Maty Ezraty先生が滞在中の東京で急逝されたという話を聞いて驚いた。
原因は特定できず、ホテルで眠っている間に亡くなったということも、私より若かったということも、まさかとしか思えない事実であった。
というのも、私はもともと自分の性格や家系的なデータから見て長生きはしないと思っていたのが、ヨガを始めてから寿命が延びたような、もしかしてご長寿さんもあるかもというような気がしていた。それが森の家のことに大きなエネルギーを注ぐうちに、これは急転直下で短命コースかもしれないと思うようになっていて、茶禅会のときなどにそんな話をしていたところだったからだ。
マティ先生には一度だけワークショップで指導していただいたことがある。
たった一度だけなのだけれど、印象は強く、深く刻まれている。そのとき間違ったアライメントの例として参加者の前で修正されたことは今でも私のアーサナ練習の礎となり、アライメント指導の指針にもなっている。マティ先生はその意味で恩人とも言える。
そのころコンビで教えられていたパートナーのチャック先生の教えもまたすばらしく、人柄的にもチャーミングなお二人であったけれど、「たった一度」だけだったのはその後私は明確に伝統的なアシュタンガの方向へ進んだからだ。お二人はアシュタンガヨガの偉大なオールドスチューデンツであるけれど、アイアンガーヨガとの「ハイブリッド」スタイルで教えられていた。たとえば、細かいアライメントを重視して練習中にあるポーズの準備としてエクササイズ的なことを盛り込んだりするスタイルである。
アシュタンガヨガは無理な練習で身体を痛めるものとしてヨガ界において非難されることが多いのだけれど、そのリスクが軽減されるとしてこのハイブリッドスタイルで行う指導者はけっこうたくさんいらっしゃる。思うに、グルジの時代にはやっぱり多くの生徒がケガに泣いたのではないか。昔の練習風景とか映像を見るとスパルタ式で恐ろしいことなさっているからね。
私自身はアシュタンガヨガを始める前にアライメント重視のヨガをやっていたので、最初はアシュタンガのテキトーさに違和感があり、たまにハイブリッド式の指導を受けると安心していたのだけれど、アシュタンガヨガへの理解が深まるに連れてそこから離れていった。
ハイブリッドということは「いいとこ取り」なハズなのだけれど、「いいとこ取り」によって本来のものとはかけ離れたベツモノになってしまうのだ。もっと言えば、瞑想からエクササイズになってしまう恐れがある。
もちろん、ケガをしないためのアライメントは大事にしたい。
そこで私が採用したのは、アライメントを大事にしながらも、練習の流れを極力妨げないやり方。人により、時により、プロップスを使うこともあるけれど、アジャストや練習を止めての指導は必要最低限にする。とにかく規則的な呼吸を続けることを最優先に練習するスタイルだ。
これはもしかしたら私流なのかもしれないけれど、アシュタンガと禅は同じライン上にあるものと考えている。禅を理解すればするほど、アシュタンガヨガの理解も深くなったように思う。
アイアンガーヨガはそれでそれですばらしいし、昔インドのゴアで受けたひと月のトレーニングもアシュタンガではなくアイアンガーヨガ的なものだったから、私のアーサナのベースはむしろそっちだ。それだけに、ハイブリッドはベツモノと言いながらも複雑な心持ちでマティ先生のことを思い出しているのかもしれない。
マティ先生には、ワークショップを受けた12年前からずっと10才くらい年上のようなイメージを持っていた。小さくて見た目も振る舞いもキュートだったけれど、何しろヨガ界の大御所であり、ヨガの黎明期にYoga Worksを立ち上げて、私なんぞがヨガを始めたころにはすでにそれを売っていたのだから、どう考えても一つ上のジェネレーションだと考えていた。
お若いころにさまざまことを成したがゆえに、このように早く天に召されたのか......。
ともあれ、マティ先生のご冥福をお祈りするとともに、そのような方に一度でもまみえることができて、大きな指標を得ることができた幸運に感謝するばかりである。