CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

与作仕事の終わり

ごきげんよう

通帳の間に存在を忘れていた現金が入っていて、諭吉さんが仏さまに見えました。ナンマイダー。3枚だー。32日目の山籠もり日記です。

これが最後と思われる氷点下の朝。

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近くに行って撮ればよかった

外の温度計がなくても、シャクナゲが葉っぱをぎゅっと閉じているのでわかるのです。寒冷地の植物はこうやって寒さに耐えて生き延びているのですね。地球上のあらゆる生命がそれぞれの仕方で身を守り、生きようとする姿に崇高なものを感じます。

少し気温が上がると開いてきます。

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うすいピンクがかわいらしい


薪ストーブで煮込み料理ももう最後とミネストローネを作りました。以前はヘビロテで作っていたのですが、何年ぶりでしょう。ハトムギを入れることをすっかり忘れてました。イタリアンは外でも家でも食べなくなったのに、コロナでパスタも復活です。こちらに来てすでに1kg消費しました。

2週間くらい買い物に行かなくても困らないですが、新鮮なものを食べることができないのが難点です。それでも賞味期限をやりくりして、今のところ食品ロス0です。期限切れの牛乳も状態をチェックしながら加熱すれば大丈夫。今回はいつもの低温殺菌牛乳と2本目として期限の長い標準殺菌牛乳を買ったのでまだ期限内です。

さて、いよいよ与作仕事もいったん終了。来シーズン用の薪を収納しました。ヘイヘイホー。

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薪割りストは、割った薪を薪棚に並べた時に満足感を覚えるそう


ブロックに木を差したなんちゃってラックは、まあこんなものかなと思いますが、ちょっと気に入らないのが真ん中のプラスチック。ここに置いてあった、たぶんタイヤのラックと思われるものは、素材的にも強度的にも難あり。次に積み直すタイミングで外そうと思いますが、最後に載せる屋根の素材もポリなのでした(左端にちょっと写ってるアレ)。

家の裏側だからいいかと思ったら、練習しているときに窓から見えるということに気づきました。リトリートまでの課題にします。

それではまた明日(たぶん)。

ゆだねる

ごきげんよう
人生初のゴールデンウィーク長期休暇となった30日目の山籠もり日記です。

大雪の日に来てからひと月。ついに、ストーブの前から離れてマットを敷いた朝でした。しかし、寒さと練習不足、肉体疲労とアウターマッスルの使いすぎで、カラダが硬くギシギシです。私の経験によれば、暖房なしでアシュタンガの練習が快適になる室温は23℃です。東京はちょうどよい気候で練習できる季節。CHAZENだったらもうシェードが必要になるでしょう。

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ひだまりが心地よいらしくずっとそこにいる


作業がだいたい片づいてきたので、きょうはゆるゆるモード。
ストーブの火が消えたあと、午前中のひとときをウッドデッキで過ごしてみました。きのうと違って風もなくぽかぽかです。まだ塗料が乾き切ってないところもあるのと、部長の足が挟まったり爪がひっかかりそうなので、コルクボードを敷いて。

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気持ちいいのか、ぜんぜん起きない部長


パラソルとチェアがほしいところですが、このウッドデッキはどちらかというと「縁側」な感じで、座布団敷いて野沢菜をかじりながらお茶をすするイメージがあります。それはそれでいいかも。

しかし、のほほんとしてはいられません。これから鬼のように引き落としや支払いが始まるので、ショートしないように資金繰りを始めないと。なんだか自転車操業のようだな、などと他人事のように構えておりますが、残高を見たら卒倒するかもしれません。

銀行に行ってないので口座にいくら残っているのか知らないのです。買い物はすべてクレジットカードなので、まるで今月はお金を使っていないかのような錯覚さえあります。ここは竜宮城のようです。

そんな私を見越してか、何人もの人が協力金や支援金の申請について教えてくれました。ありがたいことです。私だけでなく、多くの人が経済的に困窮していると思うので、より切羽詰まっている人に早く支給されるようぼちぼち申請しようと思います。

CHAZENの運命は、大いなる存在にゆだねてしまおうと思っています。
畢竟、なくて困るものなどないのです。「災難に遭うときは遭うがよろし」です。

災難にあう時節には災難にあうがよく候。
死ぬる時節には死ぬがよく候。
これはこれ災難をのがるる妙法にて候。

良寛和尚


それではまた近いうちに。

花咲か爺さん

ごきげんよう
いつか軽井沢の別荘で優雅な休日を過ごしてみたい。29日目の山籠もり日記です。

お山にも春が来て、一斉に花が咲き始めました。梅も桜も、ツツジモクレンも。ホントに何もかもが同時です。

木々の緑が日増しに増えていく様は、まるで「だるまさんがころんだ」で目を開けたときのようです。柔らかい葉をぎゅっと巻きつけて伸びようとしている熊笹が、無残にもちゃみこさんに刈り取られていきます。

きょうは朝の冷え込みもゆるみ、夕方はストーブを焚かなくても寒くないです。薪活すると暖かくなる。そんなもんです。

分校の庭ではオオデマリが蕾をつけてると思ったら、もう開いてきました。
*追記:樹木図鑑で調べたら、これはオオデマリではなく、オオカメノキのようです。オオデマリはこの木の右にあり、開花はもう少し先でした)

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この花だけは昨年もきれいに咲いていた


そして、シャクナゲの花もまもなく。

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開花寸前の乙女のような


実は、昨年、契約のときお会いした売主さんが「あのシャクナゲ花が咲かないのよ。栄養をあげてちょうだい」とおっしゃっていたのです。実際、3本あったシャクナゲは花が咲くどころか、葉も元気なさそうでした。栄養あげて咲くような感じでもないので「そんな木は切っておしまい!」と不思議のアリスに出てくる女王様のように、2本を切ってしまったのでした。

いちばん状態のよかった1本を残したものの、暗杉くんを伐採するときに犠牲になると言われ「ぜんぜんオッケーです」と返答したくらいみすぼらしかったのです。結局はちゃんと養生してくださって無傷でしたが。

それだけに、今月固い蕾をつけているのを見たときはびっくり。つぼみをつけてるのは全体の3分の1以下なので、さらに弱っている枝を剪定して見守っていたら、ピンクの花弁が顔を覗かせていました。やった!

たぶん、暗杉くんを伐採したからだと思います。
今までは暗杉くんにぜんぶ栄養を吸い取られてしまっていたのでしょうね。

リトリートもできるかどうかわからない状況なので、庭をどう作るかということまで考えずにただ掃除しているだけなのですが、まるで花咲か爺さんになったような嬉びを感じます(そういえば灰も撒きました)。

あ、花咲か爺さんはこちらでした。故暗杉くんの上で。

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ひさびさのハダカ


自然界はコロナなどどこ吹く風。

それではまた近いうちに。

カエルくんとシュー大先生

ごきげんよう
シューちゃんペースで歩いたら散歩が1時間で終わらない。28日目の山籠もり日記です。

拾ってきた木をノコギリで切っているところをセシルちゃんのお父さんに目撃され、わけを話したら笑ってました。ノコギリで切るのは忍耐が必要です。でも、昔の大工さんは材木をノコギリで切ってましたよね、なんて話をしました。

それにしても、別荘地のサニャーサ(放擲者)ほど場違いで滑稽なものはないと今さらながら気づいた次第です。

しかし、サニャーサは我関せず。おかげで薪を節約せずに夕方もあったか。

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お外に見える細い木を切ったのが、このよく燃えている薪


庭の凸凹を平らにしようと土を掘り返していたら、冬眠中のカエルくんが出てきました。爆睡中のご様子で、ひっくり返されてもケロッとも言わず、なすがままになっているのが、ネムネムのときのシューちゃんにそっくりで、めちゃかわいかったです。

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気持ちよさそう


先日の夢の話で、シューの老いを嘆いていることを書きましたが、シューはそんなことまったく気にしてはいません。具合が悪かったり、どこか痛かったり、目が見えなくてぶつかったりしていますが、それに対して「若いころはよかった」などと思ったりはしないのです。

まったくもってこの思考パターンによって、人間は自ら自分を苦しめているのです。シューにあるのはいつも「今」なのです。若かりし日を思うこともなければ、いつお迎えが来るかなどという心配もありません。

まこと、シュー大先生は偉大です。

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きのうアップするのを忘れてたお菓子とシューさん


さて、この修行という名のお外遊びをいつ終わらせるか。
次々とやってくる請求書がお遊びの終わりを暗示し、現実に引き戻される4月の終わりでございます。

あやうく完全ロックダウンに

ごきげんよう
抽選で2名様にアベノマスク差し上げます。27日目の山籠もり日記です。

きのうの朝、坐禅をする前にiPhoneを充電しておこうと思ったら、ケーブルがダメになっていました。さもありなん。100均で買った「いかにも」の商品でしたから。おとといまではちゃんと充電できてたんですがね。

さて、どうするべ?
解決策を5通りくらい考えてから坐ったら、インターネットもロックダウンしたらいいやろ、という答えが降りてきました。何かあったときのためにバッテリーを温存させようと。それで先ほどまで、ほぼデジタルロックダウンしてました。

ちなみにいつも使ってるWiMAXは圏外になってしまうので、iPhoneのデザリングでパソコンをネットにつないでいます。ゆえに、iPhoneがないと通信できないのです。

ところで、私がお山にいる間、アシスタント嬢が散歩がてらCHAZENに来て植物に水をやってくれています。いちばん気がかりだったのが一緒に連れてこれない植物たちだったのですが、彼女のおかげで元気にしているようです。ありがたいことです。

で、思いついたベストアンサーが「アシスタント嬢に頼んで水やりついでにCHAZENに置いてあるケーブルを送ってもらう」でした。おかげさまで本日無事ケーブルが届きました。アベノマスク付きで。完全ロックダウンにならなくてよかったです。


お山生活も長引くと心境はやや変化します。
先日の買い出し3回目は、これまでになく保存食的なものを買い込みました。お菓子をたくさん買ったのもそのためですが、ちょうど前夜「ビスケットでもあったらなあ」と思う出来事があったためでもあります。

前日、4時ごろに夕ご飯としておにぎりを食べたのですが、寝るころになってひもじくなった。何かちょっとつまみたいけれどちょっと食べるようなものが何もない。カラダも冷えていたので半田そうめんを茹で、消化を促すよう大根おろしと生姜で食べてから寝たのですが、いつもバタンキューの私がめずらしく寝つけなかったのでした。

寝る前に食べてはいけませんね。そして、ひもじかったのは寒かったせいです。夕方寒かったのにストーブをつけなかったので室温がかなり下がっていた。

ということで、夕方もストーブをつけられるように薪活に精を出しています。庭に置いてあった硬くて節だらけでぜんぜん割れない大きな玉を1週間くらいかけてなんとかストーブに入る大きさにしたり、裏山に倒れている木を地味〜にノコギリで切ったりしています。もはや遭難しかけている人のような薪活です。薪を注文したほうが早いというかむしろ安上がりなのですが、ゴミが片づいて薪になるならそのほうがいいのです。

予報によれば、あと数日は氷点下が続きますが、来週半ば以降はあたたかくなってくるようなので、もう少しの辛抱です。

それではまた近いうちに。

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お隣の桜と山の分校with部長

來りては去ってゆく

ごきげんよう
カラマツの枝を燃やすといい匂い。ストーブの取説には針葉樹を燃やすなと書いてあるけど。25日目の山籠もり日記です。

夢を見て夜中に目を覚ましました。

どこか異国の地で、パレードを見ています。友だちのルイーズ(イメージ)がシューを連れて歩いてきます。が、その犬はシューではなくて、なんだか高級そうな、背中に茶色いまだら模様のある毛並みのよい犬です。

私はものすごく衝撃を受けます。ルイーズにシューを譲ったのに、彼女はシューみたいなワルい犬が気に入らないので、もっとすてきな犬を買ってシューを捨てちゃったのです。(ちなみに夢の中のシューのイメージは、10年ほど前のワル犬時代のものです)

なんとかシューを探し出そうと、遺失物の捜索を依頼する電話ボックスみたいなところへ行きます。65番の札をもらって待っていると、手がかりが見つかった印が現れてきます。交信先は母のようで、固唾を飲んで待っていると、クリアファイルにぬいぐるみを作るキットが入ってきました(中学生の時にクマちゃんのぬいぐるみを作ったチェックの布)。

それで犬のぬいぐるみを作ると、それが本物のシューに変身して無事シューが帰ってきたのでした。私は安堵して「シューがワルいからこういうことになるんだ〜!」と言いながら、声をあげてわんわん泣いて、それで目が覚めたのでした。

どれだけシューが老いたことを寂しく思っているのでしょう。
あんなにバトルを繰り広げてきたシューなのに、今や目も見えず、耳もよく聞こえず、脚も弱って、もはやケンカすることもできません。

頭では納得していても、もしかしたら頭で納得しているからこそ、すでに失われた若いときの(と言ってもほんの2~3年前)シューへの執着が夢になって出てくるのですね。夢は深層心理をついてきます。

有情のものに老いは必定です。
すべては來りては去ってゆくものなのに、以前あったものがなくなって寂しいと嘆いているのが私たちなのです。その來りては去ってゆくものには実体がなく、いわば作り物の映画のようなものでしかないのに、私たちはそれをリアルな実体のあるものと勘違いしてしまうのです。しかし、夢でさえリアルな感覚があるわけですから、この現実世界が虚構であると真に悟るのはかんたんではありません。

とはいえ、そんな夢とは裏腹に私の「サマスティティ」は確実に変わっており、皮を一枚脱いだような、今までにない新鮮な感覚があります。

そして、そんなサットヴァな感覚とは裏腹に、きょう買い出しに行って、いつもは買うことのないビスケットなどのお菓子をたくさん買ってきました。

それもこれも含めて、いろいろが、ちょっとだけおもしろい毎日です。


お山の桜もようやく咲いて、春の訪れがやってきました。

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桜の向こうに浅間山が見えるかな

それではまた近いうちに。

CHAZENは習慣の学校

ごきげんよう
小鳥の囀りが「ちゃみこはバッカよ♪」と聞こえる。24日目の山籠もり日記です。

今朝、与作が木を切っている傍らで塗装1回目が始まり、午後、藤蔓の根っこと格闘している傍らで塗装2回目が終わり、あっけなくウッドデッキが完成しました。見た限りでは、がんばれば与作にも作れそうな気がしました。

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右側に見えるのが与作の仕事場


来年からは自分で塗装のメンテナンスするつもりなので、ガン見しておきます。この塗料はキシラデコールというもので、木に染み込んでいくのでムラになりにくく、ペンキと違って簡単に塗れるみたいです。


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シューたろさんは部屋の中からガン見


ところで、先日神楽坂から届いたのはコボちゃんと「生命の言葉」でした。

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筑土八幡のお賽銭箱のところに置いてある


これを見て思ったのが、

CHAZENは習慣の学校なり ちゃみこは習慣の教師なり


多くの人はアシュタンガヨガをポーズの修練として取り組んでいると思いますが、私は毎朝の習慣をつくるためのツールとしてこれを推奨しています。だから太陽礼拝だけでもいいし、全部やれなくてもいいから毎日やることが大事だと言っております。

いわば、朝のお勤め(勤行)のような宗教的な儀式と言ってもいいかもしれません。やるとやらないでは1日の気分が大違い。

ただいま学校は閉鎖されていますが、CHAZEN生から届くレポートにはそれぞれの心境や思いが綴られていて、戸惑いつつ、でも楽しみつつオトナの階段を昇っている様子。これもちゃんと与えられた機会なのだとつくづく思います。

それではまた近いうちに。