さて、前回のスートラクラスはコンテンツてんこ盛り。
どう考えても多すぎるので、一部は来月に先送りしたけれど、それでも店先だけでは足りずに道路の向こう側まで進出して、もはやスートラはスートラ(経)でも般若心経にまで展開していくちゃみ商店であった。
いくつか前のブログでCHAZENのアシュタンガはお釈迦様寄りみたいなことを書いたけれど、まあそれは大風呂敷すぎるとして、個人的にはアシュタンガヨガを禅仏教に近いものと想定している。ヨガにありとあらゆる種類があるように、仏教にもさまざまな宗派があるなかで、たとえばチベット仏教や真言宗など密教はタントラ系なのでハタヨガと関連が深い。一方、古典ヨガ(ヨガ・スートラのヨガ)をベースにしているアシュタンガヨガは、そのくくりに入らないものと解釈している。
禅仏教に近いというのは多分に私の主観的な感覚なので根拠が薄いけど、アシュタンガヨガは少なくともタントラの系列ではないと思っているんだよね。(多くの人には意味不明な内容ですみません......)
ところが。
グレゴール・メーレ本を見たら、まったく正反対のことが書いてあった。GMさんは「タントラ、アシュタンガヨガ、チベット仏教」をひとくくりにして、それらがオカルト、魔術、錬金術、呪術的なメソッドを使う、似たものどうしであり、ヴェーダーンタ、サーンキヤ、テーラワーダ仏教、禅仏教などとは異なるものだと書いている。
うーん。
そう言われたら確かに方法論としては、スートラのヨーガは瞑想のテクニックを使って三昧に至るものだから、瞑想を重視するタントラ系のくくりに入るのかもしれない。が、やはりそこに少し抵抗を感じる。なんでだろうなあ。
もしかしたら、私は主に禅寄りの佐保田先生の解説を参考にしているのでそう感じるのかもしれないし、ただの願望なのかもしれない。それに、ヨーガ・スートラのアシュタンガヨガではなく、CHAZENのアシュタンガヨガをイメージしてしまうせいかもしれない。
どれもさまざまな側面があるので、ある面から切り取ればタントラのくくり、別の面では禅仏教のくくりというふうになるってだけの話かもしれない。インドの思想は元をたどれば同じだから、カテゴライズも難しい。切り口を変えれば結果もガラッと変わるだろうし。
よく考えればGMさんの言っていることは至極ごもっとも。
今後の読み込みでもっと検証してみたい。
え? んなことどうでもいいって?
はい、そのとおり。
解釈は人それぞれでいいのだと思う。各人がそれぞれに理解して自分の修行につなげていければね。
