先日、アタマとカラダのマッサージを受けたら、けっこうあちこちがひどいことになっていた。オシリなんてもう何か仕込んであるんじゃないかと思うほど痛くてびっくりした。これほどまでに臀筋が凝っていた記憶がない。しかも、押されて初めて気づくというありさまで......。
日頃、練習生のカラダの具合を見て、メンテの助言などえらそうにのたまうワタシなのだが、オマエがなっ!である。
かっさを使ったヘッドマッサージ目当てで行ったのだけれど、あの、無常迅速をドラえもんの歌にしてしまったときと同じように「頭ガチガチです」。さらには肩甲骨がくっついて肩が前に入っているというのも指摘された。翌日、ダウンドッグで意識的に肩甲骨を離して背中側に引き上げるようにしてみたら、上腕にすごく違和感がある。これはまだ後遺障害が残っているためなのかもしれない。
そういや、インドで骨折してから丸5年だ。
ってことは、ゆる練歴も5年。CHAZENを始めて8年だから、CHAZENをオープンしてから自分のアーサナをがんばっていたのはたったの3年だったのね。
骨折がなくあのままアーサナを追究し続けていたら、CHAZENはどんなマイソールになっていたのだろうか。目指すところは昔も今も変わらないけれど、行き着くところは同じだっただろうか。私が難しいポーズを攻略することにエネルギーを使っていたら、やっぱりCHAZENももっとアーサナ風味が強くなっただろう。そう考えると、田んぼや山の分校は、アーサナに費やしていたエネルギーを持て余しての結果だったようにも思える。インドにも行かなくなったしね。
人生はまるで難破船に乗って海を漂っているようなものだ。行き着いた島で、その島の流儀に従って生きる。そこで船をなおしてまた海に出るもよし、島に残ってそこで一生を終えるもよし。ただし、海で、島でまた何が起こるかわからない。大事なことは何が起こっても、それを引き受けること。それを楽しむこと。
「任運自在」という禅語をご存知か?
流れのままに、運に任せておけば、自在(思うままになること)なのだ。無理に抵抗したり、落ち込んだり、あくせくしなさんなってこと。何かがあったときはたいてい、その何か自体ではなく、その何かに反応している自分がいちばん自分自身を困らせているのだよね。
では「任運自在」の逆をご存知か?
「人類がコロナに打ち勝った証」とか......。
これ、結局は誰にも自在がなくなる結果になると思うんだけどねえ。
閑話休題。
コロナという嵐は最後にCHAZEN号をどこまで運んでいくのか。
春は新しく練習を始める人が増える季節だけれど、まだまだ世の中そんな気分になりそうもない。もうしばらくはソーシャルディスタンス&換気で、ゆったりと漂うとしますかね。
理事長がガブっと食べているうちは平穏ですわ〜。