CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

無人島に持っていく一冊

ごきげんよう
自分の体ほどの虫を運んでいるアリを見ると、お手伝いしましょうかと声をかけたくなる。57日目の山籠もり日記です。

オンライン茶禅会でした。茶禅会としては新鮮な顔ぶれでありながら、オンラインとしては前回からの続きとなっていて、オンラインサンガが形成されていることを感じました。通常の茶禅会が始まっても、遠くの人ともつながれるよう、たまにオンラインをやりたいと思います。

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いつかの円陣を組んでいたオシダは今こんな


お山に来るとき、最小限の荷物の中に3冊の本を入れました。ある意味無人島的な自主ロックダウンに際して選んだのは『禅マインド ビギナーズ・マインド』の2冊とラマナ・マハルシの『あるがままに』です。

よく「無人島に持っていく一冊」というお題がありますが、今の私なら迷わず『禅マインド ビギナーズ・マインド』です。

とにかく、どこを読んでもどこから開いても必ずヒットすることが書いてあります。マハートマ・ガーンディにとっての「バガヴァッド・ギーター」のようなものです。しかも、話し言葉なので簡単に読める。何よりここには、鈴木俊隆老師の人柄のようなものがにじみ出ており、きりりとした中にもあたたかさが感じられるのです。無人島では大いに励まされ、慰められ、力づけられることでしょう。

この本は買って一読し、それから折に触れて開いているのですが、今回「禅マインド ビギナーズ・マインド 2」(以下「禅マインド2」)のほうを最初から読み直してみたら、ドキッとするほど考えていたことの答えばかりで胸がいっぱいになり、一度に数ページしか読めません。一語一語がリアルに迫ってきて読み流すことができないのです。

もっとも最初に読んだときからそんな感じなので、しょっちゅう開いている割には読み込んでいないのかもしれませんが、毎回初めて読むような感覚があります。まさに、ビギナーズマインドです。

この本は講話のテープを起こしてお弟子さんが編集したもので、アメリカ人にもわかりやすい表現を使っているために、難しい漢字だらけの禅の本などよりかなり読みやすいです。とはいえ、俊隆老師の言われていることはひじょうに深遠で、禅を理解していないとほんとうには味わえないところも多々あります。

読み返すほどに理解が深まるために、まるで初めて読んだような気がするのかもしれません。そして、そのときの心境によって受け取り方も違うために新鮮に響くのでしょう。

ところで、もう一冊持ってきたラマナ・マハルシの『あるがままに』は永平寺以前から読んでいたのですが、こちらもやはり理解が浅かったのだと思います。今ようやく徹底的にその教えの真髄を味わうことができたような気がします。

読みながら、ラマナ・マハルシにお釈迦様を彷彿とさせるものを感じました。ラマナ・マハルシの教えはヴェーダを経典にしたヒンドゥー教の流れを汲むものですから系統も、時代も、教えそのものも違うのですが、なぜかそう感じました。ヴェーダ系のスピリチャルグルはあまり信奉していない私ですが、ラマナ・マハルシだけは別だと思っていた理由がわかったような気がします。

そうして、さらに、ラマナ・マハルシを理解したあとで「禅マインド2」を読んだら、これまた鈴木俊隆老師とラマナ・マハルシが重なるのです。ちょっと不思議な感覚でしたが、このセレクト自体が何かを暗示していたのだと今は思います。

本はこの3冊ばかりを読み、音楽はバッハを聴きまくり、ひたすら薪を割り、無心になって庭を整えた2カ月でした。ある意味ぜいたくな休暇といえますが、ほんとうの試練はたぶんこれからなのだと思います。

いずれにしても、来るにまかせ、去るにまかせるだけです。

ではまた近いうちに。

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シューをかかえて走ったけれど、到着までに雲に覆われてしまった