伐採立ち会い
今日はぐっと寒くなりましたね。
朝はさほどでもないかと思ったのですが、午前中散歩に出たら寒い。シューさんに採用したベスト型ハーネスのおかげで私が普通の速度で歩けるようになったにもかかわらず、カラダがあたたまらず。結局、日中もずっと薪ストーブをつけておりました。
とはいえ、私はほとんど外にいたので、ストーブの前でぬくぬくしていたのはこの方だけです。
今日は伐採だったのです。
昨年から検討していながら保留にしていた、庭の真ん中にある大きな松の。かなり大きな木で危険が伴うこともあり、いつもお願いしている管理会社の人も緊張すると何度も言っていました。
でも、木を倒すまではさほど手もかからず、すすっと進みます。まず幹の真ん中あたりにワイヤーを巻いて......。
ひとりが木の倒れる方向に立ってワイヤーを引っ張り、もうひとりがチェーンソーを入れていきます。
狙ったところにバッチリ倒れて大成功。
もう一本もっと細いのも伐ってもらったのですが、そっちは途中で木の枝にかかってしまい、下から少しずつ切っていくというたいへんな作業をされていました。木を伐るというお仕事は周辺の環境などの条件によってテクが違い、なかなかおもしろそう。今世ではやりませんがね。
その場の成り行きで、ほかにも何本か伐ってもらいました。
間伐という視点でどの木を伐るべきか、少しわかるようになってきたので、その場でこれ切ってあれ切ってとお願いしたら、だいぶすっきりしました。
切り株を低くしてもらうように頼んだり。
立ち会わなかったらこの展開はなかったので、予定を早めて来てよかったです。
昨日は夕方にもごはんを食べたので、今日は朝ぜんぜんお腹がすきませんでした。それに時間がなくて必然的に1食でした。そして、朝からずっと肉体労働の嵐で、食べていなくてもクタクタです。温泉につかって疲れをとりたいところですが、温泉まで行く余力がありません。
このあと、伐採された松の木が倒れるようにベッドに倒れ込みます.....。
ごはんなしでも生きていける......?
味噌汁断食をしたのが先週の月曜日。
固形物をとらなかったのはこの日だけで、火曜日から少しずつ食べ始めて1週間以上が経過し、あきらかに、あからさまに、別人のように調子がよくなった。
たった1日で、もはや少食体質に転変した(少食のサンスカーラが優位になった)。
唯一の「食事」であるランチには、最初は白米のお粥から始めて、白米ごはんと味噌汁、そして玄米と野菜+厚揚げなど普通のおかずを食べるようになっているが、不思議なことに大好きなごはんがなくても大丈夫になっている。オドロキモモノキだ。
もしかして、私はごはん(米)が好きすぎて、ごはんに身を捧げ、ごはんに義理立てしていたのではないか?
だってねえ、糖質オフについて調べていると哀しくなってくる。わが愛するごはんくんが悪者にされているんだもの。
多くの人がご飯少なめに食べるようになっているけど、私はいっぱい食べるよ。いつだって、私だけはごはんくんの味方だからね。
そう思って一生懸命ごはんを食べてきたけど、たった1日食べなかっただけで、ごはんがなくても生きていけそうな気がしてきたのはいったいどういうことか。私のごはん愛は、単なる愛執にすぎなかったのだろうか。
1日1食にすると、アタマすっきり、カラダすっきり。
食事のあとでサンスクリットを見ても眠くならない! 今までのあの意識朦朧はサンスクリット語のせいではなくて、炭水化物のせいだったのか。ごはんのためにどれだけ時間を無駄にしたのだろう......。
そして、具合が悪いと修行自体がダメになるから、どんどん堕落のスパイラルに陥ってしまう。悪いとわかっていてやってしまうときは、意志が弱いのではなくて、体調が悪いだけなのかもしれない。
さて、予定を1日早めて分校におります。
分校では1日2食にした。肉体労働をするから。そして、たまには増量したり、ちょっと好きなものを食べることによって、この少食生活を持続させようと思うから。
ただし、これは生活のリズムが変わるときだけの特例で、東京では1食を貫く。
わがシュー部長は断食少食には絶対反対、断固反対だが、常に食べる量をコントロールされているのでこの年になってもお元気なのだ。ただ、お年寄りになると冷えるようなので、ついに犬生始まって以来の「服を着る犬」に。
長生きはしてもしなくてもいいから、最後まで元気でいてほしい。歩けるうちは足腰を鍛えてガンガン歩けるよう、ハーネスを導入した。首輪だと引っ張れないけどハーネスなら歩く力を補助してあげることもできる。
思惑どおり、めっちゃ歩くの早くなった。てか、おじいちゃん的には全速力かも。
禍転じて......第7期ギータークラス終了
今期は希望者少なくて開講見送りかと思っていたバガヴァッド・ギーターのクラスなのに、イントロクラス+5回に濃縮したダイジェスト版にしたせいか、スタートから昨日の最終回まで一貫して受講者が安定し、またモチベーションの高い人が多く集まったすばらしいクラスになった。何がどう転ぶかわからないものである。
しかも、夏までには終了する予定だったのが、コロナで延期されたにもかかわらず、である。もしかしたら、コロナのおかげで盛況のうちに終わることができたのかもしれない。海外赴任の予定があって4月以降は受講できないはずだった人も、日程が合うかどうか......と言っていた人も、みんな揃って昨日の最終回に出席された。
5月の、まだ緊急事態宣言のときにオンラインで開講したギータークラスも印象に残っているようで、非常時の背景があるからこそ、ギーターの教えが平時よりもずっと心に沁みたし、実際に役に立つことを実感できたと思う。コロナ禍と言っているが、禍転じて福と為す一面もある。
もともとCHAZENは少人数でコンパクトにまとまっている「学苑」だけれど、コロナでさらにいっそう拍車がかかり、よりコンパクトに、より深く、凝縮されている。より多くの人にこの習慣を始めてもらいたいと願いながらも、うわべだけをなぞるのではなく、ほんとうのヨガのすばらしさを知ってもらうことが私の目指すところなので、思いが叶っていることに改めて感心したり、感謝したり。
インド思想の勘どころをたちまち捉えて即ハマる人がいるのも喜ばしいが、最初はまったく何を言っているか理解できず、途中やる気を失いかけながらもなんとか続けているうちにだんだんおもしろくなってきた人を見るのが、実はひそかな楽しみだったりする。何かが伝わった喜びであり、何かを共有できた喜びである。
なぜ人は他の誰かと何かを共有したいのだろう。
なぜひとりで喜びを噛み締めているよりも、誰かと分かち合ったほうが喜びが深くなるのだろう。
共感すること、つながることがなぜう喜びにつながるのか。
生物としての人間に備わっている本能なのか。
なかなか人に理解されにくいことをやっているので、通じたときの喜びが大きいのかもしれないけど......。
ダイジェスト版はとにかく時間が足りなくて、従来のように私がしゃべりすぎずに済んだ。しかし、さすがにこれでは短すぎる。次回開講するときは回数あるいは構成の見直しをしないといけないが、こういった状況なので新しいクラスを開講するのは先にして、当面はヨーガ・スートラのクラスに集中していきます。
ますますコンパクトに、ますます濃縮されていくCHAZEN。
波にゆられてたどり着く先はいずこやら......。
今回のギーターおやつは、糖質制限に無理やり付き合わせてのりんごとナッツ。
やや大きめのりんごをあげたら、噛むのに難儀していたシュー部長であります。歯は丈夫なのだけどね。
感謝と祈りの8周年スペシャルクラス
いつの間にかボタンをかけ違えていて、ずっと下までボタンをかけてからようやくそれに気づいて最初からやり直すように、今また謙虚な気持ちで生活を見直していこうと思ったのは、お恥ずかしいと言えばお恥ずかしいことではあるが、下まで掛け違えたから気づけたのだとも思う。何ごとも、行き着くところまで行き着けば自然と次になにをすべきかわかる。
新しい食事習慣として、炭水化物を摂りすぎないように、穀物を主食とする食事はランチ一食として、朝は果物、夕方はナッツやチーズなどのスナックだけにしてみている。糖質オフも検討したけれど、これは私の目指すところではないとわかり却下。食事療法・ダイエットの方法論は世に星の数ほどあり、それぞれが他の方法とは相容れないから、どれを採用するか悩むところだが、大事なのは我にとらわれないことなので、自分本位にならない仏道スタイルをキープすることにした。理想のボディをつくるためのダイエットではないのだから。
五観の偈にあるとおり、食べ物という「いのち」をいただくのは、単に食欲を満たすためではなく、健康な身体を保つための薬としてであり、この仏道あるいはアシュタンガ道を歩き続けるためである。
以前と同じように「ありがたく」いただく食事を始めたら、疲れやだるさは吹き飛んで、やっと元の自分に戻ってきた。
どこからボタンをかけ違えたのか考えると、コロナで山籠もりしていたとき車がないので2週間分の食料を買い込んでいたところに遡る。食料が尽きる危機を避けていた習慣が発端になり、不安定な生活や、夏の体調不良が続いて、自分を甘やかし続けた。コロナ太りを笑っていたけど、同じようなもんだ。
なるようになる。
とは言いながら、CHAZENの行末ばかりが気になっていたけれど、小さくなってもCHAZENは依然として存続している。とりあえずは、なんとかなっている。先のことはわからなくても、その事実にただ感謝して、ただプラクティスを続けて祈るしかないのだよ。
そう思って、8周年のスペシャルクラスを3本企画した。
まだ体調が不安定だったときは体力的にそんなにやれる自信がなかったけれど、今はもう大丈夫と思えるようになった。そして、心からやりたいという思いが強く湧いてきたところなので、いい感じのワークショップになりそうな予感。私自身の感謝と祈りを込めたプログラムなので、たとえひとりでも参加者がいれば開講します。ぜひどうぞ。
ウェブページはこちら。
https://www.chazenyoga.com/special
久しぶりに初心に戻ったような新鮮な気分で、「食べないことの幸せ」を味わっております。
ひとりの練習生と無言で共有した月曜日の朝焼け。
食べることの基本に戻ろう
ゆる断食を始めて、いかに自分が慢心であったかを思い知らされた。
まずブログから過去の断食を振り返ってみた。
最近では2015年に、炭水化物依存について知り、断食反応が出たのも糖質をとりすぎていたからだと気づいていたのに、そんなことすっかり忘れていた。いや、うすうすは感づいていたのだけれど、ごはんが大好きなあまりに、ごはんを食べ続けたいあまりに、記憶の引き出しに鍵をかけていたのだと思う。
特にこの野口法蔵さんの言葉を見たら、泣きたくなった。
ラダックの人たちの栄養の吸収は非常に高く、われわれのようにくだらないものをたくさん食べてむだに排泄していません。
ラダックの旅は、胸を衝かれるような、「気づき」なんてもんじゃなく「どつき」のような教えに満ちていた。この言葉でそれが瞬時に甦り、くだらないものをたくさん食べてむだに排泄している自分が情けなくて泣きたくなったのだ。ラダックでは排泄物でさえ有効に利用しているというのに......。そして、これを書いた時点で今と同様心を動かされていたのに、5年ですっかりもとの木阿弥になっている事実にも......。
永平寺でいちばん感動したのが「いのちをいただく」という食事作法だった。そこから禅に傾倒していったのに、田んぼやお山で忙しくなり、コロナに通せんぼされて、お粥の会もずいぶんご無沙汰になっている。五観の偈を唱えてから食べていた習慣もいつの間にかどこかへ行ってしまい、食事作法はかなり乱れてもいた。
味噌汁だけで過ごした翌朝、目ヤニの出た目を開け、気怠いカラダを感じ、ずいぶん毒をため込んだことを実感した。何年分もの毒がたまっていたのかもしれない。自分を甘やかしすぎた。あげく、コロナの影響でこれまでのポリシーが変更され、くだらないものをたくさん食べてもいた。なにものもムダにしないという姿勢をつらぬくと、まわりとの調和がとりにくくなるので、心も折れる。人は便利なほうへと流れるものだから、そっちに合わせたほうがどんなにか楽だ。その楽なほうへと行きかけていた。
もう一度ビギナーズマインドに戻ろう。
発心こそが道の始まりであり、発心があればもうちゃんと道を歩き始めている。道を逸れたらまた元の道に戻ってやり直せばいい。
そういった心境なので、11月3日には太陽礼拝のワークショップを行うことにしました。
グルジの太陽礼拝本からマントラなどにも触れ、またチベットの五体投地やいのちをいただくことなど、ヒンドゥー教から仏教まで感謝と祈りをテーマにした座学と実際にカラダを動かしての太陽礼拝までの濃い構成を考えています。初心者からベテランまで、みなさまに楽しんでいただける内容です。今週中にウェブにて告知します。
買ったばかりの新米と、いただいた手作りの新米が待っているので、ごはんも少しずついただきますよ。
味噌汁断食
今回のお山滞在では睡眠の状態がひじょうによろしくて、2日目はゲストルームの遮光カーテン効果でうっかり5時半まで寝ていた。よく寝たなあと思って最初にしたことが頭頂部を押してアタマのコリチェック。先日とは別人のように柔らかい。頭蓋骨と皮膚の間に緩衝材が入った感じだ。
ところが、だ。
帰る道中渋滞してもいないのに頭が痛くなってきた。ズキズキする頭痛ではなくて、凝っている系の。そして疲労感。一晩寝ても疲れがとれない。暑くもないのにこれはおかしい。悪い病気か? それともこれが世に言うウツの症状なのか? などとウツのサイトをチェックしてみたりした。
記憶力・思考力の低下......おお、これはあてはまる。なんたって「無常迅速 落書無用」だからね(ちなみに件のドラえもんの歌は「頭テカテカ冴えてピカピカ」で始まるやつです)。でも、食欲の低下はない。いただいたじゃがいもをわざわざお山に持ち込むくらいやる気満々だし。
はっ!
この疲れ、ただの内臓の疲れでは?
思えば夏の間は絶えず内臓を虐待していた。
生きてる感じがしないようなポーッとした状態なので、朝イチでコーヒーを飲む。カラダが「冷やしてくれ」「血管を収縮させてくれ」と訴えるままに与える。ブラックは胃に悪いとわかっていながらポット一杯飲む。そして、お腹が空いたというよりは口を動かすために何かを食べる。不快な症状を快楽物質で緩和させるかのように食べる。胃に優しいものを心がければ、今度は白ごはんと白パンと白い麺ばかりで糖質過多になり、具合悪すぎて坐禅も練習もままならず......。
涼しくなって正気に戻り、悪習慣を正す努力はしていた。玄米粗食の食事にも戻った。カラダによいとされるスペルト小麦(古代麦)のパンを試したり。
お山ではつい食材を買いすぎてしまい東京に持ち帰るので、今回はバランスのよい外食にして食材をほとんど買わなかったり。
しかし、玄米粗食でも、おにぎり御膳でも、疲れている胃には負担であった。
ここまで来たら、もはや断食するしかない。
そうだ、味噌汁断食をしよう!
ただの思いつきだけど、ググってみたら「味噌汁ファスティング」なるものが出てきたので、でたらめでもなさそうだ。
ここ数年断食をやめていたのは、ある時期から断食反応がひどくなって、一度レッドクラスのときに座ってカウントしなければならないほどだったことがあったため。でも、お味噌汁を飲んでいれば大丈夫な気がする。朝昼晩に具なしの味噌汁を飲むだけっていう「ゆる断食」をして、内臓を休めてみよう。
急な思いつきではあるが、きのうは少なめに食べたし、やるなら今でしょって早速スタート。昆布でていねいに出汁をとって味噌を入れるだけの味噌汁だけど、空腹感が抑えられ、昆布だしがなんとも味わい深くて満足感もあるから耐える修行風味なし。もっと早くやればよかったのにって思うけど、それができないのがボンボン凡夫のサガなのです。
今朝はほうじ茶ラテを飲んでしまったので、12時と17時に味噌汁で初日終了。明日の昼までは具なし味噌汁だけで、そのあと様子を見ながら続けるか、いずれにしても今週いっぱいは少食ベースで内臓を休めるつもり。さて、断食後はどうなりますやら。
自家製の健康食品「手前味噌」で手軽に試せる味噌汁断食。CHAZENでプチ断食会とかもいいかもね。
ところで、味噌汁断食を思いついたのは、ちょうど今年の味噌を開けたところだったから。今年は2月に仕込んで春に分校に持って行き寝かせておいた。温度が低いので熟成しすぎず、念願の白い味噌に仕上がった。
たぶん東京のマンションは暖かすぎるんだと思う。毎年工夫してみるけど、いつも赤味噌になってしまう。昨年のはまたひどく赤かった。材料は同じでも、寝かせる場所の温度でこんなにも違いが出るんだね。
CHAZENholic
昨年は9月には冷え込んだお山なのに、今年はあったかい。
もう大丈夫だろうとネット付きの帽子をかぶらないで作業していたら、おでこを蚊に刺された。靴下の上からも。10月の軽井沢で.....!
寒くないけど、棚に収まりきらない薪を早く片付けたいのでストーブをつけた。
ああ、あの自主ロックダウンのときにこれくらい薪があったら、あったかく過ごせただろうなあ......と例によって無駄な妄想。ま、人生そんなにうまくいくはずはない。でも、薪ストーブは単なる暖房ではない。焚き火をするように、あるいは調理器具として火を入れるのさ。
数日前にレッドムーンという種類のじゃがいもをいただいたので、ホイルに包んで、焦げすぎないところに放り込んでおいたら、ホックホクに焼き上がった。いもくりなんきんには特別興味のない私だけど、めっちゃおいしくて3個も食べてしまったよ。もちろん、部長と半分こで。
そして10月は栗の季節。
落ち葉とイガがすごくて、到着と同時にまず庭を掃除する。なのに、どれもこれも小さくて虫食いで、食べられるようなのがほとんどない。
昨年はゲストが来るたびに天気が悪くて残念なことが多かった。が、お向かいさん宅では私が来ると(お山に行くと)晴れるというのが定説になっているそうで、ゲストがいないときは晴れる?
こんな秋晴れの日にゲストに来てもらいたかったな。
昨年、荒れ野だった庭をきれいにした原動力は「リトリート」。その目標なしに、あの重労働を嬉々としてやることはできなかったと思う。それがなくなった今は、リーグ最下位が決定したチームの消化試合のような気分だ。やることはたくさんあるし、仕事自体は楽しんでやっているのだけれど、いまひとつ張り合いがない。もしかしたら、コロナ禍で失業や廃業まではいかなくても、こういったやりがいみたいなものを失った人は多いのだろうと推測する。
私にとってはCHAZENのことを考えている時がいちばん楽しい時なのだと、改めて感じた。CHAZENは仕事のようでもあり、趣味のようでもあり、子どものようでもあり、生きがいでもあり......。
そんなわけで、神楽坂のCHAZENのことを考えて楽しんでいる今の私です。来月は8周年イベント的に少人数のワークショップなどやろうと企んでおります。どうぞ楽しみにお待ちください(自分がいちばん楽しんでるくせに......)。