CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

あるとき突然......

某嬢が今朝、バックベンドからのカムアップに成功した。
執着しているようには見えなかったけれど、長い道のりには心中穏やかでない時もあっただろう。寒くて暗い冬のあと桜の花が咲いたような気分が味わえたのではないかと思う。ポーズなんてどうでもいいと言いながら、ここは私も悩んだところなので自分のことのように嬉しかった。

長い冬があるからこその春の歓びなのだ。
最初からなんでもすぐできてしまったら、アシュタンガの面白さは半減するにちがいない。そして、実はこの冬の味わいこそが果報で、成功したこと自体には自己満足以外のメリットはない。......ということに気づくと、ますますアシュタンガヨガがおもしろくなること必定。


ところで、4月からの新学期に備えて、ヨーガ・スートラクラスのテキスト作成のため、サンスクリット語と格闘する日々が続いている。来月以降は田んぼも始まるし、ベランダ作務など雑務が忙しくなるので、今のうちに今年分の日本語訳を全部やってしまおうという算段である。

年明けからずっと漢文寄りの仏教の本を読んでいたので、久しぶりのサンスクリット語はやっぱり「格闘」であった。原文の誤植やゆれが結構あるので、それをチェックするのにいくつものソースをあたったり、チャンティングの音を聞いて確かめたりする上、読解するのにまたあちこちを参照して(読解というよりは解読)という大騒ぎ。机いっぱいに大きく店を広げて謎に取り組んでいると、だんだん面倒になってくる。そのうちひどく疲れてしまって、悪魔の囁きが聞こえてくる。

なんでこんなことしてるんだろ。
一介のヨガ教師が何もサンスクリットから訳さなくてもいいじゃないですか。
偉大な先生方の訳文そのままでも十分じゃないのか?

そのうち本気で自分の脳力の弱さについての考察を始める。勉強ができる人というのは持久力がある人なんだ。私は昔から机にかじりついていられなかったからなあ......などと、頭のボヤキが止まらない。

でも、スートラクラスをやるならサンスクリット語からと思って進めてきたことだ。まあ最初はチャンティングだけで読解まではするつもりなかったのだけど、やり始めたらそう思うようになったのだから、第二章だけはやり遂げよう。

仕方なしに(!)とにかく連日取り組んでいたところ、今日ふいに目の前が明るくなった。暗がりを手探りで進んでいたら突然一筋の光が差し込んできたように、あっち見てこっち見て解読しなくても、一読してスルスルっとわかったのだ。これはサンスクリット語の読解に取り組んでから初めての経験。あ、いや、もちろんまだぜんぜんわかってはいないのだけど、パズルが解け始めてきたあの感触が初めて味わえた。

うんうん唸りながら取り組んでいるうちにあるとき突然視界が開けるというこの体験は、まさにカムアップができたときの感覚に同じ。晴れやかな、スカッとした気分だ。これは存分にシャバ世界的な成功体験ではあるけれど、修行を続けるための大きな励ましにはなる。

長いと思った冬も、宇宙規模で考えればほんの一瞬。冬のあとは必ず春が来るし、その春さえも一瞬で、めぐりめぐってまた冬になる。すべての季節を味わって、楽しんでいくだけよ。


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お山の春はもう少し先......