CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

飲食節あり

冷たい雨のせいか、マイソールは人数少なめ。茶禅会もひっそりと常連さんオンリーだったので、内容をちょいと濃いめにして、坐禅の後「普勧坐禅儀」をお唱えして都合1時間近く坐った。声を出すっていいものだ。これからはお経を唱えたりもしていこう。

ここ最近の私は、たくさん坐って学び、自分が清らかな人になったような気がしていたのに、今日はすっかりどんよりドン子。というのも、きのう法事で食べ過ぎたのだ。内容的にも場の空気的にもサットヴァで、決して嫌な感じはないのだけど、調子に乗って食べ過ぎた。味噌汁やお吸い物でなく、うどんが出るというグンマー加減にも大喜びして、腹十二分目。

帰りぎわ叔母たちがどっさりお煎餅やらお菓子やら持たせてくれた。もはや「実家に帰る」ということがなくなった私には、久しぶりの実家みたいな歓待がなつかしく、うれしく、またまた調子に乗り......お腹いっぱいお土産いっぱいなのに、ふだん通ることのない赤城高原サービスエリアに寄ったらつい焼きまんじゅうの匂いに抗うことができず帰宅後にまた食べた......。

飲食節あり(おんじきせつあり)
と今日読んだ「普勧坐禅儀」にも書いてあるとおり、食べ過ぎたら坐禅はできない。帰ってきて一応坐ったけれど、坐禅にならず。関越道が大渋滞して運転疲れもありソッコー寝た。今朝もまだ食べ過ぎの余波が残っていて、汚れたことを実感するだけの坐禅

汚れるのは実に簡単だ。シャバ世界のあれこれは総じて散らかす行為であることがよくわかる。たとえ、それが楽しかったり、うれしかったりというポジティブなイベントであろうとも、物質であるカラダとココロは簡単に汚れる。シャバ世界で生きている限り、汚れるのは必定だから、毎日お掃除が必要なんだね。掃除しても掃除しても汚れるのだけど、掃除を徹底していくと、汚れが付着しなくなるし、汚れてもすぐ落ちるようになる。

手っ取り早くお掃除するにはヨガが効果的。ヨガをすると目に見えてきれいになっていくのだけど、こびりついた汚れ、見えないところの汚れには、やっぱり瞑想や坐禅を徹底的に実践しないと落ちないのかもしれない。

坐禅がちゃんとできるようになれば、考えなくてもおのずから聡明になってくる。考えることをやめると、ほんとうのところが見えてくるのだろうね。「何もならん」ことをやると、余計なものがとれて感覚器官がより透明にピュアになることが実感として理解できる。

ひたすら坐ってお掃除していくだけよ。


きょうは楽しいひなまつり。でした。

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昨年亡くなった伯母が好きだった桜餅と叔母がつくったちらし寿司