漢方喫茶はじめます
さっき気づいたのですが、今年はアイスコーヒーを飲んでいません。例年この時期は、暑いからというよりも朝起きた時に「生きている感じがしない」ので、気付け薬のようにアイスコーヒーを作って飲んでいたのが遠い昔のことのように思えます。
そんなわけで5月から「夏の病」克服作戦を開始して、かなりよい感じです。何しろあの「人間じゃなくなったような」感じがないだけで大きな進歩です。元気いっぱいとは言えませんが、今日みたいな暑い日でもそれなりに普通に生活できてますからね。
東洋医学を学んでこの不調のメカニズムが徐々に解明されたことは、私にとって、人類が初めて月に降り立ったような進歩をもたらしたかもしれません。いにしえの知恵を学ぶ「退歩」でありながら、個人的には革命的な進歩です。中医学を学ぼうと思ったのはシューのてんかん発作がきっかけですが、最近その中医学的な理論がわかったところで、目からウロコが落ちっぱなしです。
加えて、先月の陰ヨガ+漢方養生のクラスが好評だったので、これからは毎月東洋医学的な要素を含むクラスを企画していこうと考えています。妄想的にはすでにあれこれの企画が思い浮かぶのですが、最初は薬にもなるお茶を飲みながらゆるりとした漢方養生のお話をする「漢方喫茶」という形でスタートします。
お茶を飲むようにほっとする場でありたいとchayoga→CHAZENと「茶」の名前をつけていますので、漢方喫茶もほっとする場になるといいなと思います。毎度のことながら自分がいちばん楽しんでいるのですが、ご一緒に楽しんでいただければ幸甚でございます。
8月は先月と同様に陰ヨガクラスのあとにお茶をいただきながら、主に疲労回復をテーマに話そうと思います。前回の反省としては、レクチャーを入れると陰ヨガの時間がたっぷりとれないことでした。それから、陰ヨガのあとは堅苦しくない話のほうが相性がいいようです。そこで、今回は陰ヨガ優先とし、残った時間で漢方的養生についてのおしゃべりをする予定です。ふにゃっと気軽にご参加いただけたらうれしいです。
https://www.chazenyoga.com/special
毎朝練習生が来るのを楽しみにしている理事長なので、その時間には寝ちゃいられません。が、先日は最後の練習生が帰るころに電池切れとなり、ひんやりマットの上で爆睡してました。
ちなみに、オムツ着用なのはコントロールができないからではなく、いまだに「腹いせ」や「あてつけ」でなさるからです。悪意のコントロールとも言います。怒ってないときはトイレ以外でなさることは少なく、ペットシーツを敷いて「ちっこして」と言うとちゃんとそこになさいます。実はこの「怒り」がてんかんを引き起こす要因なのですね。中医学では怒りの感情は「肝」と結びついており、処方された漢方薬には「抑肝散」が入っています。
ワクチン副反応に葛根湯
本日のマイソールはキャンセルが多く(日曜日は予約制)、うち2人がワクチン副反応によるものでした。個人差はありますが、だいたい1回目は腕の痛み程度で、2回目になると発熱や倦怠感など「それらしい」反応があるようです。
それで思い出したのが先日のブログに書いた津田篤太郎先生が毎日新聞に連載中の「漢方ことはじめ」に書かれていたこと。
先日、医療関係者向けの新型コロナウイルスのワクチン接種を受けました。1度目はほとんど痛みも何も感じず、インフルエンザワクチンと比べてもずいぶん楽だなあと思ったほどでしたが、2度目の接種の後は、時間がたつにつれ接種した上腕がズーンと重くなり、次の日は背中や首が全体的に痛くなり、頭痛も加わってしばらく寝込んでしまうぐらいに、つらい症状が出てしまいました。「もう耐えられない!」というところまで我慢して、家にあった葛根湯(かっこんとう)を何度か服用したところ、スーッと楽になって、次の日は問題なく仕事ができました。
引用元リンク↓ (有料記事ですが)
漢方のことは知らなくても葛根湯なら知っている人が多いのではないかと思います。昔は私もよくかぜを引いており、葛根湯を試したことがあるのですが(といっても30年以上前)、正しい使い方を知らなかったためまったく効かず、葛根湯は効かないという刷り込みだけが出来上がりました。今思うと漢方を西洋薬と同じようにとらえた残念な人でした。いろいろがわかってきた今、次にゾクゾクっと寒気がしたら即試そうと思っています。
『漢方水先案内』にも書いてあったことですが、漢方薬は自分で飲んで効き目を試すことができるのがいいですね。いかに研究熱心なお医者さまでも、西洋医学の薬を気軽に試し飲みしたりはしないと思いますから。
とはいえ、食物アレルギーがあるように中には漢方薬にアレルギー反応がある人も存在するので、最低限の注意は必要です。
それと、葛根湯が効くのはかぜの引きはじめです。何日もたってから飲むと証が変わり、効果が実感できない可能性が高くなります。
次に飲み方ですが、漢方薬は西洋薬と違って食間または食前(食事の30分前)に飲むものが多いです。それは空腹時のほうが吸収がよいからなのですね。そして、ドラッグストアで買う葛根湯は顆粒や錠剤にしたエキス剤ですが、それをお湯で溶かして「なんちゃって煎じ薬」のようにして飲むとさらに吸収がよいそうです。
ところで、中国では日本ほど葛根湯を使わず、麻黄湯というもう少し強い処方が用いられると中医学の先生が授業で話されていました。そして1日に飲む薬の量も漢方よりずっと多いそうです。中国大陸の人たちは基本的に私たちより頑健なのでしょうね。
私自身は当面接種の予定がないのですが、これから接種される方たちの副反応が少しでも緩和されればと、参考までに、老婆心ながら、新聞に書いてあったことを紹介させていただきました。(さきほど、今日副反応で休んだ某嬢から葛根湯が効いたと連絡があったので、老婆心も役に立ったみたいです)。
まだまだ積極的なアドバイスはできないものの、漢方スクールでは症例から適した漢方薬を選ぶ勉強に入っています。中医学の学校は一学期が終わり9月まで夏休みですが、来週は夏期講座の解剖学に申し込んでいて、今はそれがとても楽しみです。ヨガの勉強のなかでは解剖学がいちばん苦手だったので、落ちこぼれて泣きながら帰ってくるかもしれませんが、医学としての解剖学に今のところはワクワクしています。
ビバ、アラカン!
練習生が少ないので、理事長もマット敷いて練習中。
暑い中ご苦労様な理事長に、ひんやりマットとひんやりウェアを献上してみました。
我を捨てる
文献派なので、中医学や漢方の本を片っ端から借りてきて目を通しています。これはと思う本がいくつか見つかりましたが、そのうちの一冊が先日読んだ『漢方水先案内』。
著者の津田篤太郎という人も知らないので何の先入観も期待もなく読んでいたのですが、徐々になんかいいかもと思って、途中からは居住まいを正して読みました。筆致からおだやかで落ち着いた年配者をイメージしたら、私よりずっと若い。あとでわかったのですが、この先生いつも読んでいる毎日新聞の「漢方ことはじめ」という連載を執筆している方でした。
西洋医学を基本にしながらも漢方を使って難病に取り組んでいる方なのですが、おっしゃっていることが私には何かとしっくりくるのです。この先生の診察を受けてみたくなりました。西洋医でもいい先生はたくさんいることはわかっているのです。でも、つい否定的に考えてしまう。そんな自分の傾向を改めようと思わせるほどに、この先生は西洋医学と東洋医学のよさをいい塩梅で認識しておられます。
その「塩梅」というのは、たとえばこんな感じです(うまくいえないけれど)。
スピリチャルを認めながらもそこに走らず、科学をよりどころにした医療を大事にしている一方で、科学では証明できない「見えない力」の大きさも大事にしている。
そのあたりがたぶん私にとって「いい湯加減」なのでしょう。
そして、何より真摯な態度を感じます。
途中からある鍼灸師の言説について述べられます。指圧などの手技というのはベテランになるほどに「〜する」のではなく「なっている」ものだという話のなかで、「能動性の放棄」と言っているその言葉が強く私の胸に刻まれました。
これ、禅の境地です。
doingではなくbeingであること、あるいはBeTubeが只管打坐の極意です。
そして、この「能動性」というのがすなわち「我」であり、「能動性の放棄」とは「我を捨てる」ということであるとも書いてあります。東洋医学はすなわち東洋思想なのです。
なぜ「能動性の放棄」という言葉が刺さったかといえば、まさに今私がぼんやりと考えていたことだったからでした。最近、思うとおりにことが運ばない出来事が連続でありまして、そのときに感情が波立つのを感じたのです。その波立ちを見つめてみたとき、自分の思ったとおりにことを運ぼうという「我」の存在に気づきました。
さらに考えると、あれもこれも「我」です。どんな自分の行動もガガガガガガーっと「我」に動かされてばかりです。
キャンプ場のトイレの蛍光灯に群がる蛾のように、自分のまわりに「我」がまとわりついているのです。自分を光らせようと思えば思うほど、この「我」がたかってきます。
エゴというものは、自分が気づいていないときこそ全開になっているものだと改めて思った次第で......。まずは「我」が自然に離れるように灯りを消して、謙虚になることから始めたいと思います。
ともあれ、東洋医学を学ぶモチベーションはますますアップして、
シロツメクサの花が咲いたらさあ行こう ラスカル♪
と鼻歌歌いながら、犬にラスカルと呼びかけながら、楽しく毎日勉強しています。
ふわふわと
ゆうべは暑くて寝苦しく、イヌもヒトも交互に、布団のより冷たい場所を求めて枕側と足側を行ったり来たりでした。そしてヒトは、坐禅会に見知らぬ人が大勢詰めかけたので、密にならないよう道路上で行い、アタフタしている夢を見ていました。
むろん現実の本日の坐禅会は、まったく密にならず、アタフタもせず、初めての人もいなかったので1炷たっぷり坐って、長い長いわかりにくい今日の随聞記も星覚さんの解説でつつがなく進行し、シャンシャンと終了しました。
ところで、最近オンライン坐禅会に参加してくれている方が初めてCHAZENに来てくださったのですが、なんと隣で坐っていた某CHAZEN生と中学時代同じクラスだったことが明らかになりました。ぜんぜん密にならないようなこのCHAZENで、かつてのクラスメイトと隣どうしで坐禅ってすごい確率じゃないですか。これも仏縁でしょうか。
東京オリムピックはこれまで同様私の傍を素通りしていますが、頭の中では素通りできないことがひっかかったままです。そんなときは力を抜いて、思いを手放して勝手に泳がせてみるのがいいかと思います。こじらせているのは、おのれのその思い込みだからです。
青い空を雲が、ぷかぷかと泳いでいます。
願望も希望も抱かず、ふわふわと漂ってみましょうか。
にんじんだもの
昨日、陰ヨガ&夏の養生法のスペシャルクラスを終えたあと、どっとだるさが押し寄せてきたんですよ。ブログを書いてはみたものの頭も働かないし、どうにも具合が悪い。で、ヨガマットに移動して血流を改善するストレッチなどしていたのですが、なんとそのまま力尽きて寝てしまったのでした。
初めての漢方ワークショップで気を使い果たしたのか、自分でも陰ヨガのポーズをところどころ実践したので毒が出たのかわかりませんが、夏場のわが体調は予測不能です。そして、こういった自分の体調不良があるからこそ、その改善方法を見つけることに興味が尽きないのだとも思います。
先日、血流測定というのをしてみたら、とんでもなくひどい数値でした。夏になって気温が上がるとたちまち身体中の流れが悪くなるのは特異体質なのかもしれませんが、むくみに悩まされている人は多いと思います。それで今回は、血液やリンパを流すことをテーマに、ポーズに入る前に足先から腿までのマッサージを取り入れたり、鼠蹊部と脚の内側にある経絡を刺激するポーズを中心にシークエンスを組み立ててみました。
さて、陰ヨガ終わったあとは漢方のお茶とナツメのカリン酒煮、ほうじハトムギで一服しながらのミニセミナー。
あらかじめ想定していたことですが、陰ヨガ終わったあとはみなさんあちらの世界に行っておしまいになります(スパでマッサージを受けたあとの、まどろんだあの感じ)。なので、私もトーンを落としてまったりとしゃべります。
積極的な質問など出てくる気配はなく、何を言っても「ふぇ」とか「ふにゃ」という反応しかありません。
ところが、あるところで急に目が光ったのです。
ハンドアウトに夏におすすめの食材などを書いておいたのですが、その中に「高麗人参」を入れておきました。というのも、ちょっと前まで体調悪くて朝起きれず一週間の朝練が全滅するほどだった某嬢が、高麗人参を飲むようになって復活を遂げたからです。
それを聞いた、朝起きれない症候群にかかっている人たちが食いついてきたわけです。
高麗人参〜✨
高麗人参を飲めば私も毎朝パッチリ目が覚めて練習行ける!
てきな。
まるで、灰をまいたら枯木に花が咲いたことを聞きつけた隣のおじいさんのような。
あるいは、テレビ番組で「〇〇を食べると痩せる」と聞いたおばちゃんのような反応です。
そして、やっぱり帰ってから早速高麗人参をポチったそうです。
人それぞれ体質や条件が異なるので同じように改善されるかはさておき、高麗人参試してみる価値はあると思います。ちなみに私は血流改善のために田七人参をポチッとしていて、今日から飲んでみています。
どちらも結果が楽しみです。
中医学の先生が言われていたのですが、古代中国では、瀕死の重症のときには野生の高麗人参を使ったのだそうです。野生のものは栽培されたものと効力がぜんぜん違うらしく、それで息を吹き返す的な例も多かったのでしょう。
野生のパワーはすごい。
野生とはいかないまでも、私たちの身体も生活もできるだけ簡素に、本来そのままを大事にしたほうが生命力は強くなります。その場の楽さや便利さばかりを追い求めていると、結局は「薬に依存」「機械に依存」するしかなくなります。そうなったときの虚しさを考えたとき、多少の不便さやキツさを進んで受け入れて、すなわちそれらを「楽しさ」に変えて生きることを私は選びます。
それがヨガであり、中医・漢方であり、古代からの知恵を生かしていく養生なのです。
そういうわけで、CHAZENの養生ヨガがスタートしました。
人間として生まれてきた私たちですから、この生を慈しみ、楽しみながら、健やかな毎日にしていきたいものです。CHAZENの養生ヨガで、アシュタンガの朝練はもちろん、ヨガ哲学や禅も含めて、まるごと心身を調えていきましょう。
呼吸っぽい人たちと
今日のオンライン坐禅会は、いつものスケジュールを変更し、星覚さんの糸島の拠点に安居している人たちとの交流会に。
「安居」というのは、お寺などで集団生活を送りながら修行すること。現在3人が星覚さん一家とともに暮らし、早朝4時からの曉天坐禅に始まる修行生活を送っていらっしゃる。その人たちがPodcast「呼吸っぽいラジオ」をやっているというので聴いてみたところ、おもしろい。がぜん話してみたくなったのだった。
交流会は、ミニアシュタンガクラスからスタート。
CHAZENの二人がデモンストレーションしてくれて、他のアシュタンギが見守るなか、星覚さん+「呼吸っぽい」人たちにアシュタンガヨガを体験していただいた。さすが呼吸っぽい人たち、ナニカ感じるものがあったっぽい。禅にプラスしてぜひアシュタンガも続けてほしいです。
その後、呼吸っぽい人たちにいろいろ質問させていただく形でオンライントーク。ここでみんなが驚いたのが、呼吸っぽい人たちが20代であること。CHAZENの禅に集う仲間たちは比較的(比較的だよ)年齢が私寄りなのでその若さにビックリするわな。40代くらいかと思ったって。
若いのに、まだ3ヶ月ほどの安居生活であらゆることを気づきまくっているのがすごい。もともとその素養があったのだとは思うけれど、星覚さんとの生活のなかで何が大事なことなのかを電光石火のごとく理解するばかりか、ちゃんと腑にまで落ちてきているのだ。アタマでなくカラダでわかっている。星覚さんの言葉でなく所作や態度で発信する力の大きさと、受け取る側の感度がどちらもマックスなのだろう。
これはもうお釈迦さまと摩訶迦葉さまのような間柄なのでは?! (意味不明な方→「拈華微笑」をググられたし)
少なくとも如浄禅師と道元禅師レベルではあると思う。
それにしても、寝食を共にするという力の大きさよ。
夢破れて分校を手放した私は、ふう〜っと30秒くらいため息をついてしまう。
私が40過ぎて、ヨガと出会ってから何年もかけてようやく気づいたようなもろもろを、その若さでちゃーんとわかってらっしゃる。バブル世代の私とは月とすっぽんの違い。社会がよろしくないと若者はよろしくなるのかもしれない。
思ったのだけど、若い人たちは時代の変化に敏感だし、柔軟に対応していける。年をとればとるほど、今までの当たり前を信じて、それにすがって生きているのだなと。積み重ねてきたものを捨てるのは勇気がいる。年齢とともにその積み重ねが大きくなって、地位や財産などはもちろん、価値観なども含めて自らが築き上げたものに執着してしまう。
積み重ねるのではなく、積みへらすべきだと言った岡本太郎の言葉を思い出す。
なつかしはずかし2007年の日記。
よい刺激になったわー。
老化の一途を辿っているアラカンの私だけれど、若者の話に耳を傾けようと思うだけまだ積み減らす余地は残っているかもね。もっとも私は積み重ねてきた地位や財産はないし、会社員として勤め上げてもいないし、したがって十分な年金もなければ頼れる身寄りもないから、カンレキ過ぎてもハタチと同じ気分で生きる準備は整ってるけどね(じまんかよ)。
ところで、来週は久々に星覚さんのホンモノ登場で坐禅会があります。どちらさまもぜひご参加ください。
呼吸っぽいラジオも、ぜひ聴いてみてください。
podcasts.apple.comじょんじさんのプロっぽいイラストでつづるインスタ修行記録も必見。
https://www.instagram.com/akeome_johnji/
いつの日か、糸島で、生でこういう話ができたらいいな。
(理事長のお許しがでないと行けません......泣)
洗脳
いちばん最近CHAZENの仲間入りした某嬢いわく、
「練習に来てしまえば気分がよくなるのだけど、ここに来るまで(起きるまで)がたいへん」
それを受けてCHAZEN歴数年の先輩いわく、
「大丈夫、洗脳されてしまえば毎朝来られるようになるから」
洗脳かー。
何に洗脳されるんだろうなー。
よき習慣に染まっていく洗脳ならおおいに歓迎だけど、そんな言葉が飛び出してきたことにちょっと笑った。
さて、今日は漢方のクラスを受講するため山手線に乗った。最近は車両まるごとひとつの企業や団体の広告になっていて、思いっきり洗脳型の広告戦略を打ってることが多いけど、今日乗った車両はなんちゃらいう人の自己啓発セミナーだか本だかで埋め尽くされていた。「講演家」という肩書きのその人の名前は初めて聞いたけど、印象としてはちょっと年配の、定年退職した男性がターゲット? 会社という行き場を失った人たちを鼓舞してその気にさせる講演の風である。
おお、今日は洗脳の日だな。
さっき洗脳の言葉に笑ったと思ったら、洗脳を洗脳する広告に当たった。
ところで、そのモニターに映るなんちゃらいう講演家の言動や態度を見ていたら、「五蘊は空なんです」の『コタキ兄弟と四苦八苦』に登場したボブを思い出して、ひとり心の中でウケまくっていた。
ボブは、無職のコタキ兄弟が活動している「レンタルおやじ」の競合の「レンタルおじさま」を主宰しており、そのプレゼンで今までテレビの前から動かなかったようなおじさんを洗脳させてしまうカリスマなのだ。このへんのバカバカしさが私にはかなりツボで、でも話のオチではキリッと締めるその匙加減がうまい。
予告編:
www.youtube.com
話は逸れたが、その広告の何に違和感を感じるんだろうかと考えてみた。言っていることも話し方も人を引き込むのに十分魅力的だと思う。もし実際に話を聞いたら、私もウォーって拳を振り上げてやる気になってしまうかも(ならねーよ)。だったら、どこに抵抗があるのだろうと。
よく考えればアシュタンガだって似たようなものだ。
早朝に身体と精神の浄化をして毎日を充実させるぞー!ってカリスマが言えば、ウォーってその気になってしまうかもしれない。ただ、それだけで続けるのは難しいけど。
そういえば、その講演で話した言葉が字幕で出てたのが「人は快に流れてしまうものだ。でも、達人は不快に面白さを見出す」みたいなセリフ(うろ覚え)。アシュタンガなら、最初は二度寝という快に流れるけれど、布団の中にいる快楽よりも、そのときはつらくても起きて練習したあとの快楽が勝るようになるもの。
違うのは、カリスマ指導者に洗脳されるかどうか。
アシュタンガの洗脳はもっと静か。そして、誰かに洗脳されるのではなく、練習の体感を通じて、自分で自分を洗脳するのだと思う。練習後の気持ちよさ、清いものに触れた感覚は、自分の肉体をとおしてしか感じられないから(超能力が発揮されるまでは)。
カリスマ指導者に洗脳された人は、のちのち後悔することがあるかもしれないけれど、アシュタンガに洗脳されて後悔した人を見たことはない。
練習しなかった朝の後悔はあっても、練習した朝に後悔はない。