CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

目指せBeTuber

本日はベルリンの星覚さんによるオンライン坐禅会でした。
ステイホームだった5月にできたらよかったのですが、そのときは私の準備が整っておらず見送りに。

「オンラインで坐禅ってどうよ?」
はじめは私もそう思ったように、参加をためらう人もいましたが、オンラインのよさは遠くにいる人とつながれることにあります。特に海外にいる人と一緒に坐禅できるのはオンラインならでは。一度はベルリンにいる星覚さんとオンライン坐禅会をやってみようと思ったのでした。

「オンライン坐禅会なかなかいいかも」
そう思ったのは私だけではないはずです。特にやり方次第でオンラインもいい感じになることがわかりました。

星覚さんの提案で、カメラとマイクをオフにして星覚さんの声(ガイド)だけで坐禅をしたのですが、それがひじょうに効果的でした。目を瞑って音だけに意識を向けることで、言葉のひとつひとつが響いてくるのです。星覚さんが今目の前にいて坐禅のガイドをしたのであれば、参加者はまず目で星覚さんの姿を見ながら身体を動かします。そのとき、視覚による情報に圧倒されて聴覚はおろそかになり、言葉にはさほど意識を向けていません。

オンラインでモニターを見ないということは、指導する人はもちろん、他の参加者の動きも見えないため、自然と耳からの情報に集中します。視覚がさえぎられと身体の感覚をキャッチしやすく、おのずと雑念も少なくなります。オンラインということで短めの坐禅にしていただきましたが、もっと坐っていたかったという感想が上がったのは、静かな状態で坐れたからでしょう。

坐禅の後はカメラとマイクをオンにして茶話会。
たくさんのいいお話が聞けましたが、本日のハイライトは「只管」。只管打坐(しかんたざ)というのは、ただひたすら坐禅をするという道元禅のエッセンスのことです。これはアシュタンガでいうところのPractice! Practice! Practice!にも通じるものがあります。禅もアシュタンガも実践第一なところが似ていると私は思っています。

只管というのは「ただひたすら」という意味ですが、これ実は文字通り「只の管」ということでもあるのです。

苦悩は頭から生まれます。人間は頭でいろいろなことをでっちあげては、そのでっち上げに縛られているのですが、生まれたばかりのころはそうではなかったはずです。赤ちゃんの生活はとてもシンプルで、おっぱいを飲んでオムツを汚す毎日であることを思えば、私たちがそもそも只の管だということは想像できるでしょう。

タダのクダとしての存在に戻ること、それが坐禅です。星覚さんはそれをYouTubeになぞらえて "BeTube"と言っておられました。

時代の波はBeTubeです。
YouTubeの流行りはいつまで続くかわかりませんが、BeTubeなら一生続けられます。目指せBeTuber!です。


あ、こんなことをグダグダ書いている私こそ、タダのクダになるべきですね。

師匠がお手本です。

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年齢とともにBeTuber風味が増す