CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

砂マンダラのように

ごきげんよう
鳥の声が「トルティーヤ♪」と響く朝。54日目の山籠もり日記です。

ぐずつくお天気で再びストーブを焚く毎日です。今日は特に寒い。湯たんぽをくるんでいた毛布にしゅーたろさんを入れてやったら、気持ちよさそうに寝ています。

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ほんとは自分がそこに足を入れたかった


きのう午後3時すぎ、土の中に水分がある今がチャンスと思い立って、モミジの移植を始めました。近くにカラマツなどが乱立しているために斜めに生えており、近くには4本同じ感じのモミジがあるのです。そこそこ大きい木なので、ほんとうならばまずグーグル先生に移植の仕方などを伺うべきなのですが、ちょっとやり始めたら止まらず。

根が広がっていて掘り出すのがたいへんで、植え替え先になんとか立たせたら家の中からワン!と声が聞こえて時計を見ると5時。4時に夕ご飯なのを1時間も超過していたので、部長がご立腹です。

はいはいと泥だらけの長靴を脱いでご飯をやってから、再び土を盛って、添木の代わりにクリの木に縛り付けて出来上がり。

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留守の間に倒れたり枯れてしまわないといいのだけど......


庭でなにかをしているときは、これをさせているのは私ではなくイーシュヴァラ(自在神)であるような感じがします。
ダーラナ・ディヤーナ・サマーディな時間です。
さらには、毎朝の坐禅よりも確実に只管打坐、というか只管打植です。

その集中っぷりや目的のなさがあまりにも瞑想的だと思っていたら、砂マンダラという言葉がやってきました。

そう、これはチベット僧が砂で描く曼陀羅のようなものです。
砂マンダラが瞑想のツールであり、作品を作るのではなく描いたら流してしまうものであるのと同様に、私のも庭を作るというよりも、ただ草を抜いたり、土を掘ったり、あっちのものをこっちに移動させたりしているだけの砂遊びなのでした。

東京のCHAZENでベランダの植物をいじっているときは「ガーデニング」の感覚なのですが、ここではまったくそういう気がせず、ひたすら瞑想でした。お砂場遊びだと思っていたものは実は強力な修行ツールだったのです。

これこそが山籠もりの最大の収穫。マイソール、永平寺に続く修行の聖地は山の分校でした。

大逆転がない限り来週は本校に戻ります。


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アジサイのようなオオデマリが美しい......


それではまたそう遠くないうちに。