CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

俗なるヨガのルーツ

アップリンクの社長がパワハラで訴えられたというニュースがあったので、アップリンクのサイトを見に行ったら、これまでに上映された60本の動画配信が¥2,980で3カ月見放題というのを見つけた。うっそー、見逃したアレもコレも見られるじゃないのー。

ということで、まずはチョー今さらながら『聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅』を観たのだった。
何年前だったか忘れたけど公開当時「観ましたか?」とよく聞かれたけど、いいえ。たぶんそれほど観たいと思わなかったのだろうね。そして、今さらな今観たのは私にとってはちょうどよいタイミングだったのだと思う。

以下、バッサリ斬らせていただきます。(もう時効ってことで)

そもそも、映画の作品として残念な出来である。
パッタビ・ジョイス(以下グルジ)、アイアンガー、クリシュナマチャリヤの娘や息子たちのインタビューなどは興味深く聴いたけれど、この監督がアーサナを延々練習する最後のほうは寝ちゃったよ。エンドロールで目が覚めたけど、「はあ? で?」というのが感想だ。

「聖なる呼吸」とか「ヨガのルーツ」とか大それたタイトルなのに、「聖なる」感じがぜんぜん伝わってこない。むしろ俗のほうが感じられたのは私のうがった見方ゆえか。それが監督の意図だったらすごいと思うけど、そうではないだろうな。

観る人によってはヨガってすばらしい! と思うのかもしれないけれど、私にとっては「だから近代のヨガはこうなってしまったのだな」という「俗なるヨガのルーツ」がありありと感じられたのだった。

クリシュナマチャリヤ師が弟子を叩いたというエピソードが、グルジとアイアンガー師の口から語られる。そのクリシュナマチャリヤを痛烈に批判するアイアンガーが、アーサナの指導中に生徒を叩いているシーンに世界中のヨーギーは何を感じたであろうか。

かつてクリシュナマチャリヤのもとで共に練習をした仲間とグルジが再会し、マイソールの宮殿の裏にあったというヨガシャーラーの跡を訪ねするシーンで、あのころはヨガをやる人なんていなかったのに今じゃ外国人がお金を払ってまで教わりたいと言ってやってくるようになったねという旧友の言葉に相槌を打つグルジの手には金ピカの腕時計、首には金ピカのネックレスが光る。

要するに、われわれとしては、この偉大なグルたちのyamaはどうなっているのだろう? と思わざるを得ないのだ。

この映画が公開されたのがme tooムーブメントの後だったらお蔵入りだったかもしれない。特に欧米ではグルジのセクハラが明らかになるにつれて、アシュタンガから離れる人も多かったのではないか。私自身はその問題に対してはそこまで気にしていないので、掲げているグルジの写真を外すようなこともなく、分校にも写真を持って行ってある。

この映画を見ていて思ったのは、この監督が「ヨガのルーツ」と言っているそのヨガはせいぜい数十年の、パラムパラーで言えば2〜3代の歴史しかないということだ。そのヨガが私たちにもたらした功績は偉大ではあるけれど、洗練されるに至るまでの十分な歴史がないとでも言おうか。

グルジに辱められたり、傷つけられた人には特に、その他多くの女性に対してもデリカシーのない発言ではあるが、昭和のエロおやじを見てきた私としては「おじいちゃん、しょーもないことしちゃったなあ」という感覚で受け止めている。そのこと自体は決して容認できないものの、それだからアシュタンガヨガを指導したくなくなるようなことではなかった。

それよりもどんどん富と名声を集めてビジネス化していくアシュタンガヨガのほうが、私には受け入れがたいものに映る。

ただ、そういうヨガになるのは構わないけれど、私が目指すものではないというだけの話なので、勝手にアシュタンガヨガのシステムを使わせていただきながら、ちょっと違う路線を進んでいるのがCHAZENです。シャバでヨガごっこしているのだから、俗であることはある程度仕方のないことだけれど、愛すべき俗とそうでない俗というのがあるようにも思う。

今度のヨーガ・スートラクラスでお茶の時間に話そうかなと思っていたことだけれど、きっと話し出したらどんどん広がって収拾がつかなくなりそうなので、先に結論を述べてみました。久しぶりの必殺真剣斬り......。


しょーもないおじいちゃん@CHAZEN

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もうわるいこともできないけどね