CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

たまたま得たものに満足し

寒くなって換気をどうするかが課題になった。
マイソールでは汗をかくことが大事で、窓を開けっぱなしでカラダが冷えては、汗が出ないだけではなくケガのリスクが高くなってよろしくない。そこで朝一の温度が低い時間帯はしばらく換気しなくていいよう、間隔を開けてマットを敷いてもらうことにした。

そうするとCHAZENで人気のベランダ側に陣取れる人が少なくなるが、自分の好きなところにマットを敷けないというのはなかなかよいことかもしれないと思い始めた。

誰にでも好きなスペースあるいは敬遠したいスペースがあるし、できることなら落ち着ける場所で練習したいものだ。それは「練習する場所を選ぶ自由」だとたいていの人は思うだろうが、実はエゴを育てて苦しみを生む行為だ。

好きな場所はあってもいいけれど、それはたまたまそこで練習できたときにその心地よさをありがたく思うくらいにしておくのがいい。でないと、その場所が確保できなかったときに不満がわき起こる。

初めてインドのシャーラーで練習したとき、絶対あそこでは練習したくないという場所があった。それは場所が空くのを待っている人たちが座っている待合室と練習室の間の開いた扉(開戸)の脇。つまりマットの横に開いた扉が出っ張っていて、その先には20人ほどが中をガン見している場所であるから、とても落ち着いて練習などできない。しかし、その思いが通じたかのように当たってしまった。しかも、今ブログを読み返したら、先生にその場所を指定されていたのだった。

chayoga.exblog.jp


今でこそ、その「自分の自由にならないこと」を喜んで受け入れることが安楽への道だとわかるけれど、あのころはまだヨガの上っ面だけをなぞっていたのだろうね。

バガヴァッド・ギーターの詩句にこういうのがある。

4-22
たまたま得たものに満足し、相対的なものを超え、妬み(不満)を離れ、成功と不成功を平等に見る人は、行為をしても束縛されない。

上村勝彦訳『バガヴァッド・ギーター』岩波文庫より


極意なり。

インド思想に馴染んでいない人には、これがなぜ幸福につながるのかが理解できないかもしれない。だから、できるだけ嫌なことを避けようとする。でも、避けようと思えば思うほど、そこに苦しみが生まれる。避けなければ嫌なことにはならないことまでも避けて、結果として苦しみを生んでいる。

ふつうは選択の自由があることが幸せだと信じているけれど、選択の自由がないほうが幸せということだってある。だから理不尽なように見えても、言われた通りにやったほうがいいこともある。もちろん時と場合によるけれど、どの場所で練習するかという問題なんぞ、取るに足りないこと。たまたま空いている場所で、あるいは指定された場所で気持ちよく練習することは、今取り組んでいるポーズができることよりずっと意味のあることだ。

CHAZENはかくのごとく「風変わり」です。だから、スタジオではなく道場と称しております。


先日、小浅間に登ったあとで、「たまたま」通りすがりのお蕎麦屋さんに入った。犬連れ可能か聞いたらテラス席を示されたので、上着を着込んで部長を連れていったら、ヒトは室内の席、イヌはテラス席という不可解な案内をされた。よっぽど、勝手にテラスに座ろうかと思ったけれど、言われるがままに2人がけ席に3人で座った(コロナなのに?!)。これもまた、たまたま得たもの、か。

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寒い中、ひとり外に追いやられたシュー太郎氏は気の毒だったけど