入門じゃない方のヨーガ・スートラクラスでは、前半が講義で、後半はお茶を飲みながらの「気づきのシェアタイム」にしています。最初のうちはあまり活発な発言がなかったのですが、徐々に興味深い発言が出てくるようになりました。
先日a嬢がシェアしてくれたのは、座学で得たインド思想のヒントを仕事や日常に活かして、無駄に緊張したり、あわてたりすることがなくなったという話。すばらしいです。
みなで感心しているとb嬢が「えー! 私はヨガと仕事は別のものと思って切り離して考えていた」と。
私のほうが「えー!」とびっくりして倒れそうになりました。なぜなら彼女は座学の最古参なのです。
しかし、これもアーサナと同じで、各人にそれぞれの気づくタイミングというものがあるのですね。あるときから身体が開いてポーズが変わってくるように、今まで通り抜けていったことが初めて認識される瞬間。それは経験年数に関係なく、訪れるのだと思います。気づいたとき、すべてが始まります。気づいて、実践して、また気づく、そのとめどない繰り返しこそがプラクティスなのです。
そして、私が言ったことは残らなくても、誰かの発言によってハッとさせられる。「気づきのシェアタイム」の意義はそこにあります。お互いに触発されることで学びが深められるというわけです。
それに関連してc嬢が言ったこともまた興味深かったです。
「(CHAZENではないスタジオで)朝練終わったあと、仕事に行くのに”スイッチ切り替えなくちゃ”と言う人がいてびっくりした」
そう、スイッチを切り替える必要はまったくないのです。だって一日中がヨガの時間なのですから。朝は特にアーサナや浄化の行を行うのでヨガの濃度が濃いというだけのことです。
とはいえ、”スイッチ切り替えなくちゃ”という感覚もわかります。私も会社勤めをしながら朝練していたことがあるので、清らかな世界からそうでない世界へ渡るためにちょっとした覚悟がいるというのなら理解できます。
それでも、やっぱりヨガのマインドは職場や家庭を問わず、常に持つべきものだと思います。それは偏った考えを主張したり、まわりの人と違う雰囲気を匂わせることではありません。組織や家庭の役割をこなしつつ、ただ静かに自分の内部で修行を続けるという意味において持ち続けるものです。
ヨガは本来、単なる気晴らし以上のものですから、与えられた人生をより充実させるためぜひ活用してくださいね。
というか、私はいつも言いすぎてるから人の耳を通り抜けちゃうのだと感じました。存在だけで伝わるような人間になるべく精進いたします。(ほんとか?)