CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

もっと困ろう2023

このブログの右カラム(スマホだといちばん下)に表示される注目記事の欄に、もう長いこと「もっと困ろう」がランクインされています。アップしてから1年にもなる記事で、直接的にアシュタンガやインド思想に役立つものでもなく、検索されるような内容でもないのに、見てくださる人がいるのです。それをうれしく思っていました。

chazen.hatenablog.com


東京を離れたのは、まさに「もっと困ろう」と思ったからです。すでに困ることは山のようにあるのですが、先日、このとき感じたものに近い「困った」出来事がありました。

その日は朝から何かが少し狂っていました。
地元のお寺で坐禅会の日だったのですが、坐禅の開始が6時なのに、なぜかそれを家を出発する時間と勘違いしていたのです。6時に家を出て、ちょうど朝日が差していた甲斐駒ヶ岳にうっとりし、車を停めて写真を撮ったあと、早めに出たから余裕だなと思ったその瞬間に時間を間違えたことに気づきました。当然、大遅刻です。

月まで出ていたら撮りたくもなる


せっかく里に下りたので、坐禅会のあとでスーパーに買い出しに行きましたが、まだ9時の開店前でした。一応Googleで確認すると「まもなく開店」とあったので、近くを少しドライブしていたら、なぜかとんでもない方向に走っていて、キツネにつままれたような気になりました。仕方なく役立たずのナビを作動させてスーパーに戻ると、まだ閉まっています。なんと冬期は10時開店とのこと。

ならばと、近くにモーニングをやっている気になっていたお店があったので行き、駐車場に車を停めたあとで、何も食べたくないことに気づきました。そりゃそうです。さっきお寺でお粥をいただいてきたのですから。

なんという日でしょう。なにもかもが少しずつ掛け違っています。仕方ないので、また車を走らせて少し離れた別のスーパーへ行き、そこでは用が足らないので再び最初のスーパーに戻りました。そのほかあと2箇所に立ち寄って用を足そうとしましたが、いずれもカラ振りでした。

やれやれ、なんて日なんだと家に着いて、車を庭先に停めるためにバックしていたら、今度はなんと大きな石に乗り上げてスタックしてしまいました。ありえない失敗です。普通なら石に乗った時点で異常だと気づくはずですが、なぜかそのまま石を乗り越えてしまったのです。

さて、どうするか。毛布など使ってなんとか脱出できないかと思いましたが、車の腹が一部石に触っているので、ヘタに動かすのはやめ、ヘルプを頼むことにしました。上のKさんに近くの自動車屋さんを教えてもらいに行ったら、すぐその場で電話してくださいました。状況を説明すると、四駆に入れれば脱出できるはずだと。ではトライしてみますと電話を切って準備していると、Kさんがやってきて一緒にリスク回避の準備を手伝ってくれました。

おそるおそるやってみると少し車が動いたのですが、後ろで見ていたKさんからストップがかかりました。燃料タンクに触りそうだと。ボロ車なので多少の傷は気にしませんが、ガソリンがこぼれるのはヤバすぎるので、プロに出動願いました。

そうこうしているうちにKさんの奥さんも来て、現場を見て「あーあ」と。「こんなことする人いませんよね?」と言ったら「いない」と即答されてみんなで大笑い。「やらかした」こともシェアする人がいると笑い話になります。この事件はきっとKさんちの酒のアテにもなることでしょう。

すっかりKさん夫妻を巻き込んで、テラスでお茶を飲みながら整備工場の方が来るのを待ちました。おかしな話ですが、そのとき「困ってよかった」と思ったのです。ご近所さんはみな首都圏から来た方たちなので、ふだんは干渉することがありません。私もできるだけ何でも自力で解決するタチなので、かかわり合いができたことがうれしかったのでした。

30分ほどで車屋さんが来て、「たぶん行ける」と何の道具も使わずにサクッと脱出成功。どきどきしましたが、あっけなく困ったことは解決しました。こんなことはザラにあるそうで(私だけじゃなかった)経験上わかるんですね。プロはすごい。しかも、請求は?と言うと、いいですよと。ほんとうに地元の人がいい人ばかりで驚きます。

オンボロ車はメンテナンスが大事なので、ちょうど点検整備をお願いする自動車工場を探そうと思っていたところです。お仕事の依頼でお礼させていただくことにしました。これもまたご縁です。こういう恩義があれば、整備代も気持ちよく、ありがたくお支払いできます。以前はJAFの会員で、こんなときはJAFを呼んでいたのですが、再入会せずよかったです。会員だったら困れませんでしたから。

そんなわけで「もっと困ろう」が現実になっています。一部ですが「お金で解決しない」生活を実現できています。もちろん、どうしたって多少のお金はないと生きていけませんが、幸いにもサンガのみなさまから受講料をいただいて細々と生きています。それをありがたいお布施と思って、そのお布施に恥じない生き方をしたいと思うばかりです。

シューを失ってから、何のためにここに来たのか、何のために困難な道を選んだのかと、前向きだった気持ちが一瞬で萎えてしまいました。萎えた気持ちになんとか折り合いをつけながら、ただ目の前にあることをやっつけるように暮らしていますが、今回のことで「そうだ。困りたかったんだ」と再確認してすっきりしました。同時に今自分がなすべきことまで見えるようになり、またひとつシューちゃくを手放すことができたように思います。

実を言うと、シューちゃくは手放したくないのです。でも、どんなに愛おしいシューでも、執着は執着。他の大事なことを見えなくさせてしまうのですね。シューはきっと、こんな私を空から見て笑っているでしょう。

ちょうど昨日、シューの遺骨を海洋散骨したというお知らせが動画のリンクとともに届きました。シューちゃんは、私がスキューバダイビングで愛した海の一部にもなったのです。空にも海にもどこにでも、シューはいるのです。

今日も朝から小鳥たちが美しい囀りを聞かせては、「かわいいのはシューちゃんだけじゃないよ」と教えてくれます。生きとし生けるものすべてを慈しみながら、謙虚に生きたいと思います。

youtu.be