CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

東京の空に思う

冬は早朝(つとめて)。
というだけに、今時分は朝6時半前後に空がとても美しく染まる。その刹那に練習している人に贈られるあたたかいエール。きょうも早起きしてよかったね。

昨日、その時間が過ぎたあと、空に橋をかけるような雲が赤く染まっていた。

虹みたい......。

思わずiPhone持ってベランダに出たけれど、建造物のせいで台無しにされてしまう。

f:id:chazenyoga:20190111185155j:plain
あーあ、これだから東京は......。


さて、きょうは少しあたたかい。徒歩で飯田橋から九段を通って神保町へ出て、「雲水かるた」の札になる、うんちゃん&すいちゃんカードを印刷してから、メインの目的である書籍を購入。

学生のころはこの界隈をさんざん歩きに歩いたけど、今は近いのにあまり行かないのよね。蔵書の断捨離にほとほと手を焼いたから、今は図書館メインで本屋にも行かないしね。そういえば、昨日ネットで注文したアレ、ここにきたらいくらでも売ってたのにな。なんでもインターネットで注文するの考え直そう。

青春の思い出に浸りつつ本の街を歩き、御茶ノ水GAIAで「醍醐の泡」を(ここまできたら買うでしょ)。電車で帰るつもりだったけれど、気持ちいいのでそのまま水道橋へ。

少し暗くなり始めた空が広い。

なんか東京歩き楽しいな。どこか知らない土地を散策しているみたいな気分。

昨日はその醜悪さを呪った東京が、今日はすてきな場所に見える。
東京は何も変わってないのにね。

おっと。それがインド思想を学ぶポイントって私がよく言っているソレではないですか。

私たちが見るもの、聞くもの、感じ取るすべては、チッタ(心)が勝手に情報処理して伝えているだけ。感じとる対象自体は、良くも悪くも、きれいでも汚くも、ない。なんでもない。なんでもないのに、チッタがそうはさせまいと、過去の経験で積み重ねたサンスカーラ(潜在印象)を結集して、ああだのこうだのといらぬお節介を焼いてくるのだ。

「もっと**があれば」「××さえなければ」という発想は、対象を変えることで解決しようとしているので、もしそれが現実になったとしても、またあらたな願望や敵が生まれるにすぎない。

相手や環境を変えることが確かに有効な場合もあるけれど、自分のチッタを静かにさせるだけで世の中は変わってくる。その静かにさせるための方法がヨガや坐禅であり、先日書いた「これでいいのだ!」なのだ。まだ本が手元にあるから、しつこく引用する。

これでいいのだ
といっていると
誰しもがいい人のように見える
だから
これでいいのだ!

これでいいのだ
といっていると
自分が好きになっていく
だから
これでいいのだ!

これでいいのだ
これでいいのだ

すると
息が浄化される
魂が浄化される

これでいいのだ
これでいいのだ

すると
進歩がなくなると人はいう
でもいつでも後ろ向きで
歩けるのだ

すると
なぜか幸福になる

本当なんだな
これが

野口法蔵著『これでいいのだ』七つ森書館より


「正しく」ヨガや禅の修練をしていたら、自ずからチッタは静かになっていくはず。もし何年やっても静かにならないようなら、修行の方向や方法が間違っているかも。


f:id:chazenyoga:20190111200523j:plain
後楽園も反対側から見ると新鮮


東京は私の居場所ではないと思うけれど、今はここに生きるように定められているから、その定めにしたがって、くる時がくるまでここでなすべきことをなすだけよ。