CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

私とは何か

すっかり書きそびれていたが、先月「本のフェス」のイベントのひとつとして漱石山房記念館で開催された講演を聴きに行った。茂木健一郎さんが漱石について語るという講演だ。

リアル茂木さんを見たのはたぶん初めて。何も期待を裏切らないそのまんまの人で、お話始まってまず思ったのが、話しっぷりがおもしろい=人を飽きさせないってこと。そうかー、スートラクラスとかこんなノリでやったら万人受けするかも......などと妄想してみる(できませんし、しませんが)。

茂木さんは漱石を敬愛してやまないそうだが、それは作品がすぐれているばかりではなく、漱石が人としてバランスがとれていたからだという。曰く「漱石は人に分け隔てをつけない」。だからこそ、自分以外のさまざまな人の気持ちになりきって、小説を書くことができたのだと。

人の悲しみや苦悩がわかる、つまりどんな人にもなりきれる。アベさんの気持ちにもなれるし、アソーさんの気持ちにもなれる。それが大事なのではないか。私はあなたであるかもしれないのだから。

そもそも「私とは何か」。

私とは何を言うのであろうか?
すなわち、私を私たらしめているものは何であるか?


それを考えていくと、たとえば私を特徴付ける外見は意図的に変えることもできるし、事故や病気などでひどく変わってしまう場合もある。同様に性格だって記憶だって絶対的なものではない。

そうやって突き詰めていくと、私とあなたを隔てるものなどない、みんな同じ人間なのだ。
と、おおざっばすぎるけれどそういうお話であった。

少し前、教養のある大人なら当然のことだったこの感覚が、今や崩壊しつつある。学歴だとか地位だとかのある「衣食足りて礼節を知る」はずの人が、あからさまに差別をしたりする。マウンティングをする。そういう話の展開にはならなかったけれど、茂木さんが言いたいのはそういうことなんじゃないかと私は勝手に思っている。ヘイトスピーチとか、弱者叩きとか、平然と行われる現代への警鐘を、漱石にからめて伝えていたのではないかと思う。

やっぱり茂木さんの話はヨガっぽい。微妙に違ってはいるのだけれど、たとえば、私とは何か?というのは、まるでラーマナ・マハルシのjñāna yogaのようでもある。

茂木さんの言説にはヨガや仏教につながるものが多く、以前からブログでも取り上げてきた。

最近ではこんなのとか。

chayoga.exblog.jp

もっと昔はこんなのとか。

chayoga.exblog.jp


茂木さんのこういう話に興味が湧く方は、CHAZENの座学も楽しんで受講できること請け合い。今度の日曜日からヨーガ・スートラクラスの新学期、いちばんのハイライトが始まりますので、ぜひご参加ください。

www.chazenyoga.com


ところで、この機に久しぶりに漱石を何冊か読み直してみたのだけど、「門」を読んで漱石が鎌倉に参禅してたことを知った。鎌倉といえば臨済禅なので公案を出されるのだけど、漱石は途中でギブしたそうな。もしほんとに禅がわかって悟ってしまったなら、小説を書く必要がなくなっちゃうけどね。

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写真もOKってオープンなのが茂木さん流