ガチでオンライン仕様のスートラクラス予告
17日のスートラクラスをオンラインに変更しましたが、できればオンラインは今月限りとしたいので(来月の状況次第ですが......)、オンラインを楽しんでみることにしました。
思えば前の非常事態宣言のときは、なにしろお山でインターネットに不自由していたのでかなり出遅れましたが、オンラインにすること自体どうなのよ?という思いもあったので、それはそれでよしと思っていたのです。その後ハイブリッドのオンラインクラスでは、リアルを中継するような形にしただけだったので、なんとも中途半端なままハイブリッドを断念した次第です。
さて、その後、あらゆる講座がオンライン化されるようになり、自分が受講生側になってみて少し見えてきたことがあります。
たとえば、感染が拡大したために急遽通常の授業がオンラインに変更されたクラスでは、誰もいない教室にパソコンを置いた先生がマスクをしたまま登場し、そのまま講義していました。しかも、ホワイトボードの前に移動して(マイクから離れて)しゃべるので聞き取れないし、ホワイトボードは光って文字は見えない。先生の声は聞き取れないけど、ミュートにしてない参加者のつぶやきが聞こえるという......。
「モニター越しに飛沫は飛んでこないからマスクとって〜」と思いましたが、先生もテンパってたのでしょうか。その日は最後までマスクで講義していました。コロナ社会のあるあるというか、ちょっと微笑ましい光景でしたけどね。
その点、オンラインで授業することに慣れている先生は、さまざまなツールを使って工夫をしていますから明瞭でわかりやすい。やはりオンラインクラスは、リアルな教室を映すのではなく、オンライン仕様に変更したほうがいいように思います。
オンラインを導入した当初はそれなりの資料を用意したほうがいいのかなと思いましたが、みんな会社でパワーポイントのプレゼンとかさんざん見ているのでウンザリだろうなあという気がしたのでやめました。というより、私の話はいつでも思いつくまま流れるまま、成り行きまかせというテキトースタイルなので、型にはめると死んだレクチャーになってしまいそうで......。
それをあえて今回は型にはめてみようと思っています。
たまには筋書きを作ってそのとおりに進行してみるのもいいかなと。そのとおりになんてできるのかがかなりアヤシイですが、とりあえずプロットを考えてそれに合わせた資料を作成中です。
マスクこそしませんが、パソコン的な不具合とか、仕込みの甘さとかで失敗して、筋書きどおりにならない可能性は十分にあります。さてどうなるやら......。
というわけで、もしかすると「真面目できちょうめんな」ちゃみこさんが見られる貴重なクラスになるかもしれません。どうぞ恐いもの見たさにご参加ください。
そして、このレクチャーの間は私の顔ではなく資料が映るようにしておくので、参加者のビデオはオフでかまいません。ということは、別のことをしながら一応かけておくこともできますし、ビデオもマイクも切ったままイヤホンつけて聴講する「透明人間としての参加」もアリです。どんなことをやっているのかチェックしたい方の参加も歓迎です。お申し込み時に「聴講のみ」とお知らせください。
もちろん、オフにしない通常モードでの参加も歓迎です。その場合は「気づきのシェアタイム」で発言していただいたり、私から感想を聞いたりします。
ZoomではなくGoogle Meetを使用します。
受講料は今回に限り¥1,500です。
CHAZENに来られない方のお支払い方法はお申し込み時にご案内いたします。ご参加お待ちしております。
犬だって鍼灸治療
「シューちゃんの服のポケットにおみくじが仕込んであるかもと手を入れてみたけど、何もなかった」お正月のマイソールのあとそう言われて思ったのは、いつもの私ならそれくらいの企みをしたであろうこと。
だけど29日の夜にシューが発作を起こしてから、そういう遊び心が湧いてくる余白を失っていた。免疫ガタ落ちでひどい口内炎ができてしまい、おいしいものも食べられない(食べても痛いだけ)残念な年末年始だった。
「だから、おとなしく西洋医学に頼っとけばいいのに」
そんな声が聞こえてくるような気がした。もう痙攣発作自体にはすっかり慣れて冷静に見守るようになったけれど、これほど頻繁に起こるのは尋常ではない。
やはり標準の治療をすべきなのか?
もう一度あれこれ調べて考え直して出した結論は、できるだけ自己治癒力で元気になってもらうこと。誰の言うことが正しいかとか、どの治療が正解かなんて実際のところはわからないのだから、自分が納得できることをするしかない。だから、もし私がシューだったらどうして欲しいかを考えて、その通りにしようと思ったら、つかえていたものがスッと下りていった。
で、次のステップとして考えていた中医学にターゲットを絞り込んだ。心当たりもないのでゼロから行くべき動物病院を検索し、ココだと思う獣医さんを見つけ、お正月休みが明けるのを待っていた4日の夜に再び発作。
これはもう、どげんかせんといかんばいね。
ただ、このときは前3回の観察から発作の予測ができた。
その晩のシューは頭や体だけが熱くて四肢の先が冷たく、落ち着きがなかった。今夜は発作が来そうだなと思いながら寝たらそのとおりになった。熱が頭の方に上がっている状態がけいれんを引き起こすように思えた。つまり体全体に血液が循環していないということ。ならば、血流の問題を改善したらいいのではないかと仮説を立てると、なおさら鍼灸が奏功するように思えた。血流の問題は中医学の得意技だからだ。
幸い翌5日は発作なし。
6日の診療開始日朝イチで電話したら、すでに予約でいっぱいで翌日の予約を入れたのだけれど、折り返し話を聞いた先生が昼の診療時間外にゆっくり診てくださるとの電話があった。それだけでもありがたいこと。
犬をスリングに放り込んで駆けつけたのは麻布十番にある「もじゃもじゃ動物病院」。麻布十番なら通うのもシューの負担にならない距離だし、何より先生と治療においての気が合いそうと思ったのだ。
その予感は大当たり!
どんな医者でも、あるいは先生(師匠)でも、いちばん大事なのはその人のもつ技術や経験(それも大事だけど)というより、その人をどれだけ信頼できるかだと私は思っている。結果はどうなるかわからない。どんな名医だって100%治るってことはない。信頼できるということは、たとえそれで治らなくても納得できるかということなのだ。
そして気が合うというのは、コミュニケーションがうまくいくかどうかである。双方の伝えたいことがうまく伝わるかどうか。それを理解するキャパと、受け入れるハートがあるかどうかということである。
この先生にゆだねてみようと思ったので、西洋医学も使ったほうがいいというアドバイスを素直に聞き入れ、血液検査もしていただいた。結果、いくつか正常値から外れているものもあったけれど、おおむね17歳としては上出来で特に腎臓や肝臓は問題なし。心臓の雑音もない。怪しいのは脳の腫瘍だけれど、むろんMRIなど撮る気はないので、まずは鍼灸と西洋医学の薬で様子をみることになった。
で、初の、お犬様鍼治療なり〜。
して、お犬様にどうやってやるんだろうとナゾだったお灸。
鍼やお灸をしながら脈を見ている先生が、しきりに「反応がいいですね」と言われる。そりゃま、ウチ(CHAZEN)の子ですからねえ。毎日ヨガ道場のエネルギーを受けてますからねえ。
気持ちよくなったらしいシューたろさん、ついに寝落ちる。
で、シューさんの鍼灸反応がかなりよいらしいので、このまま鍼灸だけで様子をみることになった。西洋医学の薬は一度飲み始めたらやめることはできないので、それはまた発作が頻繁に起こった時でいいでしょうと。
さすがです。シュー部長。
もう部長から一気に会長に昇進でしょう。いや、CHAZENは会社ではなく学園なので理事長、もとい名誉理事長待遇とさせていただきます。
先生は、老いた飼い猫が穏やかに晩年を過ごせるようにと思って鍼灸の勉強をされたそうで、そのねこちゃんは24歳まで生きたとのこと。シュー名誉理事長にももう少しがんばってもらいましょう。
帰ってきてから、鍼灸効果で体温が安定していて、もちろん昨夜はぐっすり。並行してホメオパシーも続けて、新しい別のレメディも試すので、また随時ご報告させていただきます。(ワンニャン飼っている方に何かの参考になれば......)
1月はオンラインでスートラ&坐禅会
緊急事態宣言が出されるようですが、今回は飲食店中心とのことで、おそらく通常どおりにマイソールができるかと思います。夜8時以降不要不急の外出禁止はアシュタンギにはむしろ好都合かもしれません。
ただし、少なくとも今月に関しては日曜日の座学系の集いをやめることにしました。
まず10日に予定していた茶禅会は中止とします。24日に星覚さんによるオンライン坐禅会がありますので、そちらにご参加ください。
11日のワークショップは予定どおり行います。少人数限定で。あと1名入れますのでご希望の方はお早めにどうぞ。
17日のヨーガ・スートラクラスはオンラインに切り替えます。
何度か試みたことのあるハイブリッドクラスではなく、オンラインだけです。とりあえず今回のみで、来月以降については状況を見て決めますが、できる限りCHAZENに集って行いたいと思います。詳細はお申し込みの際ご案内します。
久しぶりのオンラインで少し楽しみでもあります。オンラインでも楽しく参加できるよう少しは工夫してみるつもりですがどうなることやら。いずれかのクラスでお待ちいたしております。
年末から発作が続いている部長殿ですが、今日は一緒に後楽園までお買い物に行きました。歩くのはたいへんかなとスリングに入れると中でブヒブヒ言うので下ろして歩かせたりしながら。たぶん、動いてないと痛いのかもしれません。以前五十肩のだるい痛みで夜眠れなかったとき、夜中に踊って血をめぐらせていたことを思い出しました。あんな感じだとしたら、気の毒すぎる......。
ところで、こんなウインドウディスプレイをみかけました。
CHAZENのエタノール置き場の木は、分校みやげのホンモノですからね。
どや。
謹賀新年2021
あけましておめでとうございます。
今年も例年どおり元旦レッドで幕開けとなりました。
元旦だけに途中で退出する人もなく、ゆったりした雰囲気の中で思う存分長カウント。ナヴァーサナでわざとらしい小芝居をするのも、すっかりお約束です。脚がプルプル震えてるところがなんともいじらしいCHAZEN生たちでした。
途中でお目覚めになった部長が、励ましに来てくれました。
さらにウールドヴァ・ダヌラーサナのあとのパスチモッタナーサナでは、部長自ら全員の背中を押して激励してくれたので、練習生はみな大喜び。これで今年の開運は間違いないでしょう(気分の問題だから)。
元旦レッドはやはりいいものです。
今年も実現できただけ有り難いですが、人数制限で入りきらなかったので、3日にもレッドクラスを行う展開になりました。来年から三が日はレッドオンリーでもいいかもしれないなどと思い始めていますが、来週、来月のことさえ不透明なのに、来年のことを言えばそれこそ鬼に笑われますね。
何があろうとも、どんな展開になろうとも、なるようになるだけです。一人で練習するか、みんなと練習するかというだけです。何も心配する必要はないんですね。世の中に不安が蔓延していますが、幸せの基準をもう少し金銭的な豊かさから離して考えられたらいいのになと思います。
連ドラの続きを見るような気分で、CHAZENの成り行きを見守ってください。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
居住まいを正す
寒い年の瀬です。かき氷現象で頭が痛い。
快晴で空気が冷たいと気が引き締まるようで気持ちよいのですが、換気のために窓を開けると寒気が入ってきて凍死しそうです。
気づけば年末年始ウィークも残り2日......そして、もう今年が終わろうとしています。今年についてはもはやここで述べるまでもなく、まだ渦中であり、ほんの少しの先のことさえわかりませんが、今日も無事にマイソールの練習ができたことに感謝するのみです。
今日ふと思い立って久しぶりに墨を擦り、新年に掲げる言葉を書いてみました。相変わらずのチャッ筆ではありますが、墨をすって文字をしたためるという行いは瞑想的・内観的で年末にふさわしいように思います。
年が変わるというだけで、以前から連続した毎日なのですが、節目に姿勢を正して来し方行く末を思うことはサマスティティと同じようなものかもしれません。
ともあれ、本年もこのブログをお読みいただいたことに感謝申し上げます。どうぞみなさまよいお年をお迎えください。
エゴを育てるのか殺すのか
年末年始のマイソールが始まった。
本日から年末までの3日間は、普段の平日マイソールの時間とほとんど同じ時間帯で、違うのは2部入れ替えで時間制限があること。
マイソールクラスのいいところは、好きな時間に来て好きなだけ練習ができることだけど、時にはきっちり決められた時間の中で練習することも大事。急いで終わらせようと呼吸が浅くなるのはよくないけれど、お金を払っているのだから当然の権利とばかり長すぎる練習をするのも考えものだ。
禅の世界から見ると、アシュタンガヨガはエゴを育てやすい。
自分の練習、自分の向上、自分の時間......と<自分>のことばかり考えるようになるからだ。アシュタンギは、自分のポーズがいかにしたら上達するか、自分の身体がいかにしたら柔らかくなったり、軽くなったりするかにフォーカスしすぎる傾向がある。エゴイストがさらにエゴイスト化しやすい。
私がそうだった。
たとえばカランダバーサナがうまくいかないと何回も納得いくまでやり直したりしていたのだけれど、今思うとエゴ全開だったなと赤面する。むしろ、そういう努力や試みこそが大事だと勘違いしていた(それも大事ではある)。
ある時、ドミニク先生がグルジのオールドシャーラーについて話す中で「アーサナを何回もやり直すものじゃない。なぜなら外で待っている人がいるのだ」ということを言われていてハッとした。
もちろん、場所が空くのを待っている人はいなかったからたしなめられることも自分で気づくこともなかったのだけれど、そもそも、アーサナを目的にしていたこと自体が間違いだと気づいてなかった。それじゃあシャバの競争世界の延長でしかないということがわかっていなかった。
禅の世界を知るとアシュタンギのエゴがよく見えるようになる。
たとえば禅寺で理不尽(と思われる)に怒鳴られたりするのは、実はこのエゴをやっつけてくれているのだ。怒鳴られてコンニャロと思うそのエゴをコテンパンにされて初めて、それがエゴだと気づくというシステムなのだ(うまく機能するかはさておき)。
禅に出会わなかったら、腕が動かなくならなかったら、私はどこまで<自分>に執着していたのだろう。
発作が怖くてずっと丸洗いできなかったのだけど、冷え込みが緩んだ先日ようやく洗髪してふわふわちゃんになった部長。顔の毛を切ろうとすると激しく抵抗されるのでボサボサはそのままだけどね。
白いクリスマス
修行は盆暮れ正月関係なしだから、クリスマスなんてさらに関係ないのがCHAZEN。
だけど、今年はなんとなくキラッとしたもの飾りたくなって、ベランダの植物にオーナメントをぶら下げたりしてみた。練習する場所は、できるだけ簡素で整っていて、ドリシュティを奪われるようなものがないほうがいいけど、今はほんの少し色気があってもいいような気がしたの。
私が練習生としてマイソールに通っていたころは、クリスマスの朝に練習に来るなんて......(すごい、あるいはかわいそう)、という雰囲気が多分にあったけれど、今のCHAZENではそんなこと考えもしない。アシュタンギにとっては、ただのいつもの朝だから。むしろ、クリスマスディナーとか翌朝の練習に障るので遠慮したいハズ。
クリスマスディナーというか、ごちそう全般が大好きだった私。今だって好きは好きだけど、魅力の度合いがぜんぜん違うよね。その享楽がいかに儚くて「苦」を生み出すものであるかを知ってしまったからだと思う。このへんが肚に落ちるかどうかが、インド思想を理解する分かれ目のような気がする。
とあるインド学の先生がおっしゃっていた。「若い学生にはこれが理解できない。『苦があるから楽があるんじゃないですか』なんて言われてしまう......」と。そりゃそうだろう。若い人にはわからないだろうし、わからなくてもいい気がする。頭で理解するよりも、散々苦労してから肌で理解したほうが身につくものだ。学生にとっての苦は受験とか単位とか就職程度のモノだろうしね。若いうちはとにかくなんでも経験したほうがいい。全部がのちのちの栄養になる。
さて、我が家のクリスマスイヴはいつもとかわりばえなし。夕方、お山でお世話になっている人とメールのやりとりをしていて、軽井沢はホワイトクリスマスかなーなどと、うっとりロマンチックな絵を想像していた。ただ、ヒーターに近づきすぎていたせいか喉が渇いたので、こないだ買って冷蔵庫に入れておいた白い泡泡のお薬を飲むことにした。泡泡といっても、クリスマス的なアレではなく、お米のつぶつぶが入っているアレね。
しかし、妄想のため頭がボーッとしたまま、何気なく瓶を逆さにしてから開栓......。
はい、当然シュワ〜〜〜〜〜っ!!となりますわな。
泡泡がキャップから漏れて来るのをみて、自分がアワアワ。
もったいない!
と一気に蓋を開けたところ、
パーン!
お薬の半分近くが飛び出して、キッチン中が真っ白になった。白いお米のつぶつぶがまるで雪のようで......。
東京でホワイトクリスマスかよっ。
泣きながら掃除した。
イベントを作らなくても、予期せぬ出来事によって毎日はエキサイティングになる(インド思想でもなんでもないか.....)。
お口直しに、月曜のマイソールが始まったあと、平社員の膝の上でお休みになっていた部長をどうぞ。