作務という愉しみ
今回のミッションはただひとつ、薪棚マターだ。
薪を並べて乾燥させるための、屋根があって通気のよい棚を用意する必要がある。薪棚くらいちょっと器用な人ならDIYでちゃちゃっと作れてしまうのだろうけど、今の私にはハードルが高杉晋作。昭和時代の女子はカナヅチやノコギリの使い方を知る「技術科」を習っていない。で、グーグル先生に聞いてみたり、ご近所さんの薪棚を観察して研究した結果、安上がりの簡易式から始めることにした。
まずは今積んである木を移動させる。
下にある結構な太さのクリの木は、移動させるのもたいへんなので、ついでに割ってしまおうか。しかし、こんなぶっといの、果たして割れるのだろうかと思って試してみたら、意外とかんたんに割れた。
ほんならこれはどうだ?
2回ほど斧を振り下ろしてみたがびくともしない。
この凸凹は切り倒すときに入れた切り口の跡、つまりいちばん根元に近いところだろう。割るよりも、逆さにして柔らかい土の上に安定させ、薪割り台として使うことにした。
だんだんわかってきたのは、割りにくさは太さよりも節や筋形状、硬さらしい。上の写真の右奥にある半分に割れたものは色白で筋がまっすぐ。すなおな女子のようにたやすく割れたのだけれど、一筋縄ではいかないのも。
最初に狙った刃の跡がいくつかついている。そうやって試してみるうちに、これは中心を避けて狙いを定めれば割りやすいということがわかってくる。そこにおもしろさが生まれる。薪割りまでするつもりはなかったけど、ついつい割ってしまう。
調子に乗ってやりすぎないように、暗杉くんのテーブルでお茶しましょ。
ブロックの上にウッドデッキの一部だった板を渡して、とりあえずの仮置き場を作り、割った薪の上だけ波型板を屋根にして縛っておいた。
こうしてカラダを動かしていると、人間再生のためには作務だなあと実感する。スイッチひとつでなんでもできる生活は労働の愉しみを奪い、人間を衰退させていくだけのように思えてくる。
先端医療で病気を治し、ただ長生きすればいい時代が終わっていることは、多くの人が感じていると思う。ピンピンコロリとか言うように、できるだけ健康なココロとカラダで生涯をまっとうするためには毎日をどう生きるべきか。
春が待ち遠しい。