憧れの軽トラで
ごきげんよう。
「おまえの話はつまらん!」
大滝秀治の声が聞こえたような......13日目の山籠もり日記です。
最短でも5月連休明けまでの自粛が決まり、山籠もりの延長も確定しました。そこできょうはシャバに下りて買い出しをしてきたのです。食料はまだ足りているし、なければないで済ませることもできるのですが、ひとつだけ恋しいものがありました。
ミルヒー。
寒い時期には朝のチャイやほうじ茶ラテが朝食代わりの熱源であり、食事であまり脂質を摂らない私には牛乳の脂肪分が重要なのでした。自給自足の生活をするとしたら、牛を飼わなくてはならないと気づいた次第です。
さて、また長期分の食料が必要なのでさすがに歩きは現実的ではありません。別荘地の入り口でヒッチハイクとかも考えましたが、管理組合で軽トラ貸し出しサービスがあることを思い出しました。出したかった粗大ゴミ(戸板)もあるのでちょうどいい。憧れの軽トラでお買い物、とくればテンションも上がる。
かくして難なく食料補充ができて、困ることはほとんどない自主ロックダウンライフなのでした。山暮らしで気をつけないといけないのはケガや病気、特に不注意で部長にケガをさせないよう、また私自身も斧など使っているので気を引き締めております。
買ってきたものを置いて、お留守番していたシューたろさんを連れてセンターハウスに軽トラを返しに行き、帰りはお散歩。
お買い物に行っている間に、お願いしてあった屋根の高圧洗浄が始まっていました。自分ではできないことのひとつです。
シューちゃんとお家の間にある白いシートの下はウッドデッキの材料です。壊せても作ることはできないのでこちらもお願いしてあります。
屋根洗浄にデッキ作りで、今月は無収入なのに、出費だけがとんでもないことになっており......。しかも、個人的にただいま銀歯撲滅キャンペーン実施中で、歯医者への支払いもとんでもないことになっており......。
コロナが収束する前に破産するのか、コロナが収束したあとに牛が買えるお金が残るのか(牛っていくら?)。ヤギでもいいかも。
破産しても健康ならば出直せると先日断言したので、成り行きにまかせましょう。
ではまた近いうちに。
自動でスイッチオン
ごきげんよう。
間食はせずとも食事の量は男子高校生並みの与作です。ヘイヘイホー。
今使う薪は確保できたので来年用の薪割りをしていますが、太くてフシがあったり、うねっている薪に苦戦しております。割りやすいものは2〜3回斧を振り下ろせばいっちょ上がりのところを、難物は100回くらい振らなければなりません。きのう太いの2つ割ったら疲れすぎて、シューを寝かすつもりで自分が寝ていました。
難物を割っているとき、ものすごくバンダが入っているのを感じます。
なかなか割れないと、おりゃー、次で割ってやるぜ!などと親の仇のように渾身の力を振り絞るのですが、まあダメです。力めば力むほど割れません。
いかん、力を抜かなければと、吐く息とともに斧を振り下ろすと、今度は目指すラインを外してしまいます。
それで、力を入れるでもなく抜くでもなく、「気」を入れるようにしてみました。斬鉄剣を手にした五右衛門よろしく、斧を振りかざす前の一瞬、心を集中させて振り下ろす。これだけでかなり当たりがよくなります。そのときバンダを強く感じるのです。
肚で割っている、という感じがします。
斧を使って腕を動かしているのですが、割っている主体は肚というようなイメージです。これがもっと上手にできるようになれば、100回振らなくていいし、疲れてブログが書けなくなることもないでしょう。
アシュタンガを始めてしばらくは、バンダを探したり、バンダを使おうと努力したものですが、知らない間にそのシステムができていて、自動的にスイッチオンになっていました。それに気づくまでにまた時間がかかったのですがね。
気づけばさまざまなシチュエーションでバンダを使っていることに気づきました。何をするときにも効果的な身体の使い方ができるようになったということだと思います。
アシュタンガヨガの練習を10年20年と続けた上級者のアーサナは、ムダな力が入っていません。「やってます感」がまったくなく、自然にすぅっと流れるように動いています。そこまで練習すればただ身体が勝手に動くようになるのでしょう。
同じように、長年ヨガや禅を実践してきて体得したことは、非常時に際してもごく自然に自動的に発動するのだと思います。
「毎日やるのがアシュタンガ」の極意は、バンダにしても、非常時の心にしても自動でスイッチオンになるということです。習慣になってないと、いざというとき役に立ちません。繰り返し繰り返し、ただ実践する。それが何かを変えるパワーになるのです。
ではまた明日(たぶん)。
薬漬けがあやしい
ごきげんよう。
今朝、薪割りをしていたらふと「与作」という文字が頭に浮上してきました。
ヘイヘイホー。
昨日はたいへん失礼しました。
ふだんならボツにして寝てしまうところですが、きっとシューちゃんの写真を楽しみにしている人がいるのではないかと思い、突然終わったままアップした次第です。
チャールズ皇太子がアーユルヴェーダとホメオパシーでコロナを克服したという情報がありまして、しかし、チャールズ皇太子側はそれを否定しているのです。実際には普段からそうしているように、レメディも使ったでしょうし、アーユルヴェーダ的な何かもしたと私は想像するのですが、メインは西洋医学的な治療なのかと思います。
あるいは、今のこの時期にそんな非科学的な(どちらもWHOが認定していますが)もので治ったという情報が流れたら、いろいろな問題が生じてくる可能性があるので公には否定しないといけなかったのかもしれません。
はたまた、インド政府のヨガ&アーユルヴェーダ売り込み政策の勇み足だったような気がしないでもないです。
ただ、チャールズ皇太子にしても、エリザベス女王にしても、西洋医学に頼り切らない健康管理をしている人は抵抗力が強い、ホメオパシー的に言えばヴァイタルフォースが強いのだと思います。
ホメオパシーで治癒は語弊があるとしても、ふだんから自己治癒力を引き出すような健康管理(治療)をしている人はウイルスに強いのでしょう。
これはまったく私の推測でしかありませんが、COVID-19は特に西洋医学の薬漬けになっているような人にとって強敵になるのではないかと感じるのです。化学的なものをカラダに取り込んでいる現代人にとって特に脅威になるのではないかと。
感染が爆発しているのは決して発展途上国ではなく、むしろ経済の発展した国です。抗生物質やら何やらが使われすぎた国で感染しているような気がします。何の啓示なのでしょうかね。
ところで、私、この別荘地ではそうとうなへんてこりんの変わり者と見られていることを自覚しております。婉曲的に言ってもへんな人くらいには思われているだろうと推測できます。それでなるべく普通の人風に振る舞う努力をしているのですが、そこはもうカラダに染み込んだ変人らしさがあちこちに出てしまいます。
さきほどもついうっかり、ホメオパシーの話などをうかつにしゃべってしまいまして。
ヨガ社会の中であれば、むしろどんどん知ってもらいたいと思っていますが、一般の社会ではちょっとビミョーです。へんな人からあやしい人に昇格してしまうかもしれません。
ただし、目に見えないエネルギーの力、科学では証明できない作用などをある程度信じられる人であれば、結果的にうかつにしゃべってよかったとなるかもわかりませんが。
へんな人も普通の人も、早寝早起き・禁酒禁煙(夜遊び厳禁)・朝練(ヨガ)・適切な食事の習慣が大事だと思います。
ではまた近いうちに。
尻切れトンボの山籠もり日記
ごきげんよう。
早朝の気温は氷点下で、マットの上の足が冷たすぎて長くは練習ができない山籠もり日記9日目です。
ようよう緊急事態宣言が発令されるようですね。
医療崩壊だけはなんとしても避けられるよう、あらゆる手立てを尽くしていただきたいと思います。
CHAZENにいるときは、自分が感染したら万事休すだと思って気をつけていましたが、たぶんまだ高齢者ではなく、基礎疾患もない私は、感染のリスクがある現場で働くことを躊躇しません。もしも医療現場でボランティアが必要になればいつでも出動できるのにと考えていました。日本では難しいと思いますが。
私がお山に来ているのは、仕事がわんさかあるからです。
CHAZENが休校で東京にいたら、なにもできないもどかしさが募っていたでしょうが、とりあえず今は毎日へとへとになるまで仕事をしているのでマインドは比較的静かです。
日本中、いや世界中がいまやるべきは手を動かしたり身体を動かしたりして作務をすることかもしれません。家の中のたまっていた仕事を片付けたり、この機会に断捨離したり、手仕事を見つけてなにかを作るのもおすすめです。瞑想の効果と実際的な効果の一石二鳥になることは確かですから。
書きたいことがいくつかあるのですが、もはや電池切れです。きょうはこれにて。
たぶんまた明日。
安息日あるいは四九日の一日
ごきげんよう。
そろそろ冷蔵庫がスカスカになってきた8日目の山籠もり日記です。
起きたらまたしても庭が真っ白でした。いつも物置にしまう道具類も、割った薪も出しっぱなし。まいいか。きょうは安息日だからゆっくりしよう。(なぜ突然クリスチャンに?)
永平寺的に言うなら四九日(しくにち)ですね。いつもの修行スケジュールが少しゆるんで、手紙を書いたり繕いものをしたり、食事もカレーが出たりするそうです。それで朝は、CHAZEN生にメールを書いたり、CHAZEN生から提出されたレポートにお返事したり。これって、テレマイソールというよりは日ペンの美子ちゃん的通信教育のような気が......。
そうこうするうちに日が当たってきたので薪まわりの作務。だいぶ薪がたまりました。ブランチをいただいてから、部長と日向ぼっこで休憩。
ストーブが完全に消えているので、灰を片付け窓を拭き、夕方すぐ火が入れられるように薪を組んでおきます。できるだけ早くあたたまるような薪の組み方を工夫するのが楽しみでもあります。
ストーブがセットされたところで掃除をします。薪から落ちるクズやら、外に出たときにつけてくる枯れ葉などのゴミで、活動すると3秒で汚れます。いつも部屋がとんでもなく汚れてますが、ストーブをつけないこの数時間はきれいです。
午後の作務は敷地外の落ち葉や枝などの掃除。おそろしいほどに地下組織を広げている藤蔓の根を暴いて切断しましたが、きっとまたすぐに広がっていくでしょう。
こんなことを夢中になってやっているとすぐに時間がたってしまいます。部長の散歩作務の時間です。きょうはセンターハウスまでお散歩。晴れているけれど風が冷たい日です。いつもと違う場所で浅間山を撮ってみました。
戻ってくる途中、犬仲間の人たちに遭遇したら、きのうシューがカートに乗ってたところを目撃されたらしく、シューちゃん歩けなくなったかと思ったと心配されました。
大丈夫です。
きのうはゴミをカートに乗せてゴミステーションまで出しに行き(ちょっと遠い)、帰りにシューを乗せて帰ってきたのでした。
車輪がついているもの押していると、どうしても遊びたい衝動にかられる性分でして、坂道でびゅわーんをしたくなってしまうアラカンちゃみこです。
戻ってストーブに着火して夕ご飯の支度して食べて、あっという間の安息日。あとはお風呂に入って寝るだけ。もはや意識が朦朧としております。
ではまた近いうちに。
スーリヤ・ナマスカーラ教
ごきげんよう。
肉体疲労で文章がまとまらない山籠もり日記です。
まだところどころ雪は残っているけれども、早朝、小鳥たちのさえずりを聞くと季節が春であることを実感します。これから夏になって虫が鳴くまでは、小鳥の歌声パラダイスなのです。鳴き声で鳥の種類がわかるようなバードウォッチング博士になってみたいと思います。
ここ数日メインで鳴いている鳥の声でフラッシュバックしたのがマイソールの朝。ゴクラムで早朝聞いていた鳥の声に似ていて、まるでこれからシャーラーに練習に行くような錯覚に陥りました。
絶好の御膳立てで朝のアーサナ練習。静かで聖なる時間に太陽礼拝をすれば、おのずと心も身体も神聖な光に包まれます。一息ごとにエネルギーがチャージされて、一日をただ静かな歓びとともに生きることができるのです。
薪の確保が優先順位のいちばんである今、太陽の熱がほんとうにありがたく感じられます。実に偉大なるわれらの神スーリヤに感謝せずにはいられません。そして、この自然のおりなす調和に畏敬の念を抱かずにはいられません。手前勝手な都合で草木を切ったりしていますが、いかにこの調和を保ちながら自然の摂理の一部として存在していけるかを考えさせられます。
私たちが太陽礼拝をするとき、常に自分がこの大いなる森羅万象の一部であることを思い出し、呼吸をシンクロさせつつ、そのハーモニーを感じることができるような気がします。
ひとりで練習するときに太陽礼拝だけでもいいよと言うのは、このような理由によるものです。太陽礼拝は単に身体をあたためるオールマイティな最小のシークエンスであるだけでなく、感謝と祈りの儀式です。
以前からたびたび太陽礼拝について書いていますが、私は太陽礼拝を崇め信愛する「スーリヤ・ナマスカーラ教」の信者なのです。
不安が押し寄せてくるときは、坐ってもその気持ちに流されそうになるかもしれません。そんなときはスーリヤ・ナマスカーラ教の信者になって、ゆったりした呼吸とともに太陽礼拝をしてみてください。そういうときは朝でなくても、たとえ夜寝る前であってもやっていいと思います。少し落ち着いたら静かに坐ってみてください。
明日からの太陽礼拝がちょっと楽しみ、でしょ?
ではまた近いうちに
山の子は 山の子は
ごきげんよう。
そろそろ飽きられていると想像する山籠もり日記です。
今日は風が強くて寒かったですが、お天気がよく、この先の予報も晴れベースに変わったので薪問題は一気に解決しそうです。コロナのほうもこんなふうに一転してくれたらいいんですけどね。
ところで、今までここを森の家とか、リトリートハウスとか称してきたのですが、なんとなくしっくりしないなあと思っていました。思っていたけれど、ほかにいい呼び方もないので仕方なくそう呼んでいたのですが、「山の分校」と言ったらかなり落ち着きました。
昔むかしの昭和時代、私の通っていた小学校には分校の存在がありました。何年生のときだったか覚えていませんが、ある日担任の先生が病欠かなにかで急遽その分校で教えている先生が代わりに授業をしたことがあります。でも、本来やるべき教科の授業はせずに、その先生が分校の話をしてくれた記憶があります。
昔の田舎の学校はのんびりしていたんですね。そういうことはしょっちゅうでした。よくクラス全員で授業の代わりに裏山に遊びに行ったりしたように思いますが、子どものころのそういう時間は人間形成に重要な役割を果たすと感じることがよくあります。
そのときの話の内容はまったく覚えていませんが、先生が歌を教えてくれてみんなで歌ったことを鮮明に覚えています。初めて聞く歌で、それ以来学校で歌うこともありませんでしたが、ときどき思い出すのです。ここ数日もよく歌っています。
♪雨が降り てるてる坊主が泣いても
♪私たちは泣かないで 山を見つめる
♪山の子は 山の子は みんな強いよ
ここだけしか覚えてないのですが、負けないぞ、がんばるぞ、という気分によく合います。ぜんぜんヨガや仏教ではなくて、単純に昭和テイストですが、そこが好きなのです。昭和の山の子なんで。
そんなわけで、生徒のいない山の分校でひとり、自らを励ましながら薪を割る日々です。
ではまた近いうちに。
ぶちょー、クロッカスが〜!