アシュタンガとストレッチ
先日のヴィンヤーサヨーガには思わぬ効能があったようで、その後のアシュタンガの練習でカラダが開いているとか、調子がいい、股関節の可動がよくなったと明るい顔で報告をいただいた。
ほう、そいつは意図してなかったな。
だいたい、聞けばみんな次の日の筋肉痛はほとんどなかったと言う。ただ一人筋肉痛になったのが自分自身であったとは、参加者の筋肉痛を予期した私の予期せぬ結末であった。
思えばそれもこれも当然の結果だ。私がいちばん練習不足なのだから。
ヴィンヤーサヨーガでこれでもかとやったポーズのほとんどが股関節のストレッチであるが、それはあえて狙ったわけではなくて、ここ2週間ほど調子が悪くてギクシャクし続けていた私のカラダが、ストレッチしてもらうのを望んでいたのだと思う。
先週歯医者のリクライニングした診察台の上で治療を待っていたら、なぜか膝から曲げた脚を両手で抱えて胸に引き寄せたい、なんなら首の後ろにかけたいというカラダの声に気づいた(もちろんやってません)。
股関節に限らず、カラダが伸びたり開いていると単純に気持ちがいい。足取りも心も軽くなる。その効果は実感しやすいがゆえに、人はヨガスタジオに通うのである。
片や、アシュタンガはストレッチが目的ではない。
かつて私は、太陽礼拝の2回目まではヴィンヤーサヨーガでやったようにダウンドッグで片足を天井に上げて脚の付け根をストレッチしてから両手の間に戻るっていうのを習慣にしていた。ほんの一瞬だし、イケナイことをしている自覚はないもんだから、シャラート先生の目の前で堂々とやったら、「なにやっとんじゃー、こらー!」と。その後のカンファレンスでも、練習に入る前のストレッチは無用!とお達しがあった。
あんな数秒のストレッチが禁止なら、世の多くのマイソールクラスで行われているような、難しいポーズに入る前にストレッチしたりするアイアンガー系アプローチは何をか言わん。
純粋なアシュタンガはカラダを動かしながらもその目的はココロにある。
ストレッチしたからカラダがより開くとか、そういうことを目指してないのね。ポーズはただの道具だから。
そんなわけでCHAZENではアシュタンガの練習にストレッチを入れるのは基本的にはNGだけど(もちろん例外もある)、ストレッチ自体を否定しているわけではないので、陰ヨガとか、今回のヴィンヤーサヨーガのような特別クラスではディープストレッチを大いに体感してもらいたい。
ストレッチの気持ちよさが習慣になってアシュタンガの練習につながるのであれば、ストレッチもまたよろし。一定の期間練習を続けている人は両者の分かれ目を認識した上で、効果的に取り入れたいところ。
季節は春。カラダ開くとき。