オンラインでも充実のスートラクラス
オンライン版ヨーガ・スートラクラスは、予期せぬトラブルもなく無事終了。
最初に約90分ほぼ一方通行で講義をしたのだけれど、いつもの位置に座って話しているのに目の前には誰もおらず、というシチュエーションにちょっと緊張した。人前では緊張しないけど、人がいないと緊張するってどういうことだろう。
参加者側の顔ではなく画面共有された資料を見ながらの進行だと、表情も見えないし、笑いとかリアクションの声も聞こえないから、なんだか独り相撲をとっているような、裸の王様になったような居心地の悪さを感じる。
が、そこを超能力で透視しつつ(!)ペースを計りながら進んでいく。だいたいは見当つくものだ。ここはきっと瞼が閉じそうになっているだろうなあとか、このへんは興味深く聞いているんじゃないかとかね。
最後のシェアリングタイムで感想を聞くと、実際カメラとマイクをオフにしていると緊張感がなくなるだろうから、ちょっと難しい話はやはり眠くなっていたそうだ。でも、概ね興味をもって聞いてもらえたようで、画面越しではあっても、しっかりと手応えが感じられた。あらかじめ話すことを資料にまとめておくと、参加者にポイントが伝わりやすいというのも、オンラインならではの成果。
オンラインでもちゃんと伝わっている。
そこに足りないのは言葉にはできない、リアルな人のぬくもりだけなのかも。
今回好評だったのが、第1章にどんなことが説かれているかおさらいしたこと。
初期からの参加者は以前第1章を読んだときはさっぱりわからなかったことがクリアになったようだし、第3章から参加した人たちも、つながりがわかって理解が深まったようでなにより。
それと、想像以上に反響があったのが仏教との関連で話した「四無量心」のこと。さらっと紹介する程度に思っていたら、それ以上に具体的な質問や投げかけが出てきたことが嬉しい。終わったあとで、ああいえばもっとわかりやすかった、あのエピソードを話せばよかった、などとさまざまな思いが浮かんだ。それで、今さらながら四無量心をググってみたところ、ああこの訳語を当てておけば違和感がなかったのにというものが......。
最初からこの展開を想定して深く掘り下げるべくリサーチしておけばねえ......。
無関心→平静......といえばよりしっくりするとは思うのだけれど、実際それが意味することが何なのかは、仏教に近づいて、仏教の中に入って実際に肌で感じるしかないように思う。言葉のニュアンスは実際に体験することで得られるものだから。続きは来週のオンライン坐禅会で星覚さんと話しましょう。
それにしても、学びの中から課題が生まれるというのはすばらしい。実はそれこそが学ぶ意味なのだと思う。結論を出すのではなく、考えるきっかけをつくる。課題を引き出す。それこそが学ぶ楽しさなのだと思う。