CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

2日目:濁っていたことに気づく

ごきげんよう
臨時休校2日目の思いつき日記です。

きのうは夕方から復活したので夜眠くならず。
布団の中で『哲学トレーニングブック』なる本を読んでもぜんぜん眠くならず、夜更かし(ワタシ時間のね)。

それでも、暗い時間に起きて坐禅
シューさんが起きたので散歩〜もろもろお世話してから、朝練の前に読書。

休みになる前にどういう風の吹き回しか宇宙科学の本を借りてきていて、それを読みたくなった。パラパラっとめくって終わりのつもりが、1ページ目からストライクゾーンだよ(詳細は改めて)。

アーサナ練習もちょっと違うメニューを入れてみたり(詳細は改めて)。

洗濯して掃除して、クローゼットの中まで大掃除することにした。タンスの引き出しを抜いて、ホコリを拭いて、衣替え的なあれこれをして。暫定で置いてあるものの定位置を作って収納し、暑くなったらすぐ使えるように夏掛けを洗ったり。

よしすっきりした。
見えないところまで掃除をすることは、断食で内臓を掃除するようなもの。ホコリをためるのは宿便をためるようなものかもしれない。掃除をすれば「気」がめぐるような気がする。

ここまでで9時。
いつもならマイソールの終わる時間までに、かなりのタスクが完了した。ダメだった昨日の分を挽回して、気分爽快なり。

よく晴れた今日の空のように澄んだ心を自覚すると、この半年ぐらいはかなり濁っていたことに気づく。シューの発作以降、ドミノ倒しのように崩れていって、自分の修行がだいぶおざなりになっていたから。

今回の自粛休校は、ヨガーサナのような効果があるかもしれない。
たとえばねじりのポーズはよく、ホースを絞ることにたとえられる。いったんぎゅっと流れを堰き止めておいてから解放すると、水が勢いよく流れてこびりついた汚れをとっていく。ねじりのポーズは、内臓にそれと同じ刺激を与えるわけだ。

休校を決めるとき、いまちょうど調子が上がってきている人たちがペースを崩して、せっかくの勢いが止まってしまうのではないかと危惧したけど、杞憂だね。いったん止めることで流れはよくなるはずだし、もし止まるならあえて止めたっていいのだから。

この一旦停止がもたらすものは一様ではない。
けれど、これが「回向返照*」のよい機会であるという意味においては、みんなに等しく与えられている(もちろん私にも)。それぞれが何を思い、何を感じ、どんな行動をするのか。それがアシュタンガの試合なんだよね。

勝ち負けではなく。

*回向返照
成果や発展・向上をめざして外へ外へと広がる意識を、自分自身の内側へ向けて、自己に光を当てること。

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野苺よ、早く赤くなーれ