CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

最初で最後の最初と最後のギータークラス

本日は昨年からの第6期ギータークラスの最終回であったが、そこに23日からスタートするダイジェスト版ギータークラスのイントロをくっつけるというすごい荒技を考え出したちゃみこさん。それはないよねと自分でも最初は思ったけれど、そうでもないか? 意外といいアイデアではないか?ということで実現させてしまった。

イントロというのは、ギーター読むのが初めての人向けにマハーバーラタから連なる物語の背景を紹介するというもの。まったく初めての人が2〜3人参加するイメージだったのだけど、あまりに大入りでびっくりした。都合悪いはずの人も、仕事だった人もなぜかきているし。昨年までにギーターをコンプリートしている人たちまで。

すげー!
やる気だよ。皆の衆。

そして初めての人もほとんどは第1章とイントロを聞いたあと、最終章の購読にも残っていかれた。
物語の始まりと結末の、これぞ究極のダイジェスト版は、ヘンテコなのにめちゃ収まりがいい不思議なクラスとなり、1回でギーターのよさがばっちり味わえるおまけつき。もう二度とこういうクラスはないでしょう。

できるだけ粛々と重要なことだけを話して、飲み屋で機嫌よくなってしゃべりまくるオヤジ風の語りを省くのが私の課題なのだけど、やっぱりいったんギーターを開けばやっぱりそこは新橋と化し、熱く、しつこく語ってしまう。こんなことでは、今まで月1回で1年かけて読んできたものを4回に圧縮することはできないぞ。ここぞという箇所に絞ってまとめないと絶対ムリだけど、ギーターの詩句はどれもこれもいいので、泣く泣く断捨離するしかない。

今日のちゃみこ節は、インド思想によって既存の価値観や物の見方を別の視点に切り替えることができるという話。ハッとしたり、ギョッとすることでマンネリ化した思考を顚倒(てんとう・転倒と同じ)することだ。

この発想を転換することによって、ものごとのありようは変わってくる。いや、ありようは変わらないのだけど、自分のありようが変わるので別のものに見えてくるのだ。

その第一歩がカラダの浄化であり、毎日の朝練である。ここから浄化=お掃除が始まる。カラダが浄化されないとこういう話もカラダのなかに入ってこないんだろうなあと感じた。ヨガが体操だと思っている人がギータークラスに出て、何言っているかぜんぜんわからず挫折というのはよくあるケースなのだけど、何年かたつとそれがわかるようになっているものだ。朝練を続けていると、知らず知らずのうちにカラダでインド思想を理解するようになっているのだと思う。それが「毎日やるのがアシュタンガ」なのさ。

坐禅もそうだけれど、ヨガはアタマではなくカラダで理解するもの。だから99%がプラクティスでセオリーは1%なの。1%の理論を99%の実践でカラダに染み込ませるとも言える。

理論と実践はぜひセットで受講されることをおすすめします。

CHAZENの「朝ヨガ」なら、どなたも安心して朝練を始められます。

www.chazenyoga.com


朝ヨガで柔軟性が高くなったり、運動機能が向上するのは「おまけ」であり、大事なのはカラダと感覚器官の浄化。この「浄化」を今日は抜けるように晴れた青空にたとえてみた。朝練のあとはココロもカラダも雲がなくなって青空がパーっとひろがる感じだから。

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下界は晴れていても浅間山は雪模様。