CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

ゆるされているし、解放されている

練習が終わったあとの帰り際、練習生たちが入り口で部長におやつをあげている。それぞれ思い思いにコマンドを出したり、「どっちの手に入ってるか?」などなさっている。Y嬢がマテをさせている。「ヨシッ!」という声が聞こえる。最後横になって休んでいるときS嬢は、聞くともなく聞こえてくるその声に、自分がゆるされているような気持ちになるそうだ。

今日は混んでいる時間帯に部長がうろうろするので、マナーベルト(おむつ)を巻いておいた。そうすると動きが制限されるかのような錯覚があるらしくハウスに入る。しばらくすると、鼻を鳴らして自由にしてくれと懇願する。忙しい時間が終わりそれをとってやったのだけれど、そのうち自らハウスに入ってまた鼻を鳴らし始めた。はーん、またエアオムツ現象だな。巻かれてないのにそう思い込んでるらしい。

そもそも、だ。巻かれてもぜんぜん自由に動けるはずなのに、なぜか囚われの身になったかのように振る舞う。それがさらに、巻かれてもいないのに、巻かれていると思い込んでしまう。

その様子を見てY嬢が「シューちゃんはフリーなのよ。フリーダムよ」と諭していて笑ったのだけれど、冒頭のS嬢がそれを自分に対して「自由なのよ」と言われている気がしたと言うのでまた笑った。

笑ったけれど、実は笑ってもいられないかもしれない。
わたしたちは部長のようなことをしばしばやっているのじゃないか。誰にも制限されてなどいないのに、自らそう思い込んでいて、そこに苦しんでいるのじゃないか。

たぶんわたしたちが苦しいと感じていることの多くは、自分が自分で作り上げた物語の中のオハナシ。過去に制限された記憶が勝手に妄想を生み、その妄想によって自分を縛っているだけなのだ。

そういえば、その後の茶禅会でS嬢は、練習中に「今までのストーリーを消せ」という暗示が降りてきたという意味深な話をシェアしてくれた。

す、すごい。ぜんぶつながっていたのか......。


わたしたちは本来、ゆるされているし、解放されて自由の身なのだ。
それを縛っているのは親でも配偶者でも上司でもなく自分である。
だとしたら、その縛りを解くことができるのも自分である。

その仕組みに気づくと、フリーダムへ一歩近づく。

人の顔色見て、怒られないように、機嫌を損ねないようにするのは、相手の顔色を見ているようで、実は自分を縛っているだけだったりする。そのうえ、忖度された相手はぜんぜんうれしくないかもしれない。なぜなら、それは心から出てきた態度ではないから。

もっと自分を野放しにしておやりよ。

過去のストーリーを消して、荒野にひとり立つのだ。


ヨシッ!


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群馬側から見た浅間山。私のスタンダードはこっち