アシュタンガを続けられる人と離れていく人は何が違うのだろうか。
ふとそんなことを思ったりするが、それはアーサナの能力やあきっぽいなど性格の問題ではないような気がする。
アーサナがすいすいできちゃうとか、何やってもぜんぜんうまくできないとか、まったく関連性がないし、何やっても続かなかったという人がアシュタンガだけは続けていたり、そこに法則性はない。
あるいは、すごくまじめに休まず来てる人が、何かのキッカケでやめてしまうこともあれば、月に1〜2回しか来なくて風前の灯の人が、あるとき突然やる気になって毎日来るようになったり。それはもう誰にもわからないのだ。
アシュタンガとのご縁としかいいようがない。
ヨガを教えてくれる場所はいくらでもあるし、体や心を鍛える方法はヨガに限らずたくさんある。
その中で、アシュタンガに何かを見い出した人は、もはやこれなしでは日常が成り立たなくなるのだろうね。いわばライフライン。それで、なんとか時間を作って朝練を続けているのではないかな。
マイソールがなくても困らない人は、休日や夕方に行けるヨガスタジオのクラスで気楽にヨガを楽しむほうがおすすめ。
ヨガは歯を食いしばって根性で続けるようなものじゃないからね。
楽しい・気持ちいい・やらないと気持ち悪いとなれば、おのずと続けられるのだと思う。
ただし、そこにアーサナ達成の期待をしてしまうと、軌道から外れていって、それがうまくいかなくなった時点で続ける意味を見い出せなくなる。
逆にやりたくてたまらないのに、子どもが小さくてどうやっても時間がとれないとか、近くにマイソールスタジオがないなど条件が整わない人も多いけど、そういう人は今は無理でも、ご縁があればきっと実現するのだと思う。
家からけっこうな距離があって、始業時刻も早めで、小さな子どももいて......という条件のなか、なんとかほんの少しの時間をつくって練習を続けている人がいる。それでも続けていきたいと思うほどの何かすごい力がアシュタンガにはあるのだろうね。
アシュタンガと赤い糸で結ばれてしまったというか、そういう運命なんだろうなあ。
出会えるという幸せ。めったにない条件がそろって、たまたまこうして同じ時を共有するというご縁。
すべては奇跡的な偶然だと思うと、何やらひどく感謝の気持ちが沸き起こってくる。
「有り難い」から「ありがたい」。
ただ毎日デクノボーのようにマイソールクラスをやるだけよ。