CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

なんでもなーい!

先日、図書館の入り口で、小さい子どもを二人連れた若いお母さんと、歩行の補助用カートにつかまっている80代くらいの女性が立ち話をしていました。

「子育てなんか、なんでもなーい!」年配の女性がカラっと言いました。
「子どもなんて、すーぐ大きくなっちゃうんだから、なんでもないことなのよ」

若いお母さんは素直に耳を傾けていて、その二人の関係も、それ以前の会話もまったく知らないのに、そこにほんわりした空気が流れているのを感じました。

帰り道、小さなそのおばあちゃんの「なんでもなーい!」という声が耳から離れません。おそらく、先の大戦も経験している世代でしょうから、苦労はたくさんあったと想像できます。それに比べたら確かに子育てなど当たり前のなんでもないことですね。もちろん、子育ては地球レベルでそれ以上のものがないくらい尊い仕事です。子育ての経験がない私でも、それがたいへんなのはよくわかります。複雑化した現代社会ではさまざまな問題もあるでしょう。

でも、子育てに限らず、たいへんだと思われていることのほとんどは、たぶん「なんでもなーい!」のだなと思ったのでした。おそらく私たちは、自ら過剰に反応して「たいへん」にしちゃっているのだろうなあと。思い詰める、考えすぎることによってわざわざスポットライトを当てて、不幸な物語を強調してしまいがちなのです。もちろん、DVとか虐待とかその他深刻な問題に関しては、適切な人に相談してその問題を解決するのが先決です。ここでは単なる愚痴や不平不満レベルのたいへんさについて考えます。

私たちは現在置かれている状況や人間関係などに左右されて、程度の差はあれ文字通り四苦八苦しています。けれども、その苦しみを生み出しているのは、環境でも時代でもなければ、親や上司など関係する誰かでもなく、自分自身なのです。苦しみは外からやってくるのではなく、それを苦しみと認識する自らの心が生み出すものだからです。

これまでに体験したさまざまなことが、意識的にあるいは無意識的に蓄積されているので、次に似たようなシチュエーションになっただけで、過度に反応してしまうのが人間の習性です。それは生物として必要な反応でもあるのですが、過剰反応が進むと被害妄想的になり、誰かの発言を曲解してひどく落ち込んだり、恨んだり、猛反撃したりというような行動につながります。

苦しみのもとがその過剰な反応なのであれば、過剰反応しないような練習をすればいいわけです。


ヨガや坐禅中に何かが気になることはないですか?
物音だったり、匂いだったり、隣の人だったり。他の人にとってはさほど気にならないことが気になって仕方ないという人がいます。また、ふだんは気にならないことが、ある条件の元ではひどく気になるということもあります。

そういうとき、その気になる音や匂いに意識をもっていくと、「うるさいな」とか「何の匂いだろう?」などと次々に考え出して、そこに執着が生まれます。かといって、「気にしないようにしよう」と思えば思うほど、もっと気になってきてやはり執着が生まれます。理性では撃退できないのです。

そういう場合いちばん簡単なのは、ほかのことに集中するという方法です。たとえば、アシュタンガの練習中だったら、ひたすら呼吸、目線、ポーズ(これらをトリスターナと言います)に集中することで、ほかの想念が入り込まないようにします。泣いている赤ちゃんにおもちゃを与えるように、別のところに意識を向けます。

あるいは、そういう思いを客観的に認識してはそれを流していくという方法もあります。「うるさいと思っている自分がいるな」ということを客観的に認め、認めたらその思いを手放すということを繰り返します。うるさい音の正体を探ったり、分析したりせずに、自分の中で起こっていることを認めては流していきます。これは陰ヨガでよくやる練習です。

あるいは、その音や匂いを遠いところで起こっている(自分には何の影響も及ぼさない)ものとして、ぼんやりととらえるという方法もあります。何かが起こってもいちいち反応しないようにする練習です。そういう感覚が得られれば、こころはいつもおだやかでいられます。私はこんな感じで坐禅をしています。

もちろん、練習のさまたげになるようなものはあらかじめ取り除くことが大事ですが、実践中にそういう反応を自覚したら、それをなんでもないことにする上記の方法を試してみてくださいね。それがうまくいくようになると、たいへんだと思っていたことがたいへんじゃなくなるかもしれません。成功を祈ります。


とはいえ、世の中なんでもないことばかりではありません。
いつか必ずやってくる自分の死でさえもなんでもないことと考えている(実際はどうかわかりませんが)私ですが、人を殺すようなことが義務になる社会だけは、なんとしても阻止したい。それだけは断固「なんでもなくなーい!」と言いたい。政治は気持ちの問題ではなく、人の力で変えるものですから。

天皇陛下のお言葉にそんなことを思った、きのうの終戦記念日でした。


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刻一刻と表情を変える空が無常を教えてくれる