CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

オマケから始まる道

アシュタンガヨガは、数多くある霊的修養のうちのひとつの方法です。
まず身体を調えることから先に入るので、現代人が実践すなわちプラクティスを始めるのに最適な道だと思っています。

それを言うなら、巷にあふれるヨガのほとんどが身体を動かすヨガではないかと思われるかもしれませんが、多くの場所で行われるヨガは身体のみ調えておしまいということが多い。健康法のひとつであったり、スポーツ的な気晴らしであったりはしますが、それらはゴールに向かって続いている道ではなく、あちこちに散在している「道の駅」のようなものかもしれません。道の駅は楽しいところですが、道の駅に通い詰めても、道の駅めぐりをしても、ゴールにはたどり着けません。ゴールがどこにあるのかも知らないまま、道の駅に行くことが目的になっている。

ところどころで「道の駅アシュタンガ」もあるのでよく勘違いされますが、アシュタンガヨガはそもそもがアーサナを出発点として、やがてはサマーディに至るまでの大いなる道として設計されています。アーサナは出発点であり、方法であって、目的ではありません。ポーズの完成は仮の目標として各自が設定するでしょうが、それ自体は本来目指すところではないのです。

アシュタンガヨガ は自主練スタイルで練習する(マイソールスタイル)のが最大の特徴です。黙々と練習することで、練習そのものが瞑想になります。アーサナだけが強調されているように見えますが、これは初歩的な瞑想の手段にすぎないのです。

とはいえ......、
その「単なる」手段自体の効果がひじょうに高いがために、それ自体が目的になりうるのもまた事実です。運動不足を解消し、気づくと健康になってしまっている。おもしろくて健康になれる。おもしろくてシェイプアップもできる。さらには「道なんかどうでもいいけど、これがおもしろくてやめられない」アシュタンガジャンキーと言われる人が続出します。

アシュタンガの道は、「おもしろくてやめられない」ポーズを追いかけるうちに知らず知らずのうちに歩いていることが多いのです。オマケに魅せられて始め、オマケを追い求めて続けるうちに、気づくと経典を読んでいたり、インドに行ったりしているわけです。そして、その経典がおもしろくなって初めて、ヨガとはアーサナでないことに気づくという......。

オマケというと、子どものころ近所の病院に行くと必ず売店でミルキーを買ってもらっていた記憶があります。おとなしくさせておきたい場所ゆえか、すんなり買ってもらえた気がします。でも、私がほしかったのはミルキーではなく、ペコちゃんポコちゃんの赤い箱にモールの取手がついているそのバッグ型の外箱とオマケでした。

いや、そんなノスタルジックな例を出さなくても、大人になってからスヌーピーのキャップほしさに、好きでもないコーラを買い続けたことさえあります。(ちなみにコーラはすべて「キューバリブレ」というカクテルになって消費されました)

アシュタンガヨガのポーズは、まさにそのオマケのようなもの。見た目に惹かれ、ポーズにはまり、取り組む面白さの虜になり、オマケのコレクションさえ始めてしまうのです。

たかがオマケ、されどオマケ。
バックベンドワークショップの準備をしていて、改めてオマケのおもしろさに感心してしまいました。こういったワークショップはある意味邪道ですが、本来の道から外れないで歩いていく分には、道の脇に生えている草を摘みとったり、昆虫や鳥を観察しながら歩くのも気分転換やモチベーションアップになります。

本日のワークショップ参加者は、そういったことを重々承知なさっている面々でした。打てば響くし。

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げんこつ山ではなく、椎骨のつもり


脚を使う練習をたくさん盛り込んだので、筋肉痛注意報が出ております。何しろ大腿死闘筋っていうくらいですから。(いわねーよ)

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大腿四頭筋のかなり弱っている部長.....


もう難易度の高いアーサナを追求するのは卒業した私ですが、アーサナ練習なしではこの先健康を維持できないであろうことは確実です。何もしなかったら、老化の波にさらわれて二度と帰って来られなくなるような気がします。バックベンドは特にアンチエイジングのポーズです。背中が丸くならないように適度に行いたいものです。

何より、健康な身体という土台があって初めて「道」が歩き続けられます。このオマケを大いに有効活用して、元気に道を歩いて行きましょう。