CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

自我意識林高美から薄美へ

人間は人からほめられると喜び、けなされると不快になります。人からどう見られるかという評価を気にしたり、誰かに認められたい、わかってほしいという思いがあります。それは<私>という意識、つまり自我意識があるからなのですね。以前書いた私の悩みも、突き詰めて考えれば自我意識の問題でしかないと気づいたのでした。

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「自我意識林高美」だった私は、理想の自分でいることにとらわれて、常に自分で自分を評価していたのかもしれません。人から何か言われる前に、自分でダメ出しをして勝手に落ち込む自滅型でした。<私>成分が少なくなってくると、反省してもそれは自分の行いの適正さに対してであって、自分に対する評価ではなくなってきます。

社会生活を営む上で分別は必要ですから、分別をなくす瞑想だけしているわけにはいきません。すぐ何かを思いついては実行したくなる私ですが、今は誰からもそれを制止されないので、暴走しないよう自分の行動を監視するようにはしています。そういうときでも、<私>成分をとりのぞいて、ちゃみこさんという物質が行ったことをチェックすると、感情にとらわれずに取捨選択ができるように思います。

なんてことを言うと、感情がなくなってロボットのようになるのがヨガや禅なのか? と思う人が少なくないのですが、そういうことではないのですよね。これは確かに理解しがたい状態ではあると思います。そうなってみないとわからないのかもしれません。ただ、どちらも感情を殺すための練習ではありません。コントロールするのでもありません。そういう暴力的なことをせずに、自然にそっちの方向に行くようにするための実践なのです。

ヨガの思想や心理的なあれこれを意識するようになると、今までの生活、あるいは家族や会社内でのふるまいとのギャップに悩むようになり人も少なくありません。でも、新たな悩みにとまどうことがあっても、それは過渡期であって一過性のものなので、長いこと実践を続けて行くとその悩みもなくなると思います。

生まれつき自我意識の薄い人もいるでしょうが、多くの人はこの<私>に縛られて生きているのでないかと思います。<私>なんてない、と思っていると、ずいぶんのほほんと生きていけますよ。


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