CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

世界がぜんたい幸福にならないうちは......

少しご無沙汰しましたが、理事長ともども元気にしております。

例年夏は半死状態の私が、今年は漢方のおかげで毎日「正気」ですし、理事長の食欲は微塵の衰えもありません。

ただ、ごはんがうまく食べられなくなってきています。器の外に落ちたものを拾えないどころか、そっちへ顔をずらした瞬間に今まで食べていた器の位置を見失ってしまうのです。そして、脳の機能が衰えて舌がうまく使えなくなっているのかもしれませんが、最後の何粒かを口に入れることができにくくなっています。

顔を突っ込んでの、体当たり食い


老犬でも食べやすくなりそうなフードボウルがないかと検索したところ、Amazonに手ごろな価格の商品があったのでポチッとしてみました。配送予定日当日でないと受け取れない状況だったため、配送状況を確認しながら在宅して待っていたのですが、配送中の表示だったのが突然「配達を試みましたがお届けできませんでした」とのメールが。どういうこと?と思い、問い合わせしようと思ったものの、連絡先がない! 連絡のしようがない! つまり、こういった場合の手間や人件費を削減するために問い合わせを受け付けないのです。だからこそ配送料無料が実現するのでしょう。

そのとき、私の中には腹立ちよりも、寒いものが通っていきました。

コミュニケーションを一切拒否したロボットのような企業なんだ......。そういえば、他でもそういった寒々しい思いをしたことがありました。有名な成功している会社です。そうして、末端で動く人々をボロ布のように使いまわして巨万の富を手に入れるのがこの時代を勝ち抜く秘訣なのです。

実は今に始まったことではなく、以前にも寒い思いをして長いことAmazonを極力使わずにいたのです。それが少し和らいで、そんなに頑なに拒否しなくても......と思い直し、1年ちょっと前にプライム会員になったのでした。

それもこれも目先の便利さや損得に目が眩んだ結果です。自分のことしか考えていなかったのが歴然で、愕然としました。格差社会を加速させているのは、ほかならぬこの私だったのです。
 
......ということを思い出したのは、今朝の「随聞記を読まない随聞記購読会」で星覚さんがどういう考えで今の生活をされているのか、またどういうものを目指しているかという質問が出て、それがテーマとなったからです。

星覚さんは言葉を選びながら答えてくれましたが、オンラインでの短い時間で説明できるようなことではなく、長い時間星覚さんの一挙手一投足を見ているうちに伝わることなのだと思います。でも、蛇足ながら、あえて一言でそれを言うなら宮沢賢治がいうところの「ほんたうのさいはひ」のためなんだろうなあとぼんやり考えていました。

仏教の教えの本質は他者とのかかわりにあります。自分のことばかり考えていると、送料無料で翌日配送という便利さのツケがどこにあるのかを見失うのです。一人ひとりが欲望を抑え、不便を受け入れ、全体が調和することを考えた先に「ほんたうのさいはひ」があるのに気づかず......。

パソコンやスマホの前にばかりいると知らないうちに「ほんたうのさいはひ」から離れて「たった今だけの幸い」に流されてしまうのでしょうね。小さなそのモニターを通してしか世界を見ていないわけですから。

そもそも、新しいフードボウルがあったところで問題は解決するはずはなく、ポチッとしたこと自体が間違いだったと今は思います。まあ、おかげで軌道修正するよい機会が得られましたが。

もうひとつ宮沢賢治のことばを思い出しました。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

食べるのはアレでも、監督業務はそれなりに遂行している理事長

奇跡のプリン

先週、北海道に旅立つ前のY嬢から、スートラのみなさんにぜひ食べてもらいたいプリンがあるので富良野から送ってもよいかとていねいなお申し出がありまして。スイーツに疎い私は、なんのことだかよくわからないけれど、みんなが喜ぶのは間違いないので、ぜひにとお願いしました。

届いた荷物はずっしりと重く、開けてみたら素焼きの器が出てきたので、思わず「うぉおおおお!」と叫んでしまいました。

想像をはるかに超えていたから


このカードの、まるでおとぎ話の舞台のような小さな手づくりの小屋で、ご夫婦の手でひとつ一つていねいにつくられているプリンなのだそうです。お取り寄せしようと思ったら半年待ちというのもわかる気がしました。富良野市平沢の「エゾアムプリン製造所」です。


スートラ参加予定者には前もって小さな取り皿とスプーンを持ってきてと連絡を入れたのですが、何人かは忘れてくるだろうなと思っていたらゼロ。みんなプリン食べる気マンマンでやってきました。中には、ヨガラグを忘れたり、お財布(受講料)は忘れてきたけれど、プリンを食べる道具だけは忘れず持ってきたという「プリン食べに来たんかい!」的な人たちも。

本日のスートラ学び(一応こちらが本命)を終え、いよいよプリンタイムがやってきました。手先の器用なO嬢におまかせして16等分(欠席者の無念が伝わってくる〜)。

固唾を吞んで見守る


一等最初のすくい出し(byちゃみ)は見事に崩れましたが......。

ほかにない味(スイーツ経験値は著しく低いけど)


おいしー!

このプリン、朝イチ、牧場で牛乳を貰いにいくところから始まり、地元の材料を使って4時間かけて焼き上げるそうです。原材料の欄には、「たまご、牛乳、生クリーム、てんさい糖、湧き水」とあります。もちろん、無添加無着色です。それに、つくり手のご夫婦は仕込みをしながら、交代でヨガをなさっているのですって。そのプリンがおいしくないわけがありません。

貴重なものをいただくことができて感激ですが、それよりなにより、このプリンをみんなに食べさせたいと計画してわざわざ現地から送ってくださったY嬢のあたたかいお気持ちが胸に沁みます。

スートラクラスはもはや、スートラを学ぶためではなく、おやつを食べるためにあるようです。......というのは盛りすぎでしょうが、スートラの学びというよりも、この集まりのためにみなさん参加しているような気がします。

でも、それこそがサンガの存在意義なのです。
長く練習を続けていくのは決して簡単なことではありません。この集いでヨガを練習する意味を確認し、心を新たにしてまた毎日の練習に戻る。ひとりでは簡単に怠けたり挫折してしまうところを、誰かの話に刺激を受けたり、ハッと気づいたり、励ましたり励まされたりしながら、なんとかまた日々の練習を続けるのです。サンガの存在により、孤独な自分との闘いが孤独ではなくなります。自分だけではなく、みんなそれぞれに自己と向き合い、思うようにいかない人生を一生懸命生きていることがわかるからです。共に支えあって道を誤らずに進んでいくための集まり、それがサンガです。

毎回思うことですが、CHAZENにはよきサンガができました。きょうのプリンはその結晶のような気がいたします。

レアなエゾアムプリンは、Y嬢のあたたかい気持ちが加わり、それをサンガのみんなでシェアしていただく喜びにより、半年待ちどころではなく、この世に二つとない奇跡のプリンに変貌を遂げました。

きっとみんな今日習ったスートラ(経文)のことは忘れてしまったでしょう(!)。

いいんです。

プリンが心に残って、サンガのことを思い出してくれるなら。

ベランダコンポストその後

きのうの陰ヨガで、後半自分でも一緒にポーズに入ったためか、週末の疲れが消えてきょうはすこぶる元気です。やはり夏の疲れには陰ヨガ! ということで、来月も陰ヨガやります。 

陰ヨガ以前に、漢方のおかげで今年は体がずいぶんラクになりました。もっと早くから漢方の勉強をしていたら......と思ってしまいますが、誰しも出会う時期というものが決まっているのでしょう。

そういえば、ずっと前から陰ヨガをお薦めしていたのですが都合が合わなくてなかなか参加できなかった方が、きのうの陰ヨガでよい感触を得たと言っていました。ついに陰ヨガに目覚めてくださったようでうれしいです。やはり自分で体感して得ないとわからないものです。


さて、以前仕込んでひと月ほど寝かせておいたベランダコンポストを出してみたら、昔懐かしい肥料の匂い(田舎の香水的な)が漂ってきました。発酵した堆肥の匂いなのでしょうか。ハエが嗅ぎつけてやってくるかもしれません。

中はところどころ発酵しきらない物体が残っていますが、おおむね野菜や果物のクズは消えていました。生ゴミは天然の資源だったのですね。とにかくあの重くてびしょびしょのスイカゴミを燃えるゴミとして出さないだけでもコンポストの価値は絶大です。(これもまた、なんでもっと早く試さなかったのかなと思いますが)

たぶん残るとは思いつつ実験的に入れてみた枝豆の皮とか、とうもろこしの芯、細かく砕かずに入れてしまった卵の殻は予想どおり、そしてちょっと意外だったのはトマトの皮(湯むきして剥がしたあとの)が残っていました。土もつかず、剥がしたままのきれいな姿で。

興味のある人はぜひ実験してみてください。ただし、それなりの量の土が必要になるので誰でも気軽にというわけにはいかないかもしれません。でも、生ゴミが消えていくのを見るのは日々のヨロコビになりますよ。

ところで、何ヵ月か前「なるべく土に還る素材のものを使う」ということで麻のエコたわしを使っている人の話を読みました。そのとき、アクリルのエコたわしに満足していた自分のうかつさに初めて気づきました。

それからまもなくして、いつもみんなの分のエコたわしを作ってきてくれる某嬢が、なんと「タコ糸」で編んだ試作品をもってきてくれたのです。同じようなタイミングで何かが伝わったかのような......。その「タコエコたわし」は使ってみると汚れ落ちがよくてとても使いやすい。

今少しずつではありますが、プラスチックではなく自然素材の容器を使う企業も増えてきています。燃やしたり、土の中に埋めたときに有害物質の出ないものがもっと増えるといいなあなんて勝手に思っていましたが、アクリルたわしのことには気づいてなかった私です。まずは化学物質をあたりまえに使っている自分の意識から見直さねば......。

5時すぎですでに暑かった7月最後の朝

8月は随聞記を読まない随聞記の会

世の中的にいろいろあった7月も明日でおしまい。8月もきっと暑くて、熱い(感染症)のでしょうが、CHAZENも熱く厚く、日曜祝日全部盛りでいきます。

先ほどアップしたのですが、「星の随聞記購読会」の日程が20日の土曜日に決まりました。ただし、8月は「正法眼蔵随聞記」を読まないで、坐禅と星覚さんのお話の会になります。お坊さんの8月は忙しいのでお休みでもよかったのですが、星覚さんが出先からつないでくれるということで、特別バージョンの「随聞記を読まない星の随聞記購読会」としてお送りします。敷居が高いと敬遠していた方には絶好のチャンスです。ぜひこの機会に星覚さんに会ってみてください(オンラインですが)。


ところで、シュー理事長は年齢的に暑さを感じないのか、ますます元気です。暑くても飢えたオオカミ的な食欲は変わらず。昨年より体調を見ながら常になんらかの漢方薬を飲ませていたのですが、今は年齢的な衰え以外にとりたてて問題がないのでノー漢方です。あっぱれです。

夏の間は蒸れて不快かもとオムツをつけないでトレードマークの「マッパ」にしているのですが、決まった時間にトイレに連れていき「ちっこ発射!」と言うとそのとおりになさるのです。さすがです。

足腰が弱ってよろよろしているのは仕方ないのですが、よろけても新しいプールのハウスがプロレスなどのリングみたいに体を弾き返してくれますし、場外(プールの)を歩いていても、起き抜けのとき以外は転ぶ回数が減ったような気がします。壁や家具の行き止まりでつっかえて止まっているのは、もはや定番中の定番。ご愛嬌です。

先日、また理事長がつかえていたので、「そんな(日当たりのよい)ところにいたら、暑くなっちゃうよー」と声をかけました。

その「つかえている理事長」の全貌がこちら。

だまされたー!


ハタキに話しかけていた私って......。


本物はこちらでつかえていました。

見分けがつかないかも


いいニュースのない今の日本で唯一の生きる希望です。
どんな世の中でも、どんなことが起きようとも、ただ「今」を生きる19歳1ヵ月です。

充実のCHAZEN的3連休

海の日の3連休は、土曜がオンライン随聞記の会、日曜がアーサナWS、月曜が呼吸法〜瞑想の特別クラス3本立てで充実した3日間となりました。

正法眼蔵随聞記」は、終盤にきて道元禅師の教えが明確に伝わりやすい内容になっているように思います。現代の、しかも出家していない私たちにとっても大いに参考になるテーマが続々と出てきます。

今回読んだうちのひとつは、師の教えが自分の考えに合わないと思っても「しばらくは」その教えに従ってみなさいというものでした。師の教えに自分の判断を入れず従うという態度は、東洋思想ではたいへん重要視されることですが、ここで気になるのが新興宗教のことです。世にインチキグルや金銭巻き上げ系の団体は多くあるので、素直に従うことが悲劇を生む場合もあります。

ちょうど今、その話題が取り沙汰されています。私はつい、件の母親が心のよりどころを求めた先が永平寺だったらなあなどと妄想をしていたのですが、それに対して、「もし、その人が永平寺に行ったとしても、あちらを選んだと思う」とコメントされた方がいて、おっしゃるとおりだと思いました。

ほんとうに。
それがカルマ(業)というものです。インドには今世だけでなく前世、前々世からのカルマ(行い)で運命が決められるという考え方があります。盲亀浮木のたとえのとおり、仏教の教えに出会ったこと、ヨガの道に出会ったこと自体がすでに過去からの善のカルマの結果なのですから、それを無駄にすることなく、時を無為に過ごすことなく、プラクティスを続ければいいわけです。こっちの道に導かれたということそのものがすでに善のレールに乗っている、救いの手が差しのべられているのです。

安心して従ってよい師に出会えるかどうかもカルマ次第で、それはもう直観(あるいは運命)でしかないのかもしれません。そしてその直観を磨くのがヨガであり坐禅だとも思うのです。

chazen.hatenablog.com


日曜日のアーサナワークショップは、意図したとおり、終始笑い声の絶えない、楽しいワークショップでした。

修行風味なくして思いっきりアーサナを楽しむ企画ですから、前半だけはちゃんとアラインメントやらポーズのポイントなど役に立つ内容を盛り込みましたが、後半はさまざまなアームバランスポーズにチャレンジしてもらいました。アシュタンガだけやっていると、一生チャレンジできないポーズが山のようにあるわけです。でも、ちゃんと手順を踏んで行えば安全にチャレンジできるポーズもあるのです。

8月の第2回はハムストリングスと股関節周りをじっくり開きつつ、さまざまなポーズにチャレンジします。


そして本日の呼吸法〜瞑想のクラスにも多くの方にご参加いただきました。2回3回と慣れるにしたがって、呼吸がスムーズになり、顔つきも穏やかで落ち着いた状態になっていることが外から見てもわかります。来月は初のlevel2クラスも開講しますので、ご都合に合わせてご参加ください。

練習生のシャヴァーサナを見守る理事長。

見えない目でガン見

珍獣出没とWSのことなど

今朝4時半ごろ、ベランダに干してあるぞうきんを取りに行ったら、アライグマのような、タヌキのような物体が電線の上を歩いているのが見えて頭が混乱した。

山の分校にいるときは早朝キツネだとかテンだとかに遭遇したけど、ここは緑あふれる郊外ですらないビルの谷間だ。

急いでiPhoneとってきたら、すでに電線を渡り切ってしまったので、ヘタ絵で図示。矢印の方向に歩いてきたんよ。

平然と離れ技を披露した


隣の屋根に登ってくるかなと見てたらやっぱり。
その歩き方が、何をも警戒せずマイペースなの。「毎日ここ散歩してますけど何か?」とでもいうような雰囲気でゆったり歩いている。

けっこう大きい(推定体重8キロ?)


屋根の端まで行ってから、猫みたいにブロック塀の上を歩いて消防署のほうへ。

まったく躊躇が感じられない


検索してみたら、ハクビシンだって。23区内でも目撃情報がけっこうあるらしい。そして被害もけっこう出ているらしい。東京のネズミやカラスはおいしいもの食べて肥えているけど、このハクビシンも神楽坂でグルメ生活を送っているので大きいのだろうか。


さて、マイソールが終わり、洗髪したての毛がふわふわだねとお姉様方に可愛がられていたシュー理事長。

今朝はずっと起きて監督してた


触られているうちにどんどん毛が逆立っていって、こんなヘアスタイルに。

珍獣化でますますkawaii


湿気の多い時期でも烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)になるんだわー。

と、烏枢沙摩明王で旧ブログを検索したらコレが出てきた。

chayoga.exblog.jp


そうだった。
5年前の今ごろは、手を腰に当てることも、ポケットに手を入れることもままならなかったんだ。ヘッドスタンドができるようになったのはこの10ヶ月後。あのころは、そうやって一つずつポーズができる喜びを味わっていたんだった。

それが、ある時点から(いつかは忘れた)骨折以前と同じようにアーサナ練習することを目指さなくなった。あきらめたのではなく、ある意味アーサナを卒業したような境地かな。17日のワークショップのテーマであるアームバランスのポーズは、かつて私が好きで比較的得意としていたものだけれど、今はもうできない。

が、当日は「アームバランスの苦手な人が、努力してなんとかできるようになった」風なデモンストレーションをお見せして、「あ、あんなんでいいんだ」と参加者を安堵させようかとねらっております。

申し込んだ人が戦々恐々「どんなことするんですか?」と聞いてきたけど、そもそも私にできることが限られているので、そんなサーカスみたいことはやりませんからご安心を。でもハクビシンの綱渡り(電線渡り)はもう一度じっくり見てみたいな。

今のところ、シリーズの続きは8月がヒップオープニング(股関節系)、9月がインヴァージョン(逆立ち系)とイメージしており、その次は本来ならベックベンド(反り系)なのだけど、これは何度もWSしているので別のものにするかも。


珍獣も楽しみにお待ちしてます。

デビルマンとかそんなのにも見える

非暴力とは......

動物を殺生しないだけでは十分でないこと。
不正と信ずるものでも害してはならないし、怒ってもならないし、かえって愛しなければならないこと。
それゆえ、親でも政府でもすべて圧制者には反対すべきであるが、圧制者に害を加えてはならない。かえって愛をもって圧制者に打ち勝たなければならないし、そして圧制者に打ち勝つまでは、圧制者の意志に服従せず、そのためには死の極刑さえも甘受しなければならない


たまたま、今日読んでいた『講座 東洋思想 1 インド思想』東京大学出版会 に書いてあったガンディーのことば(以下も同書より)。


非暴力ということは、不正や悪に対して現実の一切の闘争をやめるということではない。逆に、わたしの考えでは、それらを結局拡大させるような単なる抵抗を企てるよりも、さらに積極的で着実な現実的闘争が必要である。それらと闘うためには、精神的な人道的抵抗でなければならない。尖鋭な剣で衝突するのでなく、相手のその物的反動の期待を誤らせて逆に相手の剣を完全に鈍らせるのである。みずから押した抑圧から退くわたしの精神的抵抗を見て、相手は幻惑し、躊躇し、果ては屈服を余儀なくするであろう。これは相手に侮辱を与えるものではなく、かえって相手の精神をも尊重するものであるから、万人ひとしくこれを理想として支持することであろう。


続きは、24日の印哲喫茶で。


ガンディーが「殉教」した場所(ガンディー記念館にて)。

訪問したのは2012年7月18日だった