CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

6年越しの花

3月、買って数年が経ったパールアカシアに初めて花が咲いた。

何の植物だったかも忘れたころに


4月には、ユーカリの固い蕾が割れはじめた。

卵からヒナが孵るような......


ムーミンに出てくるスティンキーみたいな花。

華のない花


古い写真を見てみたら、2016年の夏に買ったらしい。

2016年7月のユーカリとシューさん


ひっそりとベランダの片隅で、6年越しの花を見せてくれたユーカリ......。

2018年だったかのベランダ改修工事の受難で他のユーカリがみな枯れてしまったなか、貧相な姿になりながらもなんとか生き残り、ついに花を咲かせたと思うと泣けてくる。

この花の存在に気づいている人は、たぶんほとんどいないだろう。スポットライトを浴びるような輝かしい咲き方でないところは、修行の花に近いかもしれない。

朝顔のようにひと朝だけの花をつけるもの、毎年決まった時期に花を咲かせるもの、命あるものはすべて、それぞれの花の咲かせ方や咲かせる時期がある。そんなことを思った。

長いこと練習を続けている練習生に、ある日あるとき、ふとその成長ぶりを垣間見ることがある。

たとえば6年にわたってアシュタンガを練習している人が、ある時期は練習も休みがちで風前の灯となりながら、またコロナという状況のなかで仲間たちが一挙に練習から遠ざかるなかで、なおも静かにそこに存在し、他には目立たないけれど自分の花を咲かせている。

このユーカリにそんな姿が重なるのだ。

人に見せるための花ではなく、自分の成長のプロセスとしてのひとつの変化、あるいは実りともいうべき修行の花。そこに尊い美しさを見る。