはいなくなったのではなく、切り株としてちゃんと存在している。春先はここでお茶でもしてみようかな。
リトリートいいよー、来年はおいでよー
今年最後のリトリート終了。
毎度、自画自賛でキョーシュクだけれど、今回もすばらしかった。
毎回テーマや参加者、参加人数が違っているけれど、みんな違ってみんないい。それに毎回ゲストがもれなく大喜びしてくださるので、こちらもうれしい。
2019年の森のCHAZENリトリートは参加者主催者ともに満足度ほぼ100(当社実感)ということで。
ようやく晴れた日の信濃追分駅が撮れた。
ハロウィンのかぼちゃとクリスマス、そしてゲストをお出迎えするシュー部長。
なんといっても今回はお天気がサイコーで、毎日晴れ。
気温的には寒いのだけど、日差しがあるのでこの時期でもテラス席でいけちゃうから、部長も満足。
お蕎麦のあと、どこかにお連れすることも考えたけれど、こんな抜群のお天気ならばお庭で作務のほうが楽しいだろうと......。
まずは薪割り体験。
落ち葉掃き。
そして、お庭での楽しい時間が続く......。
電池切れです。続きはまた明日。
至福の時
きょうはお山もあったかくて、着いてすぐにはストーブ焚かなくて大丈夫だった。
早速外に飛び出して、いの一番に薪割りだ。注文しておいた斧が届いていたので、まずはお試しよ。
フィスカースというフィンランド製の斧。
結構重い。
けど、当たりやすいし、割れやすい。
落ち葉も片付けつつ薪割りに勤しんでいたら、犬の散歩で通りかかった顔見知りのおじさまが、新しい斧を試して行かれ、いい斧だと言っていたのでそうなのだろう。
とりあえずは、今シーズン用のすでに乾いている薪を割っているけれど、春先からは先日伐採してもらった木を来シーズン用に割っていくのだ。
来年春のリトリートでは、薪割り作務ができるな。
割った薪を美しく積むことも考えなければ......うふ。
火を眺めていると、時の経つのも忘れてしまう。
日曜日マデ森ノCHAZENニ居リマス。
阿吽の呼吸で
CHAZENのお米で作ったお粥で、食べる禅の会を行いました。
今回は略式のお作法でお粥をいただいたのですが、星覚さんと事前の打ち合わせはせずに阿吽の呼吸でやりましょうということになっていました。メールでも細かいことはやりとりしなかったのですが、ほぼ思ったとおりの進行でした。
もうちょっと緊張感があったほうがいいようにも思いますが、今までさまざまなワークショップや坐禅会を行ってきただけに、詳細打ち合わせる必要がないのです。というよりは、打ち合わせてもええ?っという展開になることもありますしね。
話は変わりますが、おとといCHAZENの練習生I丈によるお芝居を観に行きました。
きのう田んぼに行く道中で、同じお芝居を別の回に観た人たちとどこにウケたかという話をしていたのですが、その場にまだ観ていない人もいたので、ネタバレにならないように、詳細を語ることはしませんでした。それでも、同じお芝居を観た人とはキーワードで通じるので、「ラー油」とか言っただけでもうめちゃくちゃ笑えるわけです。
ナニカを共有するということはそういうことです。
ワークショップのあと、星覚さんと少しおしゃべりしていたら、普通はなかなか人に伝わらないことがスルスルと通じるので、胸のつかえがとれたような、くつろいだような気持ちがしました。
たぶんそれが「只管打坐」であり、「毎日やるのがアシュタンガ」ということなのですが、これがなかなかわかってもらえないので、もどかしいのです。隔靴掻痒です。でも、無理もないことです。頭では理解しえないことなのですから。実際に「只管打坐」や「毎日やるのがアシュタンガ」を実践しない限りわからないのです。
「やってもなにもならない」坐禅をやるとどうなるのか、体感するところまで実践しない限りわからないんですね。
ああ、もうこんなこと書いている時点で、わけわからない感たっぷりですよね。
しかし、私はこれを多くの人と共有したいのです。
以心伝心で、不立文字で、ビビビッとわかり合いたいわけです。
なぜってそれが通じるようになると不安がなくなっているはずです。
迷い、惑い、揺れる心が静かになり、大きなものに護られているような安心感に包まれます。
今の私にできることは地道に茶禅会を続けていくことです。
アシュタンガと同じように、ただ「行」を続けるだけです。
よくわからないけれど試しに坐ってみようという方はぜひ。
そして今年茶禅会に来ていただいた方には星覚さんからプレゼントを預かっていますので、次回以降の茶禅会で受け取ってくださいませ。
こちらは「禅の旅」参加者にはすぐ通じるアレです。
ネタバラシ
冷たい雨に打たれて......
ごきげんよう。あくまで昭和ソングなちゃみこです。
本日は田んぼの片づけと大豆の収穫、および里山活動でご奉仕の日でした。
予報では午後から雨とのことでしたが、朝早くから作業して午後いちで帰る段取りだったので、心配はしていなかったのです。
が、朝から雨。
東京はみぞれ、横浜は初雪だったそうですが......。
着いてみると、田んぼに置きっぱなしになっていたオダがありません。手前の大豆は見事に刈り取られています。
事情がわからないので、とりあえず残っていた大豆を引っこ抜き、豆をハサミで切り取る作業をしたのですが、手はかじかんでうまく動かないし、薄いゴム長靴「みのるくん」を履いた足はどんどん冷たくなっていきます。
これ以上雨の中で作業をしてはいけないと判断し、里山活動を不参加とし、スタッフが到着する前に引き揚げてきました。
あまりにカラダが冷え切ってしまったので、海のほうにある温泉を目指します。2年にわたって匝瑳市に通いながら、一度も海を見たことがなかったので、まずは海を見てみようと。
雨の中、部長も寒そう......。
もいちど凍えておいてから、いざ温泉へどぶーん。
冷え切っているのでなかなかあたたまりません。ただただひたすらお湯に浸かってなんとか人心地がつきました。
田んぼ作業はいつだって暑さとの戦いだったのに、冷えで退却することになるとは......。
きちんと片づけて、ちゃんとご挨拶もして終わりたかったのですが、なんだかシマリのない形での最後になってしまいました。
CHAZENの部活「コメコメ倶楽部」はこれにていったん活動終了です。
最後美しくは終われなかったけれど、特に今年はたくさんの方が田んぼに来てくれて同じ時をすごせたことはちょっとした宝物のように感じています。誰かを助けたり、助けられたりしながら一緒に何かをするのはいいものです。その上おいしいお米も食べられるなんて。
田んぼからは実に多くを学びました。
期せずして、これは軽井沢へのステップだったのかもしれません。
ご協力いただいた皆々様に厚く御礼申し上げるとともに、田んぼでの経験がこれからの人生に役立ちますように。
2020年の「バガヴァッド・ギーター」クラス
6期目のギータークラスはこれまでで最も受講者が少なかったです。
毎年、最初は大人数でだんだん減っていく傾向が強かったのですが、最初から少なかったのは初めてでした。単にCHAZENだけのことなのか、ヨガの思想に興味を持つ人が減っているのか、どうなのでしょう。雑誌はもちろん、SNSもまったく見なくなったので、ヨガ界NOWみたいなものを感じる機会がありません。
それでもちらほらとお問い合わせはいただくので、来年も開講する予定でおります。
インド思想の基本というか、ざっくりとした全体をつかむには、やっぱりギーターがいいと思っています。
CHAZENで行うのは学術的な文献の購読ではなく、ヨガとは何であるか、ヨガの何が重要で、そこから何を学ぶのかについて、日常レベルに落とし込んで考えるクラスです。ヨガの本質については、じっくりと年月をかけて実践していかないとわからないのですが、単に長年ポーズだけを練習していたのでは、もったいないです。
インドのヨガ思想を真に理解できなくても、ギーターをじっくり読んでいけば、そのぼんやりした輪郭とか、おおざっぱな方向とかが、たとえなんとなくであってもわかってくるように思います。
ヨーガ・スートラのクラスは来年から少し踏み込んだ内容になっていきますので、最初の年はギーター、次にスートラ、あるいは最初からギーターと並行してスートラクラスを受講されると理想的です。
来年は初の試みとして、第1回から3回までを一括りのターム(1学期)として受講生を募集します。
希望者が少ない場合は開講を延期する予定でおりますので、お申し込みはお早めにどうぞ。
アシュタンガをやってない人も、ヨガをやってない人も、初心者も再履修者も受講可能です。