CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

シーシュポスの神話のような......

訂正追記:昨日「シーシュポス」のことをすへて「シューシュポス」と書いていたので訂正しました。そんなにシューと言いたかったのでしょうか......。

雨に祟られてさんざんな3日間でした。
この時期の2週間でどれだけ雑草がはびこるのかは、田んぼの経験でよくわかってはいましたが、先月まできれいに保っていただけにその繁殖っぷりを見たときは倒れそうになりました。

着いた日は大雨すぎて手出しできず、翌朝は早朝から作業。雨上がりの早朝は虫の集中砲火を浴びに行くようなものです。完全防備で出陣したつもりが、帽子に被せて使うタイプのネットのゴムが劣化してゆるんで隙間ができていたらしく、額を二箇所もブヨに刺されてしまいました。昨年のようにまぶたでないのは不幸中の幸いでしたが......。

しかし1日で片付けるにはあまりに広範囲です。しまいに手は腱鞘炎でものがつかめなくなるわ、ずっとしゃがんでいたので脚がこむらがえりになるわ、寝不足もあって疲労困憊。いつもと違ってつらい作業に感じられました。しかも、こうして苦労して草取りをしたところで、次に来たときにはこの努力がまったく報われなかったように雑草が広がっているのです。

雑草を抜きながら、カミュの「シーシュポスの神話」を思い出していました。
ギリシャ神話に出てくるシーシュポスのお話で、神を欺いたシーシュポスが罰として巨大な岩を山頂に運ぶことを課せられたのですが、あと少しで山頂というところでこの岩が転がり落ちてしまい、それを永遠に繰り返すのです。

2週おきに短い滞在をするのでは、毎度前回の草取りの努力が水泡に帰し、まさにシーシュポスが神から課せられた罰のように感じられるのでした。

しかし、きっと人生とはそういうものなのです。
寝て起きて、食べて出して、会って別れて、作っては壊す。もっと言えば、生まれては死ぬ。すべてはうつろうのですから、結果が報われることなどないのです。

そんなー!
と思ったみなさん、だからといって人生が虚しいものだなどとは言っていませんのでご安心ください。CHAZENの座学に出ている人はもうおわかりだと思いますが、報いとはその努力(行為)そのものにあるのです。今回のちゃみさんの例で言えば、草取りそのものを楽しむことができればそれが報いなのです。もしも、暑くも寒くもなく、虫に刺されたりしなければ、鼻歌うたいながら機嫌よく草取りを楽しんでいたでしょう。

しかし、雨に阻まれ、虫に噛まれ、まるで罰ゲームのようだと思ったところに「苦」が生まれます。この二元的な条件に制約されている限り、ちゃみこさんのシャンティも条件づけられたものでしかないということです。おのれの凡夫っぷりに改めて感心しました。

さらに言うなら、鼻歌うたってゴキゲンな私があるから、悪条件にフキゲンな私があるのです。降っても晴れても、暑かろうが寒かろうが、虫が刺そうが刺すまいが、いつも同じテンションでいることができれば、それこそが寂静の境地なのです。


3日目の朝は、疲れもとれて手も動くようになっていたので、上下カッパを着込んでやり残しの作業を始めたのですが、どんどん雨が激しくなってきます。体調を崩してはコロナの奴隷になりそうなので、小一時間働いたあと尻尾を巻いて退散してきたのでした。

それでもひとつ片付いたことがあります。
大雨時の雨水迂回策のために置いてある暗杉くんの位置を移動してもらうようにお願いしてあったのですが、雨の降っていないタイミングで来ていただくことができました。

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男性4人がかり


先日、東側にある小ぶりの木を何本か伐採してもらったら、だいぶすっきりしました。伐採した栗の木は薪の長さに切ってもらい、ゲストの薪割り体験用にとってありますよ。どうぞお楽しみに。

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家の前に山積みになっているのがソレ


夏の分校マイソールの詳細は間もなくお知らせできるかと思います。

それから、21日のヨーガ・スートラクラスですが、CHAZENで受講される方は19日までにお申し込みください。オンラインで受講される方は当日朝のご連絡でも大丈夫です。