山籠もり日記番外編「駅に着くまでが遠足です」
お山から下りて来る日。
駅までは歩くと決めていました。アップダウンの厳しい別荘地内を毎日ランニングしている人を見ていたら、時間だけはふんだんにある今、5キロくらいの道のりにタクシーなど呼ぶ意味がわからない。
しかし、あの、大雪の翌日に歩いたときよりも負荷が高くなっています。まず、いつもの道が工事で通行止めで、距離も遠くアップダウンも激しい迂回路を通らねばならないこと。そして、部長が一緒なこと。
いつもの道でひとりなら徒歩60分で着きますが、迂回路なので90分をみて、10時32分発の電車に乗るよう9時に出発しました。9時18分、まだ別荘地内です。
別荘地を出て山を下っていきます。
山フジが満開ですが、あのツルの怨念じみた絡まり方を知ったあとでは少し複雑な気持ちで眺めてしまいます@9時35分。
下りたところは地元の集落で、田んぼや畑が広がる風景はいつもの道よりは牧歌的で歩くのは楽しいですが、木陰が少なくて暑いのが難点です@9時50分。
ここらで、もはや10時半の電車に乗るのはあきらめました。この先こそがきつい登り坂なのです。大荷物とともにダッシュは無理です。新幹線はガラ空きのはずだから指定などとっていないし、もとより急ぐ必要がまったくないのです。ただ、その次の電車は11時9分なので、ビミョーな待ち時間になりそう。だったら途中でフラフラしながら、遠足気分で行こうと決めました。
ということでさっそく、釣り人のいる渓流に立ち寄り。
「釣りながら魚を育てる」というコンセプトで、ルアーとフライのみOKと書いてあります。よし、次のお遊びは釣りだな@10時08分。
さて、いよいよ登り坂にさしかかり、もっさりとカートを押していると、背後で車が停まる気配。もしや知り合い?と思ったらまったく見知らぬ人。60代とおぼしき女性が「どこまで行くの?」と。駅までと答えると「乗ってく?」。
なんていい人なのでしょう。なのに気づいたら「大丈夫です。ご親切にありがとうございます」と答えていました。
遠ざかる車に向かって、あの方に神の御加護がありますようにと感謝の祈りを捧げたあとで、せっかく声をかけてくださったのに乗せてもらわなかったことを激しく後悔しました。声かけるのだって勇気がいるのだから、ありがたく乗せてもらったら、あの方も1日気分よく過ごせただろうに。どうしても乗れない理由があるわけでもないのに、本当は乗せてもらいたいのにお断りするなんて......。電車で席を譲られるようになったら、すなおに座れる老人になりたいな。
昨年の台風で土砂崩れがあったらしい場所。根っこが半分土に埋まっているので倒れた木の葉が繁っている@10時25分。
ガードレールが衝撃で道路から剥がされて、でもこちらは倒れないで曲がって立っている木もすごい。
と、カートの部長が降りたそうにフンフン騒ぎ出しました。
え? まさかこんな急坂を歩くですと?
しかし、急坂ゆえに私もノロノロだし、どっちにしろ時間はたっぷりあります。カートから下ろして差し上げると、おお、軽快な歩みではござらぬか。さすが師匠。車の通りが多くなる道までのわずかな距離でしたが、なんともいい時間でした。
そうしてようやく信濃追分駅に着いたのは10時50分。
分校を出てから2時間近く。
新幹線で軽井沢から東京、乗り換えてCHAZENに着く時間をかけてやっと最寄駅に着くという、まさにスローライフの最後を飾るにふさわしい旅。なかなか貴重な体験でした。数日間の滞在でこんなことしようとは思わないですから。ヒマがたっぷりあるってすばらしい。
それに、こんなときでもなければ、ベビーカーのように幅をとるカートでは公共の乗り物には乗れません。予想どおり、しなの鉄道はもとより、新幹線も、中央線・総武線も空いていて、誰にも遠慮せずにカートを広げたまま帰ってこれました。こんなことは最初で最後でしょう(であってほしい)。
思えば私はいつでも、自ら障害を作ってはそれを乗り越える遊びをしているのでした。平坦な道を歩けないタチなのに、なぜシャンティになる修行をしているのかはナゾです。