CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

断食でグレる

週末に坐禅断食で行う方式の断食を単独で決行した。

初日。
マイソールと漢方養生ヨガのクラスがあり、毎日そうであるようにクラス中お腹ペコペコにはなったけれど、前回のように「打倒空腹」と書くほどではなく、むしろ漢方養生ヨガのゆったりリラックス感の影響なのか、ひたすらだるくて眠かった。パソコンの前にいると肌寒いのに、坐禅をするとぜんぜん寒くないことに気づく。

この日は倒れるように寝て10時間ほどぐっすり眠った。

2日目。
布団のなかでは頭痛がはじまったかのように思えたが、起きたら痛みはなく、けれども無気力というかやる気のない人になっていて、その気だるさがうっとうしい。

7時にオンラインで正法眼蔵随聞記の購読会。自分の発言に「鈍さ」を感じるが、最近は星覚さんが自分で回してくれるので、いち参加者としてのんびりやっている。

11時半ごろ、中間でいただくジュースを100ccほど飲む。

12時からは2時間おきに、プチ断食コースに参加の人たちとオンラインセッションがあったので時間が早く過ぎていき、無気力ではあるが頭痛などもなく、早めに寝る。

3日目。
4時に起きてまず一炷......、ところが心臓がバックンバックンでとても坐っていられない。気合いで坐ろうと思うのだが、簡単に挫折できるのが独り坐禅でもある。5分くらいでギブ。

血圧を測ったら、上90下59脈拍68。ってことは、死にそうになったら坐禅はできないのかと愕然とする。なぜなら、将来自分の死期を悟ったら、食を断ち、坐禅しながら安らかに仏になろうと密かに妄想をしていたからだ。この程度で坐っていられなくなるようでは、ぜんぜん無理じゃんよ(いや、最初から無理だから)。

あまりの動けなさに非常手段でオレンジジュースを一口だけ飲み、少し活力が出てきたところで、大根を煮たり野菜を切ったりして、少し早めに明けの腸内掃除食がスタート。(注:以下汚い話が含まれます)

吐き気どめの水から始まり、梅湯をまず2杯、煮た大根を食べ、野菜を食べ......、いつもならだし汁だけでも涙が出そうにおいしいはずなのに、なぜかそういう感じがしない。そして、だんだん梅湯を飲むのも野菜を食べるのもキツくなる。給食が食べられなくて困ったことなどない私なのに。でも、最初のおトイレの前に5杯飲んでしまいたいという思いが先行し、5杯目を無理くり飲んだら.....、


逆流して口から出てきた!


昔、マスタークレンズというのを試した時も、塩水が飲めなくて無理に飲んだらそのままの透明なお水をリバースしたけどそれに近い(でも今回は野菜もそのまま出てきた)。

しかし、5杯目が重要だと思っているので、口から出た分をやり直しで6杯目の梅湯を飲む。

この苦行感よ!
せっかく断食が明けて食べられるというのに、ちっともおいしくないしありがたくないなんて、これまでのどんな断食でも経験したことがない。それでも、苦行の甲斐あって腸壁にこびりついた老廃物の排出は成し遂げられたが、胃を荒らしたときのような、すっきりしない感覚が残った。

食べるのは苦行でも、食べて元気が戻ってきたので片付けてお掃除し、今度はプチ断食コースのお粥づくり。こちらの人たちは、だし汁からありがたそうに味わって食べてくれた。1月のときは私もそうだったし、このオーソドックスな断食のほうがおだやかで効果抜群のような気がしてきた。

断食後はへんなものを食べたくなくなる。せっかくきれいにしたのだから、シンプルで薄い味のものを少し食べるだけで満足するし、たくさん食べたくなくなる。

......はずなのだが、なんと今回はいつもは食べないような「へんなもの」が食べたくなった。今朝、ちょっと遠くまで歩いたところのスーパーに入ったら、目について食べたいと思ったのは、断食後はおろか、ふだん決して食べないような化学調味料の入っているものだった。そして、まったく自制しようと思わない自分がいた。

買っちゃえ買っちゃえ、どんどん買っちゃえ!
ふん、グレてやるぜ。
なにが浄化だよ。

反抗期のようなワルの声がこだまする。


なんということだ。
昨日の苦行がこのような気分を生んだのだろうか。食べたくないものを無理に押し込んだから、グレたくなったのだろうか。それとも単に今が反抗期なのだろうか。断食したら浄化されることは間違いないのだが、どんどん汚れちまったこのオレ。

とはいえ、パンのコーナーでは添加物入りのパンしか売ってなかったので、重い荷物を持ってさらに遠くのパン屋まで歩き、全粒粉のパンを買ってくるあたりは、外でタバコを吸いながら親の決めた門限を守っているような中途半端なグレ方だけど。

こんなこともあるんだな。
まあ、この先しばらくは、お粥で明けるおだやかな断食だけしておこうと思った次第。


机の脚に引っかかったまま、力尽きて寝る理事長。

かつてはこの方もよくグレていた

のどが詰まりは気の詰まり

八ヶ岳に行く何日か前だったと思うのですが、食後のどに何かが引っかかっているような感覚がありました。実際に物が詰まっているわけではないのに詰まっているかのようなこの症状を経験されたことありますか?

痛くも痒くもないのですが、スッキリしないので実に不快です。咳払いしてみてももちろん何も出てきませんし、何か飲んでもつかえた感じは取れません。具合が悪いわけではないけれど、とても気になります。

でも、心の中ではニヤリ。

この喉のつかえ感は漢方でいう「梅核気」というもので、いつかこれがやってきたら試そうと思っていた漢方の出番だからです。「梅核気」とは、文字どおりに梅の種が詰まっているような症状のことです。西洋医学的には逆流性食道炎に近いものでしょうか。胃と食道の間にある弁の働きが悪くなり胃酸が逆流するそうですが、この働きは自律神経でコントロールされています。つまりはストレスが原因になるということです。

お試し用に買ってあった漢方薬をさっそくクツクツと煎じて飲んでみました。なんとなくよくなったような気はしましたが、翌日食事をしたら、再びつかえ感が出て、それからもずっと続いていました。漢方薬は1日飲んだだけでその後は様子を見ていたのですが、八ヶ岳から帰ってきたら治ってました。

正確に言うと、直後は忘れていました。転地療養の効果とかここにも書いていたのに、梅核気のことはすっかり......。思い返してみると、現地で最初にほうとうを食べたのですが、カボチャとかジャガイモがスライスじゃなくてごろっとしたまま入っていて、芋好きではない私はそれだけでお腹パンパンになってしまいました。が、のどの詰まりはなかった。

帰ってきてからは、風邪のひきはじめのような寒さがあり(早朝冷たい風が吹いていたのに首元スースーのまま歩いていた)、葛根湯だ半身浴の長風呂だと防御策に奔走していたので、一方で治っていた症状があることに気づきませんでした。はっと気づいたのはどうやら風邪を引かずに済んでほっとした後です。

漢方ではこういったストレス症状を気の滞り=「気滞」といいます。生理的には気はつねに身体中をめぐっているわけですが、何らかの支障があるとこのめぐりが悪くなってしまう。よく「気が塞ぐ」「気が詰まる」と言いますが、まさにそれは気滞のことを指しているわけです。つまり、梅核気の正体は「気」なのです。目には見えないけれど、めぐらない気がのどに詰まっているというわけです。西洋医学的には自律神経の働きが悪くなった状態です。

私の気が詰まった原因はわかっています。これまでになく東京暮らしの閉塞感を味わっていたことや、考えすぎて頭が疲れていたことをはっきりと自覚していました。

そういう病いですから、漢方薬よりも八ヶ岳薬のほうが効いた。数年前に八ヶ岳で不調がコロッと治ったのも、たぶん同じ東京病(あるいは山に帰りたいハイジ病)だったのではないかと思います。

言ってみれば「気滞」というのは「気」のせい(仮病?)なわけですから、気分転換が何よりの薬なんですね。ただし、仕事や人間関係など長期にわたって積み重ねたストレスで体調を壊した場合はそう簡単に治らないので、呼吸法やアーサナ食養生漢方薬などを組み合わせた「養生」が必要になります。

逆に言えば、ストレスを溜めずに日々の養生でチャラにしておけば、ちょっと不調が出てもあっさり治るともいえます。とにかく掃除は毎日することです。汚れはためないこと。

というわけで、明日から独り坐禅断食です。今年こそ、漢方養生で夏の不調を克服しようと思っているので、気温の上がり始めた今から前哨戦が始まります。いざ!

それにしても、漢方の基本である陰陽五行の考えはめっちゃおもしろいですよ。5月8日の漢方喫茶では、その「おもしろさ」にフォーカスして漢方に親しんでいただこうと思います。眠くならないように、参加者にも手を動かしていただくようなワークを考えていますので、どうぞ気軽にご参加ください。

www.chazen.yoga


ちなみにこの日の喫茶でお出しする漢方茶は、気をめぐらせるオリジナルブレンドティーの予定です。お楽しみに。


腰元のマッサージを受けて悦に入る殿。

モゾモゾしてるっぽい前脚に注目

デマにご用心

印哲喫茶3回目は、yogaとは何かというテーマでギーターを読みました。
参加者はすでにギーターを読んだことのある人がほとんどなので、従来とは少し趣を変え、ある視点をもってバガヴァッド・ギーターを読むというのがこのシリーズの目的です。今回はギーターのなかでyogaがどのように定義され、どのように扱われているのかを取り上げて、yogaの観念をより立体的にとらえていただきました。

ただ、参加者の多くは百戦錬磨の諸氏であり、「なるほど、yogaはそういうものだったか」と新鮮に思った人は2割弱でした。もうそろそろ耳タコではないかとギーターのシリーズは全3回にするつもりでしたが、耳タコでもギーターが心地よく思えるらしいので、あと2回くらいは続きます。次回はバクティヨーガを仏教とからめてお話しします。

それから、急なお知らせになってしまいましたが、次の土曜日30日の早朝7時〜8時で星覚さんによる正法眼蔵随聞記の購読会を行います。連休中ですが、どうぞひととき手を休めて禅のお話に耳を傾けてください。聴講だけの参加もアリです。

www.chazen.yoga


さて、本日のおやつは先日の旅で調達してきたくまちゃんのクッキーでした。姿が愛らしいのでトレーに並べ、理事長をバックに写真を撮ろうとしたところ、なぜか人が群がってきてキャーキャー大騒ぎになってしまいました。

かろうじて理事長入りの写真は撮れた......


でも、ちょっとへんだ。そりゃね、くまちゃんはかわいいですよ。でも、そんなJKばりに喜ぶことか? と訝しく思っていたら、なんと私が手作りしたと思ったらしいのです。

ありえん......。

あまりの歓声に私は大笑いしていてしゃべることができなかったせいもあるのでしょうが、欺くつもりなどなくても、かくなる仕方でもって事実は間違って伝わってしまうものなのですね。いつだったかめずらしく私が手作りのおやつを作ったことも、思い込みに拍車をかけたのかもしれません。(だから最初で「最後」だって言ったのに......)

冷静に考えれば、完成度が高すぎるとわかるはずです。

それに、こんなかわいらしいナッツを抱き抱えるくまちゃんのクッキーが焼けるような人間だったらば、きっと別の人生がひらけていたことでしょう。さしづめ印哲喫茶などというものをやっていないことは確かです。

しかも、私ったら買ってきた数を間違えていたようで、余裕で余ると勘違いして昨日一部のくまたちを食べてしまったものだから、並べる段になって足りないことに気づいたというマヌケっぷり......。

それでも信じたCHAZEN生たちが純粋なのでしょうか。

泣けます(ウソ泣き)。


それにしても、デマが伝わるのはこういうシチュエーションなんですね。その場の雰囲気、思い込みなどの条件がそろうと、ありえないことを信じてしまう。

ご用心あれ。

雑木林......

柳生博さんの訃報に少し驚いた。ちょうど亡くなる前日に八ヶ岳倶楽部でお茶してきたばかりだ。そのとき、なんとなくなのだけど、別段変わったことはないのに、寂しいような侘しいような(オフシーズンだからではなく)なんともいえない雰囲気を感じていたから。

素泊まりしたペンションには私たち以外に宿泊者はいなくて、ラウンジやダイニングが貸し切りだった。テレビをつける気にもならず、薪ストーブに当たりながら八ヶ岳ライフ」八ヶ岳デイズ」という雑誌をめくったら、連載されていた柳生さんのエッセイが味わい深くおもしろいので、バックナンバーを片っ端から読んだりしていた。

私は八ヶ岳方面にはぜんぜん詳しくなくて、八ヶ岳倶楽部のこともよく知らなかったのだけど、初めて行ったときに美しく整えられた敷地内の雑木林に魅せられた。

2018年7月、イヌ in カンガルーポケット


この連載の中で柳生さんは、雑木林は文字通り雑木だからいいのだと言われていた。杉や松は植林された人工的な森なのだというようなことも書かれていた。

おっしゃる通りです。軽井沢の分校はまさしく、その植林した松と杉の山にあった。カラマツの匂いは好きだし、嫌な印象などなかったけれど、庭に大きな松があると、それだけで視界が遮られて夜空の星がよく見えないとか、松ヤニで屋根が汚れて高圧洗浄に5万円もかかるとか、住んでみなければわからない問題がたくさんあると知った。

そして、森は放っておいたらただのジャングルになることも知った。定期的に間伐して整えてこそ、美しい森の姿を保ち続けられるものなのだ。そういうことがわかった今は、柳生さんがどれだけこの雑木林を愛し、手をかけて美しい森に育ててきたのかもわかる。

ほんとうに、世の中には自分の知らない、けれどとても大事なことがたくさんある。そして、人には他の人にはわからない苦労がたくさんある。60年生きてようやく、ほんの少しだけそういうことがわかってきた。人生は短い......。


ところで、前に八ヶ岳倶楽部に行ったとき何を書いたか忘れていたのだけど、猛烈なにわか雨に遭遇して何もできなくなり、ここに駆け込んだことを思い出した。そして、そのときに瞑想状態になったこともブログを見て思い出した。

chazen.hatenablog.com


もしかしたら、ここには何か不思議なエネルギーが流れてるのかも。
すてきなインスピレーションをいただきました。柳生さんありがとうございます。ご冥福をお祈りいたします。


15歳のころは、まだまだ若かったシュー太郎氏。

めずらしくスイーツを


今回は寒かったのでテラス席は作られてなく、あのとき「空きましたからどうぞ」と言われたサンルーム的なスペースでハーブティをいただいた。

4年後のシューさん


もひとつオマケ。
豪雨で外に出られなくて悶々とする私を笑うシュー太郎氏。

どうだ、オレを置いてどこにも行けないだろ?


4年後......

置いていかれても気づかないシュー太郎氏

もっとEARTHしよう

アースしてきたよ。

f:id:chazenyoga:20220417140714j:plain
喜んでいるかどうかは不明


2014年に穂高で初めてリトリートをしたとき、何せ理事長(当時は部長)が人間ではないため、同宿できなくて気の毒であった。次は一緒に泊まりたいと事あるごとにロケハンしていた一環として、CHAZEN生と一緒に八ヶ岳に行ったことがある。その少し前から私はひどく体調を崩していのに、着いて駅のホームで南アルプスの山々を見たとたんにケロッと治ってしまったのだった。

chayoga.exblog.jp


転地療養の効果は絶大だ。
これを皮切りにして、堰を切ったようにお山に田んぼにと激しく動きまわったのは、主にシューの老い先を考えてのことだったけれど、その後のパンデミック社会を思うとあの時いろいろやっておいてよかったと思う。

今回はその思い出の八ヶ岳方面に行って、そのときのことをしみじみと思い返していた。

昨年は猛勉強(漢方の)とシューの病気で忙しくしていてあまり気にならなかったけれど、やっぱりEARTHが必要だ。漢方的には、ゆっくり体を休めて自然に触れることは「休養生」といって大事な養生法のひとつでもある。自然というのはそれだけで病を癒してくれるようなパワーを秘めているのだと思う。

もっとEARTHしよう。
大地とつながって、澄んだ空気をからだの隅々に行き渡らせよう。

事件続きの前回に続いて今回は台風でどうなるかと思ったけれど、結果的には山も見えて、天晴な旅になった。

f:id:chazenyoga:20220417202727j:plain
これが見られただけでも満足


ただし、薄着で早朝散歩して邪気が入ったのか帰ってから葛根湯のお世話になったり、気分のよさに乗じて、ほうとうだ、パンだ、米だと、血糖値が急上昇するものばかり食べてしまったのはよろしくないな。

chamico.hatenablog.com


今月末の断食で仕切り直しせねば......。

自然界と調和する

数年前まではせっせと植え替えたり、新しいのを仕入れたりしていたベランダの植物は、アフターお山の今ではすっかり放置されております。それでも、たまさかYouTubeで園芸の情報など見ては、ちょっとはお世話もしているのですが、昨年植え替えておいたアイビーが明らかにこれまでとは違う生育ぶりだったのを見て、申し訳ないことをしたと思ったりしています。

写真上のハンギングバスケットのアイビーはしょぼい育ち方なのに、そこからベランダ菜園用の深い鉢に移した子たちは青々と大きく育ったのです。

f:id:chazenyoga:20220414150426j:plain
違いはレキゼン


これを見て「な、ちゃんと根をしっかり張ったら、のびのびと育つんやで」などと、ポーズの基本ワークショップで伝えた「ゆらがない土台があれば、身体は自由に伸びることができる」ことを強調していた私ですが、実に、大事なことは自然の摂理が教えてくれるものです。

最近読んでいた本の中で、鍼の効果は「放電」にあるのではないかという説があり、(真偽は不明ですが)なるほどと思ったのでした。家電にアースが必要なのと同様、人間もアースが必要だということです。アース=earth、すなわち大地のことですから、畑を耕したり、田んぼに入ったりすることで放電できるのですが、現代人はこれが足りないということです。人間の身体にもアースが重要な役割を果たしているというのは納得できます。

それにしても、古代中国の人たちはよくもまあ鍼で心身が調うことを発見したものだと思います(放電と思ってたかどうかはわかりませんが)。中医学は自然の法則から成り立っていて、自然界の理からさまざまなことを導き出し、バランスの崩れたところを立て直すシステムなのです。

ヨガでも五元素の概念がありますが、中医学では木・火・土・金・水がそれぞれ五臓に対応しており、たとえば「木」は「肝」につながります。自然界の中で、木(植物)はのびのびと上に成長していく性質をもっていますが、上のハンギングバスケットのアイビーのような環境にあると成長が制限されるように、ストレスなどで気が弱ったり、滞ってしまうのは「肝」の失調と考えます。そこで「肝」を養うような食生活や生活習慣を中心とする養生や経絡治療、方剤を選ぶという仕組みです(実際の治療はその他の要素も考慮しますが)。

5月の漢方喫茶では、そういった漢方の基本概念「陰陽五行」について紹介します。これまでは実用的な漢方や養生のお話しが中心でしたが、その哲学を知るとさらに興味がわき、理解はより深まるはず。多少難しい内容ではありますが、そこは漢方喫茶ですから、どなたにもわかりやすく、楽しんでいただける内容にしてお話ししますので、お気軽にご参加ください。もちろん基礎知識など一切不要です。

そのほか、ゴールデンウィーク中は、疲労回復の漢方養生ヨガ、呼吸法〜瞑想などの特別クラスも行います。

www.chazen.yoga


さて、私は明日からまた理事長と「放電」に行って参ります。今度はなにごともなく帰って来れますように......。

f:id:chazenyoga:20220414175824j:plain
薄着になられた理事長

アシュタンガもメジャーに

先週の事件後の疲れが尾を引いて、時間が経ってしまったのですが、日曜日の漢方喫茶は主に女性の「秋」に起こってくるさまざまな症状と漢方の使い方などについて話しました。これまでは冷えだとか頭痛、かぜなど、自分の経験をもとにした「体験談」的なリアリティがあったと思うのですが、今回はちょっと説得力に欠けたかもしれません。

というのも、私はほとんど更年期の不調を感じないで老年期に突入してしまったからです。個人差があるものですが、たぶん私の身体にも何かしらの不具合は出ていたとは思うのです。ただ、まさに更年期に差し掛かろうとするときにアシュタンガを始めたので、毎日に張りがあり充実していたせいか、それらしいものを感じなかっただけなのだと思います。

人間、前を向いてせっせと歩みを進めているときは、そう大きなことでない限り気にならないものです。けれども、その歩みがなんらかの原因により妨げられたときに、さまざまなことのリズムが崩れて、うまく進まなくなったりします。子どもが成長して手元を離れていったり、親の介護が始まったり、そういう時期に重なってよけい症状がつらく感じられるのが更年期なのでしょう。

そう思うと、私はなかなかいいタイミングでアシュタンガに出会えました。当時は、マイソール友の多くが20代だった中で更年期だったわけで、負い目を感じていたのですが、人にはそれぞれ「その時」があり私には必要な時に与えられたのだなと思います。いつだって出会ったときが始めどきです。

さて、それから月日は流れ、いつの間にかヨガの世界も変わりました。今や、ヨガをやっていると言っても誰もビビったりしません。むしろ、健康的なエクササイズをやっているイメージが強くなりました。さらにはアシュタンガヨガの認知度もそれなりに高まってきているようで、4月から異動になった練習生が朝ヨガやっていることを新しい部署の同僚に話したら「アシュタンガ?」と返ってきたそうです。ご存じならば話は早い。
 
そういえば、もう先月のことですが、双子パンダの観覧抽選に当たったからとお誘いをいただき、ウホウホと上野動物園まで見物に行ってきました。月曜の午前の招集なのに6人もよくそろったなと思ったら、うち4人が早朝マイソールクラスの先生でした。

f:id:chazenyoga:20220407160908j:plain
ちょうど花見の時分


私がマイソール練習を始めたころは、指導者のほとんどが外国から来ていた先生でした。まだ日本人で経験のあるアシュタンギが少なかったのです。それが今や都内でも西や東にマイソールができて、自宅から近いところで練習ができるようになっています。マイソールが普及すれば、へんに誤解されたアシュタンガ観もなくなるでしょう。フツーのヨガですから。


パンダ? かわいかったけど、動画で見たほうが......。

f:id:chazenyoga:20220407161613j:plain
シャオシャオ♂は木登り中


レイレイ♀は室内でひたすら竹を食べていた。

f:id:chazenyoga:20220407162117j:plain
離れているけど同じ格好で食べてる母娘


シューシューはひたすら寝ております♡

f:id:chazenyoga:20220407163422j:plain
脚の間に湯たんぽはさんで