CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

夢かうつつか

数カ月前不思議なことがあった。
休日の夕刻、消防署の先にあるひょうたん坂を上がったら、十字路の四隅がスマホを操る人々でいっぱいだった。

げげ〜っ! なんじゃこりゃ〜!!!

と口に出してしまいそうになるほど、異様な光景であった。ポケゴーかと想像はついたけれど、なんだかひどくイヤな「気」を感じたので、四方を囲まれたその十字路をそそくさと通り過ぎた。

と、その時。
シューさんの脚が突然もつれはじめて、白銀公園の石垣の先、コンクリート壁に身体をもたらせるようにして歩けなくなってしまった。毒でも盛られたかのような、筋肉が痙攣したような不可解な挙動に、もはや歩けない体になってしまうのかと青ざめた。それが、しばらく抱っこして赤城神社の近くで下ろしてみたら、何事もなかったようにスタスタ普通に歩いた。

あれはなんだったのだろう。


先日某嬢と「今なおポケモンGOに熱中している人がいるんだね」って話した夜に、そういえば私もスマホ以前だけどパソコンゲームしてたことを思い出した。今思うと、あれは心の空しさを埋める手段だったことがよくわかる。「何かに夢中になりたい。けど、夢中になれるものがない」という精神状態をごまかすための。

現代人は何かに熱中していたいし、夢をみていたいものなのだ。リアルな現実ではものたりないので、ドラマを観て誰かの人生を味わったり、ゲームでバーチャルな遊びをしたり、スポーツで特定の選手やチームを応援したりして、身代わりを立てて楽しむ。このリアルと思ってる世界自体が夢かもしれないのに......。

以前は私も夢をみることはいいことだと信じていたのだけれど、何をやっても終わりが見えるというか、夢が現実になった時点でつまらないものになってしまうと気づいたわけ。いつまでも現実にならない夢は執着となって人を疲れさせる。

ずっとヨガを続けていられるのは、いつまでたってもムナしくなることがないから。終わりが見えることがないから。おそらくは生涯にわたって、願わくはイマワの際まで、飽きることがないだろう。ヨガは今を生きることにほかならないから。

佐保田先生の言うように、体操から始めて、あーでもないこーでもないとすったもんだ、やっさもっさやっているうちに、しかるべきところへ運ばれるんだから、まことによくできている。体操だけだったら体が動かなくなればおしまいだけど、実はほんとのヨガはその先にある。若いうちは夢を追いかけるのもいいと思うけど、ヨガも並行してお続けなさいな。夢に疲れたときに、きっとヨガが救ってくれるでしょう。


当分インドにも行かないので、スーツケースの中のインド用品を片づけてたら......。

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開けたら絶対入って寝るんだな、これが