アシュタンガはプラクティス
能書きばっかり垂れている自分の愚かさに気づいて、パソコン、インターネットからなるべく離れ、代わりにお釈迦さま、道元禅師、澤木老師とできるだけお近づきになり、かつてない頻度で坐っているこのごろ。アーサナ練習は1日1回だけど、坐禅は1日何回坐ってもいい。
そうしたら、それはそれは見事に、さまざまなことが見えるようになってきた。「何にもならん」はずの坐禅のパワーには、正直驚かされます。禅がどれだけいいかを吹聴してるヒマがあったら坐れよという話です(と言いつつ吹聴してるけど)。
ヨガも禅も、兎にも角にも、まずは実践なんですよ。
アシュタンガのポーズのあれができたとかできないとか、柔らかいとか硬いとか、そんなこと云々する前に毎日練習せよってことです。
それなりの期間練習生を見ていると、とにかくきちんと定期的に練習していれば、より本来の純粋な自己に近づいていることがわかります。ちゃんと練習していさえすれば間違いはない(CHAZENに限っての話ですが)。
それは1日も休まずとか、調子が悪いのに無理しても練習しろということではなく、むしろその日のコンディションに合わせて練習内容を軽くしながら、あるいはあえて休んだり、坐って呼吸するだけとかでもいいわけです。とにかくなんらかの実践練習なしに、汚れや曇りはとれていかないんですね。
頭で理屈を考えたり、この練習をした先になにがあるかとばかり考えて、肝心の練習は「行ける時だけ」だとしたら、それはもうまったく私の考えるアシュタンガじゃありません。アシュタンガをやると決めたら、ただ練習する。それだけです。
ただ練習あるのみ。それが始まりであり、すべてです。