CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

ツウな星の坐禅会

諸事情により、オンラインの坐禅会をお休みしておりますが、きのうはCHAZENで「星の坐禅会」でした。

いつものように、東京に用事があってしばらく滞在されるのかと思い軽くお願いしてましたところ、終わってから判明したことに、実は星覚さん、この坐禅会のために日帰りでわざわざ来てくださったのでした。しかも、糸島から福岡空港まで自転車こいで2時間かけていらしたそうです。もちろん帰りもまた2時間自転車をこいで帰宅されたはず(未確認)。

ありがたいことでございます。

効率第一で、楽をして、なんでもお金で解決してしまう世の中にありながら、不惑を越えても少年のようなフットワークで動き、静かな信念を持ち続けてしっかりと歩みを進められるひとは、そうざらにはいないかと思います。お坊さんに差し出すお布施はこのような存在に対しての敬意を表すものであって、決してお坊さんが提供するサービスの対価ではありません。

さらに言えば、お布施自体が必ずしもお金である必要はなく、みんなのためにバナナとくるみの焼き菓子を作ってきてくれるということもまた尊いお布施になります(写真を撮り忘れました......)。これから糸島に坐禅堂を作る計画があるそうですから、労働力をお布施するというのもアリかと思います。


さて、きのう参加してくださった人たちにヨガ歴と坐禅歴を聞いてみたのですが、ほとんどがヨガ歴10年クラスでした。かつては、若きお坊さん界のホープといった風であった星覚さんに惹かれて、さまざまな方々がCHAZENにも来てくださっていたように思いますが、今やホンモノ感がひときわ光る星覚さんなので、ちょっとツウな方が参加されるようになったように感じました。

ツウってなによ?といわれると、そのー、なんというか、ですねえ......。「星覚さんにふさわしい人たち」ということでしょうか(苦しい)。たとえていうなら「シネフィル」みたいな......、ちょっと違うか。

某嬢が所感の中で「ブランディング」という言葉を使ったソレを「ええと、なんでしたっけ......さっきナントカゼーションって言ってましたよね」という星覚さんに、少しずつ老師あるいはおじさん化の兆候を感じた私です。先日も欧州のお坊さん相手に通訳されていたはずですけどね。ナントカゼーションって......。

ま、そういう私は先日のスートラクラスで言いたい単語が出てこなくて、「ほらアレ、あの......」とか言って「上座部」という言葉を受講生に教えてもらいましたけどね。ちなみに、言いたかったのは「テーラワーダ」という言葉だったのですが(上座部仏教に同じ)、なぜかこの言葉を言おうとするとスマナサーラ長老のことが思い出されて、アルボムッレ・スマナサーラという(言いにくい)言葉に加えてアビダルマという言葉が交錯し、肝心の「テーラワーダ」という言葉が出てこなくなるんです。

ま、言い訳は見苦しい。ただの老化現象です。今度から「寺だ!」と覚えておくことにしましょう。

が、きっと次にその単語を言おうとするときには「寺だ!」のことを忘れてるんでしょうけどね。アラカンなんてそんなものです。ここに書いておけば誰かが覚えていてくれるでしょう。

で、ツウに戻りますと、ヨガを長くやっているとうまく言葉にはできない「ナニカ」に気づくようになるのでしょう。以前は私の言っていることなど何が何やらサッパリわからなかった人が、だんだんそういった言葉の奥にある「ナニカ」に勘づいてくるわけです。そうすると、次に似たような場面でまた「ハッ」となって、電光石火でその真意を汲み取れるようになる。あるいは、少しわかりかけてくると、知的好奇心が湧いてどんどんおもしろくなってくる。

正法眼蔵随聞記」は「正法眼蔵」よりも格段にわかりやすいですが、それでも一般レベルで考えたらまったく意味不明だったり、ハテナマークだらけのところも多いです。ただそれも通して読んでいると、おのずと「出た、またあの話だな」という風に「キモ」が見えるようになってきます。いや、そんなことはわからなくてもいいのです。「ある視点」をもって「ナニカ」を感じ、それを自分の日常に落とし込むことができれば、随聞記の教えが生きたものになるはずです。

星の坐禅会、次回も楽しみです(いつになるのかまったく不明ですが)。

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しのごの言わず「只管」です