CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

アシュタンガが万能ではない件について

漢方相談や漢方喫茶を始めたり、プチ断食の会などで、CHAZEN生の食生活やら、生活リズム、健康状態が明るみになり、想像していなかった事実を知ることになった。食生活にほとんど気を配っていないとか、夜型生活とか。見た目は健康そのものなのに、意外にもコレステロール値が高いとか、血圧高めとか、漢方で言えば実証タイプの人も。検査結果は単なる指標(アラート)でしかないけれど、「アシュタンガやっておけば大丈夫」と思ってきた私の思い込みを修正する必要を感じた。

アシュタンガは万能ではない。
当たり前といえば当たり前のことだけれど、ヨガだけやっていれば健康が保てるわけではないのだ。食生活、生活習慣、ストレスマネジメント等すべてをととのえる必要がある。ただ、朝練生活をすることで自然に気をつけるようになると思い込んでいたけれど、話していると、どうやらそうでもない人が少なくないのを知って、実はちょっとショックだった。折に触れ伝えてきたと思っていたことは、人によってはほとんど伝わっていなかった。

通常はマイソールの指導者が生活のことまで知り得ることもないし、そこは指導の範囲外(というか大きなお世話)だとは思うけれど、漢方の見方をするようになって、どうもそこに目をつぶれない。特に練習生の主流が40代後半以降になった今は、ポーズ以上に健康が気になる。

他人の健康ならば見過ごせても、家族の健康は放ってはおけないのと同じく、なんとかしたいと思う。しかし、本人がその気になって聞かない限り、いくら言っても馬の耳に念仏だ。そのときが来るのを待つしかない。

アシュタンガヨガが万能ではなくても、継続している大多数にとっては、アシュタンガが心身の健康状態を向上させたことを実感しているだろう。私自身それを確実に感じていて、もしビフォーヨガのまま飲んだくれのストレスだらけでいたら、今以上に静かで充実した生活はとてもなかったと思う。

そもそも、それだけでパーフェクトなものなどない。気づきの時期も人それぞれだから、そのときできる限りのベストを目指して少しずつ歩いてもらえたらいい。

私自身の修行(&修業)なり。

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蓮華の足元にご挨拶できるようグルを配置する

腸活三昧

断食の効能はありすぎて書ききれないけれど、オミクロンが感染爆発している今なら免疫強化を筆頭に挙げたいところ。腸のコンディションをととのえておくことが何よりの免疫強化に結びつく。とりわけワクチン打たない私などは、自前の免疫頼みだから、ウイルスに対抗できる免疫システムを備えておかねばならぬ。

断食後に冷蔵庫の食材が片づいたところで、まず発酵食品を買いに行った。昨年白銀公園の近くにできた酵素風呂の店内にさまざまな発酵食や飲料、化粧品類など置いてあるのよ。半額になっていたりして、つい買いすぎた。お米のヨーグルトとか、お漬物とか、もろみしょうゆなどなど、どれもお味なかなかよろし。

それとは別に、よさげな酒粕が入手できたので「酒粕レーズン」を作ってみた。ただ酒粕と干しぶどうを混ぜ合わせるだけの腸簡単レシピ。冬は常温で3日寝かせるらしいけど、例によって作るそばから「味見」した。酒粕がおいしければ、甘味が染み込んでなくてもうまし。

10年ほど前だったか、酒粕が脚光を浴び始めたとき、酒粕トーストとかいろいろ試したけど、ぜんぜんおいしくなかったのね。それは料理用だったからなんだと気づいたのは、黒龍酒粕を食べてから。

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そのままでもおいしいのは蔵元で直売しているようなレベルのものということか。あまりおいしいと食べすぎてしまうので、ほどほどでいいかもしれないけど。

そんな発酵食だらけの先日、ひさびさ電車に乗って買い物に出かけた。目当てのもの数点をリストアップして、無駄な買い物をしないつもりでいたのだけれど、富山のアンテナショップ店頭で「かぶら寿し」を販売していてついお買い上げ。かぶらの間にお魚を挟んで発酵させた、いわゆるなれずし。金沢のものだけど、私にとっては冬の永平寺の帰りに買ってきた思い出があり、素通りできなかったさ。ご飯もののお寿司ではないので、ま、いいやねと。

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雪の永平寺のイメージともかぶる


冬の永平寺は寒くてキツかったけど、浄化の効果は最高だった。いつかまた行こう。

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しんしんと、それはそれは静かな雪でありました


それにしても、発酵食かぶりすぎてませんか? どんだけ腸活する気だよ。

想像どおりオミクロンの感染力はすごいけれど、漢方薬の効き目がこれまでより高くなっていて、かぜに近づいていることを確信していると漢方クリニックの先生が述べられていた。希望をもって、体調万全にととのえ、手洗いうがいをしっかりと、この局面を乗り越えられますように。

プチ断食の会を終えて

断食は多少なりとも健康上のリスクを伴うものなので、安易に他人に指導するものではないと考えているが、今のCHAZEN生に限定するならば可能ではないか。体力や状態を把握しているのでリスクがかなり低く、体調不良があっても対応できるだろうと判断してCHAZEN初の断食プログラムが実現した。漢方や中医学を学んだことも実現を後押ししたと思う。

断食を体験してもらうことがまず第一。そして断食の方法を知ってもらうことが所期の目的であった。断食はただ食事を抜けばいいというものではない。ただ食事を抜くだけなら、休みの日に昼まで寝ていて食べないとか、忙しくて食べ損ねたのと変わらないからだ。それだと「離欲を伴わない修練」と同じになる(先日のスートラ復習ね)。

しっかりプログラムを組み立てて、前日から準備を始めて1週間は少食が守れるよう食事の記録をメモするという形をとった。断食のやり方はさまざまあるが、今回は「約24時間水分以外はとらない」というラクでありながらしっかり浄化できる方法にした。結果的にリスクは最小化され、効果はちゃんと出た感じがあるので、妥当だったかと思う。

参加者6名のうち4名は、家族の食事を作りつつ自分は断食というパターンでみごと完走した。すばらしい。これで家族がいるから断食なんて無理という言い訳はできないことが証明されたね。何をやるにしても、やる気になれば、その気になれば、できない理由はなくなる。

初日は、マイソール練習後に各自軽く食べてもらって断食に入り、オンラインで2時間ごとに30分ずつセッション&フォロー。翌日のマイソールはそれぞれの体調に合わせて軽く。その後みんなでお粥をいただいて、一旦終了。その後はまた各自で少食を続けてもらった。

断食中ほとんどが一時的ではあってもだるくなったり、頭が痛くなったりしたが、ひとりだけあまり空腹感も感じないまま、翌朝絶好調だった人がいた。絶好調でも練習はハーフプライマリーまでで止めたのだけれど、翌日筋肉痛になったそうだ。調子がよくて筋肉がしっかり使えた感覚があったという。これはよく見られる現象で、一種の断食ハイだと思う。めっちゃ元気になっちゃうのだよ。

最終的には全員が体が軽く調子がよくなったことを実感したけれど、それは傍目にはわからない。が、柔軟性がかなり増した人がいて、アジャストしていた私が断食効果すごっ!と体感したケースもあった。

さらには、好転反応が著しく表れた人もいた。持病の腰痛&鼻炎がどっと出て、いずれも翌日には消えたという。そして、それらの「毒」が出たあとには肉体だけでなく、精神的なモヤモヤまで晴れてスッキリしたそうな。

翌日から絶好調の人がいるかと思えば、好転反応が出てからの人もいて、タイミングや経過は十人十色。そこがまた興味深い。個人差はあれども、参加した人たちは断食の効果の大きさを身をもって知ったであろう。

また断食ついでにお菓子やコーヒー、アルコール、さらには、インターネットやテレビ、SNSからも離れてもらったところ、効果が顕著に表れたという声が複数あり、断食の効果が食生活だけでなく日常全般にも波及することを実感した。

以上、断食プログラムは想像よりもはるかに意義深かった。各自が自主的に実践できるようになるのが目標ではあるけれど、それにはそれなりの覚悟と意志が必要であることも承知しているので、そう遠くないうちにまた開催したいとは思っている。

理事長次第かなー。

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発作明けの理事長(1月12日)

「印哲喫茶」はじめます

めずらしくショーペンハウアーを手に取って、ちらりと幸福論なんぞ読み始めてみたけれど、本気にはなれないな。いや、つまらないとか難解ではなく、むしろあらゆるページに、その通り!とあいづちを打ちたくなるほどおもしろく読める。

しかし、ものごとを眺める立ち位置がもはや別のところに移ってしまった私には、どうしてもシャバの処世術にしか見えないわけさね。

いやはや、私にとって西洋から東洋への転換は大どんでん返しであった。幼い頃から西洋に憧れ続けたちゃみこさんの後半生が、かくも「東洋かぶれ」になるなんて......。

しかも、自分だけならまだしも、人々をその「東洋かぶれ」に巻き添えにすべく深みに引き摺り込んでいるのだから、人生はわからないものですな。

昨日のスートラクラスでは、一緒に手を取り合って深みにはまってくれる人がこんなにもいるのかと喜びに打ち震えた。決してエキセントリックにならず、きわめて常識的かつ社会的でありながら、インド思想のすばらしさに気づき、日々実践をしていこうと志を抱く姿に純質を見る。(だから天使なのか)

何度も挫折しながら、ようやく面白さがわかってきた人たちの存在に励まされ、また先日のプチ断食の結果にも大いに勇気づけられて、オミクロンをものともせずに粛々となすべきことをなそうと思う。

さしあたっては、今月30日に久々のギータークラスを予定しています。
1年かけて全体を読んでいく従来のギータークラスではなく、単発で毎回異なるテーマを設定し、初めての方も、何度目かの方も楽しめるクラスを企画しました。そして、ギーターだけでなく、他のヨーガ関連の書物とか、仏教関連のものなども含めて、さまざまなインド哲学に関する単発講座を行いたいということで「印哲喫茶」と名づけました。

ちょ......いくら漢方喫茶のネーミングが気に入ったからって「印哲喫茶」ってナンデスカソレ?

はい、少々無理があるのでは承知の上で、漢方喫茶と同じくらい気軽に受講していただけたらいいなという願いを込めました。特に今回のテーマは「死生観」ですから、インド思想には興味なくても、ヨガに無縁の方でも、このテーマについて考えたい方はぜひ一緒にお茶を飲みながら語り合いましょう。

今朝のだんだん雲

カラダで知るほんとうに大事なこと

プチ断食の会、ひとりの落伍者もなく無事終了です。

断食の効能を数え上げてみると、改めてその多さに驚かされます。身体的な病気予防&治癒の効果は枚挙にいとまがないほどですし、精神的な基盤、生きる上でのよりどころが確立され、個人的にも社会的にも安定した、よりよい生き方の方向を知るようになる気がします。

私がここでいろいろ書いたり、繰り返し言ってもなかなか伝わらないことも、実際に断食をしたらたちまちカラダで理解してもらえるのです。

たとえば、味。
現代人のほとんどは、子どものころから過剰に味付けされた加工品の味に慣れています。化学調味料たっぷりのインスタント食品は言わずもがな、マヨネーズ、ケチャップ、ソースをはじめ「大衆に媚びた」調味料が家庭の味になっていて、素材のおいしさそのものがわからなくなっています。(そういう味の文化もまた好きではありますが)

断食明けのお粥の会では、まず最初に昆布だけの出し汁をほんの少し飲んでいただくところから始めました。断食後は五感が浄化されているので、塩を加えなくてもその旨味が引き立ちます。これぞ淡味です。

「大衆に媚びた」調味料の食事をしていると、この淡味に鈍感になり、どんどん濃い味のものを求めるようになります。行き着く先は生活習慣病というわけです。断食をすると、その媚びた味を欲しがらなくなります。こういった気づきこそが生活習慣を見直す第一歩です。

腹八分目、減塩、糖質制限......アタマではわかっているけれど、それができないのがごく普通の標準的な人間というもの。だからアタマではなく、カラダで実感するしかないのです。

今回の断食そのものは丸1日程度でしたが、前後1週間にわたって食べたものを書き留めておいてもらっていて、まだ断食の会は続行中です。断食明けてから参加者それぞれにさまざまな変化が感じられているので、後日またそのあたりを報告しますね。


私自身はシューの発作によりリズムが狂ったものの、興奮が収まった犬とともにやっとぐっすり眠れた今朝は絶好調。脳に酸素が届くようになり、サンスクリットの読解がスルスル〜っと進んでいます。

内臓をいったん空にすると、坐禅や瞑想で頭を空にしたのと同じような状態になるのかもしれません。空にすると、そこに何かが飛び込んでくるような気がします。スペース(余裕)が生まれるのでしょう。嫌なことやモヤモヤした思いがあるとき、あれこれ考えても答えは堂々巡りだったりしますが、そこから離れて何かに集中しているうちにふと何かが降りてくるのです。少なくとも私の経験では。

chazen.hatenablog.com


断食にについて試行錯誤を始めてから17年くらいになりますが、改めてそのパワーの大きさに平伏しております。

佐藤初女さんの言葉より

人はいくつになっても成長します。人生とは気づきによって、こころを切り開いていくことそのものです。


断食中、早速やるぞと習字の練習をしていたのがちょうど空腹感がMAXだった時間。

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思い浮かぶのはこんな文字

気分上がって、断食へGO

雪の翌朝、妙に気分がアガった。
真っ白な世界に陽が差すまぶしさや、チェーンをつけた車の走る音、角スコで氷をはがす音、すべてが私の記憶にある冬の光景だ。

ベランダの植物に積もった雪を払っていたら、氷の生け花ができていた。

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生けどころに困って蓮の鉢に挿しておいた葉牡丹よ


マイソール参加者が意外と多かったのも、やっぱり雪で気分が上がってたから?

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つかの間の非日常的光景


都会で出くわす自然の景色に、考えないようにしていた分校ロス、薪ストーブロスを強く感じる。ロスというより、禁断症状で手が震えてきそうだ。シダーウッドのアロマを焚いて森林浴。免疫アップにも効果があるそうだけど、どうかな。

凍った道を歩いて、ご近所さんが七草粥を持ってきてくれた。
あたたかい、小さな幸せここにあり。

なくても楽しい、ほんの少しでもうれしい。
そういう喜びのために、明日からCHAZEN生数名とプチ(1日)断食に入ります。

実は無意識に大半が参加する図を描いていた(妄想やったわー)ので、あまりの反応のなさに膝カックン、いや頭突きをくらって倒れたけれど、断食セットを用意するうちに楽しくなってきて、参加者もやる気になっているのが感じられて、明日が待ち遠しい。

断食と言わないでファスティングと言えばよかったか? (同じだよ)

夕食から次の食事の間を18時間前後空けるという「間欠的ファスティング」が毎日の習慣になっている私だけれど、これが定着するまではさまざまな試行錯誤を続けてきた。またまた古いブログを検索してみたら、いつもドスンと落ちてたカランダヴァーサナ(わからない人はグーグル先生に聞いてくれ)でフワッと降りられたのがプチ断食した翌日だった。

chayoga.exblog.jp


10年以上たった今でもその感触が脳裏に焼き付いている。あまりの心地よさに、うかれて書いたブログ。

chayoga.exblog.jp


ま、たまたまですよ。
みなさん、どうかくれぐれも期待をしないように願います。

邪道ではあっても、アーサナの練習が結果としてよい習慣をつくっていったことは確か。アーサナはそのようなツールと心得て、練習を楽しんでくれたまえ。

ヘタをやらない言い訳にしない

毎年年初には、練習生ひとりひとりにメッセージを書いて渡しているが、もっと簡潔な、禅の言葉などを書くべきだと思ったのが昨年。しかし、毛筆が苦手すぎて諦めた。

まず習字の練習をしなければ、と思いつつ、気づけば一度も筆を持たないまま1年が過ぎていた。とりあえず、1日2日猛練習して......とウラ紙で練習してみたが、そんなドロナワでうまく書けるようになるはずがない。無謀な試みだった。

いや、ヘタ字だっていいじゃないか。

ヘタな字は裸をさらすくらい恥ずかしい。
でも、だからといって書かないのは、「身体が硬いからヨガできません」と同じことだと思うのだ。ヘタでも心を込めて書けばいいじゃないか(ヘタすぎて心を込めたように見えないか)。

それでも、あらかじめ考えておいた言葉は、字画が多かったり文字数が多くてどうにもこうにも手が出ないので、簡単な言葉を選んで、シューの写真を印刷した年賀葉書の宛名欄に書いていった。

そして、わざとみんなに見えるよう並べておいた。

情けない字だけど、どうぞ受け取っておくれ、と。この恥ずかしさを忘れないように。

現状できないことは、それをやらないための言い訳にならない。力が及ばないからといって行動を控えるよりも、思いっきり恥をかいて、そのパワーを精進に注ぎ込めばいいのさ(今年こそ練習するぞ)。


ところで、今日遊びに来た友人に失敗作の一枚を差し上げた。
まっさらな年賀状の余りがなかったから、ま、いいかと、文字もとびきりヘタだけど、何より「一行三昧(いちぎょうざんまい)」の昧を味と書いてしまい、これは練習生には渡せないと反故にして落書きまでした一枚を(あくまでメインはシューの写真)。

あとから送られてきた写真に青ざめた。

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並べるなっつーの


入ってくるなり発した言葉がヒーター指して「ダイソン!」だったご子息には秘蔵のミニカーを。たいへん気に入ったようで、ずっと離さず、握りしめたまま帰っていった。

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おじいちゃんとは対照的に、3か月見ない間に急成長