CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

謹賀新年2020

あけましておめでとうございます。

今年もCHAZENのお正月は元旦レッドで賑々しくスタート。
願わくは「賑々しく」よりは「厳かに」スタートしたかったのですが、部長殿が元気すぎて対応に追われるわ、サンスクリットのカウントがいつにも増してすっとぶわ、カウントの間に部長がゲップをするわで、ほど遠く......。

それでも、元旦レッドはいいです。
一年の始めにこれをやると気持ちが締まる。まさに、しまっていこーぜー!という感じであります。レッド終了後は久しぶりにアーサナの名前選手権もやって、笑顔たっぷりで2020年が始まりました。


いい流れに乗るよう、さっそく今年の所信を述べておきます。

  1. 神楽坂での「朝ヨガ」普及(布教?)
  2. 森のリトリートの本格稼働

神楽坂でも軽井沢でも、新しいご縁がどんどん生まれることを願っています。
ヨガが人生最強の伴侶となり、毎日が真に充足して楽しくなる人が続出しますように。


それから、ヨガは個人のプラクティスですが、「チームCHAZEN」が一丸となり、個々の精進を支え合うようになったら最高です。まずは田んぼに代わる部活を始めますかね?

「チームCHAZEN」は団員を絶賛募集中です!

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


恒例の正月写真を撮り忘れていて、さきほど部長を叩き起こして撮影。

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不機嫌そうなのはそのためです

今年の一枚

今年はキョーレツな年でありました。
お付き合いくださいまして、誠にありがとうございます。

シュー部長はみなさんにかわいがってもらい、今年も幸せ者でした。

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かわいがってもらうこと、おやつをもらうことに命かけてます


いろいろあった一年ですが一枚選ぶとしたらこれでしょう。

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明るい農村・飯田橋


みなさまどうぞよいお年をお迎えください。

年末年始のCHAZEN

本日からCHAZENはスタートが8時の年末年始マイソールとなっております。
例年だと、この初日だけはどどっと押し寄せるように人があふれ、ウェイティングなども出るのですが、きょうはパツパツだったものの順番待ちまではいかず、若干拍子抜けな風で始まりました。

茶禅会も常連さんオンリーの少人数でした。
禅はやはりちょっと難しそうな、CHAZEN学園の大学なのでしょうか。

来年は禅の会をもう少し盛り上げたいので、ときどきわかりやすい企画もので体験入学の試みをしていきたいと思います。みなさん来てね!


明日30日はマイソールのあと陰ヨガがあります。
こちらも少人数ですので当日飛び入り参加も可能です。ぜひどうぞ。


そして元旦は恒例のレッドクラス。
このレッドはたいへん人気で、すでに定員を3人ほど上回っております。


いつもなら、早くお山に行きたい症候群になる私も、年末年始は東京がいいですね。
街が静かでのんびりしている。

冬は外で作業はできないと思うので、月に一度さらっと様子見に行く程度。リトリートのための場所も私にとってはくつろぐところではなくて作業しにいくところなのです。

というよりも、春になったらお山でやること満載なので、今は東京で来年のCHAZEN学園をどうするか考えながらワクワクしておきましょう。

〜〜〜♫


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薪ストーブは恋しいけど......

CHAZEN学園

知れば知るほどそのすばらしさに気づくようになった佐保田鶴治先生のことは、昨年何度か記事にしたのを記憶している方もありましょう(言葉遣いが佐保田調に......)。

chazen.hatenablog.com


その佐保田先生が「ヨガは宗教か」について語られている中で、ヨガを一つの学園だと言っておられます。
以下、引用はすべて佐保田鶴治著『ヨーガ根本経典』平河出版社刊 より

ヨーガは一つの大きな学園です。この学園には幼稚園から大学院まであります。この学園に入園すれば、幼稚園から始めて順序よく教育をうけて、能力さえあればそれほど無理をしなくても大学院まで進むことができます。ところが、他の高等宗教には、大学や大学院はあるが、高等学校以下の学校を欠いている場合が多いのです。

CHAZENは小規模ながら、この学園のようなものだと私は考えています。もっと遠慮がちに言えば、一貫した教育を行う学園のようでありたい。入学して登校していれば、エスカレーター式に大学院まで進むことができる学園。

名門ではないのでお受験はありませんが、どうもアシュタンガ学園と聞いただけで難関と思われてしまう傾向があります。しかも「毎日」をスローガンにしているから、選抜試験をせずとも、優秀な生徒ばかりが集まってしまう。

もっと誰もが気安く始められる学園でなくては......。そう思って「朝ヨガ」を始めることにしたのです。

アシュタンガヨガのことをなにも知らずにCHAZENでヨガを始めた人たちが、ヨガを知るほどに、楽しそうに練習を継続しています。その人たちには「アシュタンガヨガをやっている」というような特別な思いがなく、たまたま縁あって始めたヨガを楽しんでいるだけです。

それがいいんですよね。
もちろんアシュタンガヨガのなんたるかを理解しようという動機でマイソールを始められたらすばらしいですが、アシュタンガヨガをかじった人ほど、ポーズのイメージが先行して間違った認識をもっていることが多いように感じます。

アシュタンガヨガは実にすぐれたシステムですが、ポーズの上達はモチベーションアップのツールにすぎません。昨日書いたように、技術を追い求めるあまり、本来の道から逸れてしまうこともあるくらいですから、柔軟性など必要ないわけです。

とはいっても、一歩が踏み出せない人、体力に自信がなかったり、痛みがある人、毎日は無理という人のことも理解できます。

それで「朝ヨガ」なのです。

ただ単に早起きして、ほどほどにカラダを動かすという習慣をつくる。それをCHAZEN学園の初等科として設置してみました。入学は随時受け付けています。義務教育ではないのでずっとのんびり初等科ですごしてもいいですし、アーサナをもっとやりたくなれば中等部のアシュタンガヨガコースに進むこともできます。そして、初等科に通いながら、高等部や大学である哲学クラス、あるいはオプションとして用意されている禅のコースを選択することも可能なのです。

ヨガには他の宗教との両立が可能な、自由さがあります。
ヨガを深めるのにヒンドゥー教徒である必要はなく、思想としては禅や仏教の教えを取り入れながら、アーサナやプラーナーヤーマを修練することも可能です。マットの上だけが練習の場ではなく、24時間を禅の精神ですごすことで、道に迷いにくくなります。

佐保田先生も言っておられます。

特定の信条やドグマや信仰形式にとらわれないから、ヨーガは他の宗教と対立することはありません。......ヨーガも一定の形をもった宗教ではありますけれども、他の宗教は捨ててしまえ、などとは申しません。むしろ、ヨーガで心の田地を養った上で、他の宗教に入られたならば、その宗教のほんとうに善い処がわかるようになるでしょう、と言います。ヨーガをやれば、真のキリスト者、真の仏者になれる、とヨーガは言います。それはちょうど、高等学校までヨーガ学園で学んで外の大学へ入学するようなものです。


それにしても、なぜ私がことほどさように朝練を勧めまくるかと言えば、朝練を始めてからの練習生たちの変化を見ているからです。それぞれが輝いていくのを目の当たりにしているからです。朝ヨガを続けた先にある心身の浄化をひとりでも多くの方に実感してみてほしい。それは頭で考えるのではなく、とにかく実践してみないことにはわからないのです。

「朝ヨガ」はごく簡単な、たとえて言うならラジオ体操のようなものでしょう。
ラジオ体操なら習わなくても家でもできると思うかもしれませんが、その簡単なラジオ体操をひとりでちゃんと続けられる人がどれだけいるでしょうか。最初は週に3回、とにかくCHAZENに寄ってから仕事を始めるというルーティンを作ることから始めてみてください。

2020年、何か自分を変えていきたいと思う方にぴったりです。もちろんアシュタンガヨガからのスタートも大歓迎です。

ヨガと禅の間

日本の学者先生が書かれたインド思想方面の本を読んでいると、必ずや仏教との関連に言及されるのが興味深い。

ウパニシャッドに関する本に、「自己(アートマン)が不生不滅、常住不変であるというウパニシャッドの記述に関して、それがお釈迦様の説いた非我説に引き継がれ、さらにサーンキャの二元論になった」ということが書いてあった。

おもしろいと思うのは、ヒンドゥー教徒からするとヴェーダを経典としない仏教は外道と言われ、六派哲学などの仲間にも入れないのであるけれど、サーンキャつまり「ヨーガ・スートラ」の思想とつながっているということ。

ヴェーダを経典としない仏教であってもそこにはヴェーダの神様が多数登場するし、思想の大元をたどればウパニシャッドに端を発するのだ。

その箇所をノートに書き留めておこうと開いたら、ノートにはまた興味深いことがメモしてあった。

いかなる楽しみを奪われたときにも得られる安楽の境地


中村元先生の著書にあった「ヨガと禅」という項目から書き留めておいたものなのだが、坐禅で得られる、あるいは目指す境地についての記述と思われる。

さらに、ヨガと禅の違いについては次のようなことがメモってある。

ヨガは修行によってある程度の神通力(超能力)が獲得されるが、禅ではそれを邪道と考え、むしろ日常で飯を食べ、茶を飲むというようなありふれた生活に偉大な神秘があると説く。


この部分を読んで大いにうなずきながら書き留めている自分の姿が想像されるが、今読んでも新鮮な、短い言葉でうまく捉えている記述だと感心する。


ルーツと目指すところを同じくして、また修行方法にも似た点があるヨガと禅であるが、両方を実践していると相違点について思うことも多い。

たとえば、ヨガは手放すことを謳いながら、獲得することばかり目指すようにできているなと思う。ハタヨガはテクニックによってある境地に達するものであるから、常に技術の習得が第一義である。そして、テクニックを追求するあまり、エゴのかたまりになることが多い。アシュタンガヨガのアーサナへの執着は、そのわかりやすい例かもしれない。

それゆえか、何十年も実践していながら、最終的に間違った方向へ行く指導者も多い。特にメジャーな先生が次々とスキャンダルにまみれるのは、彼らの目指すものが一般社会的な成功だったことの証左だろう。

禅は、インドの仏教が中国から日本に伝わり、矛盾や無駄を削ぎ落としながら日本らしく洗練されていったものだから、日本文化を美しいと思う私にはとてもしっくりくる。私のまわりにいる禅の先生方は人間としても尊敬できるし、お釈迦様の教え自体がたいへんよくできていると思う。

ただし、ヨガの身体的な効果は禅には決して見いだせないものであるほか、禅は入り口が広くて誰でもできる割に、出家でもしない限り継続して実践することが難しいように思う。お遊びの要素がなさすぎて、志の高い人でないとなかなか続けられない。

禅は洗練されているだけに、高尚すぎるのかもしれない。
そして理解することが難しいと思われているのかもしれない。

それでCHAZENでおすすめしたいのは、ヨガからスタートして禅につなげる道だ。
楽しくて、毎日がすがすがしくなり、またやりたくなるヨガの練習からスタートして何年か親しんだあとで、徐々に獲得する練習から獲得しない練習に移行していけたら理想的なのではないかなと。

もちろん、最初から禅で行ける人は並行していくのがいいし、ヨガだけでいいって人に無理に禅を勧めはしない。

ただ、CHAZENはやっぱり両方を取り入れて相互補完的なプラクティスを理想としたい。
それで考えたことを明日また書きます。

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森chaの庭に落ちていたカリンの実、香りがいい

リニューアルのスートラクラス、そして朝ヨガ

2年と8カ月でようやく『ヨーガ・スートラ』1章〜2章までを読み終えました。
特に昨年からの第2章は、サーンキャ哲学からアシュターンガヨーガ(八支則)までが、短い経文の中で濃く説かれていて読み応えのある内容でありました。私のハイライトは昨年、サーンキャ哲学の理論を講義していたとき。アレをどうやったら理解してもらえるか考えるのがとても楽しかったのです。

アシュターンガヨーガのパートに入ってからは、できるだけ自分の体験から解説してみました。ほとんどの人は毎日の練習がますます好きになったような、そんな手応えを感じました。実際、スートラクラスを続けるうちに練習熱心になった人が一人や二人ではないのです。

第3章からは書いてあることがマニアックになるので、それも読みつつ、呼吸法や瞑想の実践を取り入れたり、1章、2章の内容に戻って考察したりして、できるだけ今までのような日常に役立つ内容に落とし込んでいきたいと考えています。さらに踏み込んで、ヨーガとはなんであるかを立体的にとらえていければ言うことなしです。それでクラスの名前を”『ヨーガ・スートラ』のヨーガ” にしました。

www.chazenyoga.com


ところで、CHAZENのウェブサイトを更新して、新しく「朝ヨガ」というページをつくりました。アシュタンガヨガというと構えてしまう人が多いのですが、もっと気軽に、ラジオ体操のように朝ヨガを習慣にしていただけたらということで、アシュタンガヨガとは別にしたのです。

www.chazenyoga.com


これで、朝ヨガ、アシュタンガヨガ、リトリート、哲学、禅とメニューが増えたのですが、実はどれも同じことです。すべてがつながってひとつなのです。だから、スートラクラスでは禅を語り、禅のクラスでアシュタンガヨガを語り、と境界線はあるようでない。さらに言うなら、田んぼの活動さえもつながっているので、お米を作ったらまた理解が深まるというからくりになっています。

ええ、ワタクシ引退どころか、やる気マンマンです。
もっと多くの人を朝ヨガ習慣に巻き込むべく試行錯誤、獅子奮迅してみます。こんなすてきなこと、知らないでいるなんてもったいないですからね。


やる気マンマンといえば、今日のスートラクラスでは部長が元気すぎてヤバかったのでした。
マイソールクラスのときから活発だったので、早めにごはんを与えて寝てもらおうと思ったのですが、一向に寝ないであっちこっちウロウロしたり、お気に入りのお姉様方にちょっかい出している。

ちょうど今日のテーマがプラティヤーハーラ(制感)で、目や耳などの感覚器官が対象を捉えてしまうのを引き戻す、つまり見えるものや音に反応しない、相手にしないという内容だったのですが、ちゃみさんがあえて仕込んだと言われるほどに受講者の感覚器官を挑発する部長でした。

ついには、最近後ろ脚が弱っていて不能になっていた「マウンティング」に挑んでいます。
ちょっと前までなら即座に「何やっとんじゃ〜ごらあ!」と鉄拳が見舞われるシーンですが、今日は「おじいちゃん、がんばれ!」と声援された。あまりのお達者ぶりに、このままポックリ逝ってしまうのではと心配になったくらいです。

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あれ〜、部長やめてください


私のやる気が伝染した?

年内にもろもろの企みをアップしていきますね。

お山にも贈与の連鎖

先日、岐阜のA嬢から、今年もお義父さまが丹生込めて育てたという自然薯(山芋)を送ってくださると連絡をいただいた。昨年私が大喜びしたのを覚えていて、ヨガの先生に送ってと持ってきてくださったのだという。

感激なり。
お山に行く前で受け取るのが翌週になってしまうため、リトリートハウスのほうへ送っていただいた。

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この書(手書き)がトレードマーク


とってもおいしくて、ウホウホしながらありがたくいただいた。

そして、お向かいのサトワ&アルバちゃん(イングリッシュセッター犬)ちにもお裾分け。いつもいただいてばかりの「もらいっぱなし」だから、やっとすてきなお返しができてよかった。

......と自己満足していたら、ほどなくして2匹のお母さんがりんごをたくさん持ってきてくださった。なんでもりんごの木のオーナーになっていて、先日自ら収穫してきたのだそう。

うーむ、レベルの高い贈与の連鎖だ。A嬢とお義父さまの力によるものだけど。


話変わって、先日アップしたフィンランドの斧フィスカースについて、某嬢から耳寄りな話を教えてもらった。
フィスカルスというのはハサミなどで有名な工業の町だったけれど、今は製造拠点がアメリカに移り、フィスカルス村はアーティストの村として再生しているのだそうだ。マイ斧もフィンランドではなくアメリカ製らしい。

いつかフィスカルス村とムーミン谷に行ってみよう。

フィンランドといえば、この夏までCHAZENで練習していたN嬢が日本を離れる前に、編み物の上手なM嬢にフィンランド式の靴下の編み方レシピを渡したそうで、M嬢がそれを見て私に靴下を編んでくれた。こちらは贈与の連携プレーとでも言おうか。

お山では室内にいるときはずっと着用している。あったかくて、履き心地がいいの。

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ピンクのはアシスタント嬢用


クリスマスを前に、この私にできることはなんだろう。何を贈ることができるのだろう。
身に余る贈り物ばかりいただいておる私は悩んだ。

鎖編みしかできない私は、あくまでも享受するだけのプルシャくん。
もどかしい思いで悶々ともだえるだけの無芸大食・無為徒食。

ひとまず感謝と愛のエネルギーを宇宙空間に送っておこう。ビビビビッ。