CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

殿様待遇の理事長

めっきり涼しくなって虚弱体質の「別人」だった身体が、いつもの身体に戻ってきた。例年だと10月ごろまでひきずっているのだけど、今年はしっかり夏に養生したのと秋の訪れが早かったせいか、9月頭でもう戻った。

鈍りきった別人の身体を少しずつ動かし始めたところ、ひどい筋肉痛が2日続いて、そうとうヤバい状態であることが発覚。昨年まではまだ田んぼや山の分校で肉体労働をしてたけれど、今年はひたすら机の前で座っているばかりだから、すっかり筋肉が萎えてしまった。もしもヨガを知らずにこの年になっていたら......。想像すると寒気がする。

片や当学園の理事長殿は、そこそこ快適な夏をお過ごしになられたようで、今のところ大きな問題がない。てんかん発作は6月にケーキを食べてコーフンしたとき以来もう2ヵ月以上出ていない。以前西洋医学の薬を間引いたら発作が出たので、その後はちゃんと飲ませていたけれど、このひと月ほどは1日2回を1日に1回にして半量に減らしている。漢方薬のほうも半量で様子を見ていたが、大丈夫そうなので今は飲んでいない。ただ、これから寒くなってくると、また具合悪くなったり発作が出てくると思うので、とりあえずの中断ということで。

今朝は久しぶりに筑土八幡神社まで行った(先月蚊にボコボコにやられたんで避けていた。タンクトップで行くなって)。裏口の傾斜のキツい坂があって、さすがに近頃はそこだけシュー殿様を抱っこしていたのだけど、きょうは完走なさったの。なんだかパラリンピックっぽいなと思って、がんばれっがんばれっ♪って声援を送ったら、ほんとによくがんばった。

マントラ効果で金メダルだっ!

背中がひどく盛り上がっていた昨年よりもだいぶ体格がしっかりしてきたアラ卒。

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アラ卒なりに下半身が痩せ衰えてるけどね


お年寄りだから感覚器官や運動器官が衰えて思うようにならない。それで、よくイラッとしている。そのイラッというのが「肝」に障り、それが熱になって頭に上るためにけいれん発作が起こるというのが中医学的な解釈と思う。これまでの観察で発作の前兆は身体が熱を帯びていることだったので、ズバリだね。

だから、できるだけお殿様がイラッとしないように気をつけている。たとえば、理事長の存在を忘れてみんなで話したりしていると絶対イラッとしているから、気づいた人が声かけてあげたりとか......。

何かに挟まって身動きとれず、ラダックのロバみたいにうつむいていたと思ったら、そのうちイラッとして「ワンっ!」というのが定番さね。

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しばらく固まっている


chayoga.exblog.jp


夏の暑さでもイラッとしていたことが、扇風機を置いといたらおとなしかったことで判明したり......。

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あー、いいかぜじゃ


それで、練習生が家臣や腰元のようにうちわで仰いだりして、殿様のご機嫌をとっている。

当面の目標は12月に元気で卒寿のお祝いをすること。皆の者どうぞよろシューお願い申します。

呼吸こそヨガ

人が生涯にする呼吸数は決まっているという話を聞いたことありますか?

つまり、浅く速い呼吸をしている人は短命で、深く長い呼吸をするほど長生きするということ。古代インド人が言ってそうなことですが(ソースは不明)、呼吸の重要性は何千年も前から知られていたのだと思います。

8月に受けた解剖学講座で特に印象深かったのが呼吸の話でした。
呼吸のはたらきは、空気中から酸素を体の組織に取り入れて二酸化炭素を排出するというものですが、そのガス交換に関与しない死腔量が1回あたり150mlあるそうです。たとえば300mlの空気を吸った場合、実に半分がロスになってしまうんですね。深い呼吸をすればするほにど効率よく酸素を取り入れられるということです。計算すると......

1回の換気量が250mlで1分間に32回呼吸(浅速)→ (250-150)*32=3,200ml
1回の換気量が500mlで1分間に16回呼吸(ふつう)→ (500-150)*16=5,600ml
1回の換気量が1000mlで1分間に8回呼吸(深遅)→ (1000-150)*8=6,800ml

1分あたりのガス交換量はどれも8,000mlで同じですが、プラーナになる量は半分以下。こう言われると冒頭の話もナットクです。

深い呼吸はまた自律神経を調えます。
自律神経は運動神経などと違って努力して動かすものではありません。基本自動制御なんですね。フードプロセッサーみたいにスイッチを押して消化機能を強モードにすることはできないのです。緊張して交感神経が優位になれば腸の動きは抑制され、リラックスして副交感神経が優位になれば、動きは活発になります。どちらも不可欠ですが、どちらかに偏ると体調に影響します。特に現代人は緊張が続くことで自律神経のバランスが崩れることが多いかと思います。

そんなとき、手っ取り早くリラックスモードになれるのが深い呼吸です。
しかし、その深い呼吸がうまくできなかったりします。アシュタンガヨガは身体を動かす以上に、この呼吸によって身体の隅々にプラーナを送り込んで身体組織を活性化しているのですが、理想的な呼吸で練習できている人は数えるほどかもしれません。

練習生が見えないところにいると、目で見ているときよりも音にフォーカスされるため、呼吸の状態がよくわかります。ポーズに意識がいってしまい呼吸がおろそかになっていたり、均等に呼吸できなかったり、力んでいたり、むしろ苦しそうに呼吸していたり......。もったいないことです。

そんなわけで9月の呼吸法ワークショップは、新しい呼吸法を習うことよりも、マイソール練習での呼吸を改善するためのワークを多く取り入れたいと考えています。身体が思うように動かなくても呼吸さえしっかりできれば、充分にヨガの恩恵を享受することができます。そんな基本の呼吸法、わかっているけどできないソレをもう一度確認して、日々の練習をより充実させてください。すべてのマイソール練習者におすすめいたします(10名限定ですが......)。

呼吸法実践のあと、漢方喫茶では呼吸と関連した養生、あるいは秋の養生についてお話しする予定です。ご参加お待ちしております。


8月の早朝、茶色くなってきた蓮の葉をチョキンと切ったところ、プクプクっと泡が出てきました。まるで金魚の水槽に入れる装置のように次から次へと空気が出てくるのです。何時間もずっと。

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この子たちも息をして生きているのね


なんだか悪いことをしてしまったような、それでいて親近感がわくような......。

琴浦町の梨と漢方喫茶

今年も〜 琴浦町から〜 梨が届いたじょ〜♪
ほんとうは〜 こっそり〜 楽しみにしてた梨〜♪
おいしぃ〜 じゅうしぃ〜 鳥取のなしぃ〜♪
ありがとう〜 ありがとう〜 なっちゃんありがとう〜♪
みんなで〜 たっぷり〜 いただっきま〜す〜♪
(どんな歌だよ)

禅の旅に参加してくださった以外、滅多に会えない方なのに、いまだにご縁がつながっていることがうれしく、また有難いです。

そして、今年もこの写真が撮れるとは思っていませんでした。ほんとに......。

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嗅覚だけはまだ機能している


理事長がお達者なので、琴浦町を訪ねるのはもう少し先になりましたけどね。


そのほかにも高級ぶどうとか、おみやげのお菓子がたくさんだった本日はまた、陰ヨガ+漢方喫茶の日でもありました。

夏の疲れをとるのがテーマの陰ヨガでは、テレワーク中に有効なちょっとしたポーズを紹介したり、リストラティヴのポーズを入れながら、2時間近くゆったりと。

みんなと同じ体勢の理事長。

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ひんやりマットの上でよくお休みになられていました


陰ヨガ終わって漢方喫茶のとき、最近ずっと体調がすぐれなかった某嬢が陰ヨガですっきりしたと話してくれました。ポーズをとっている間に、腸が動き始めて活性化されるのを感じたそうです。聞いてみるとやはり、仕事のストレスで「気」が滞っていたようです。血行やリンパなど体液と同様に、気もめぐりが悪くなると体に不快な症状があらわれます。体のどこかが張る感じがあるときは気のめぐりが悪くなっているときです。陰ヨガでじわじわっと経絡を刺激して気のめぐりを促すと、詰まっていたもの、つかえていたものがとれて文字通りスッキリする感じが得られるのです。

ストレスはまさに「気詰まり」の状態です。
これを放っておくと臓器にも影響が及んでやがて病気になるわけです。とはいえ、ストレスがまったくない人などいないと思いますので、日々のケアで詰まりを解消しておくことが大切です。

ただし、仕事のストレスを食べることで発散させるのは考えものです(時に有効なこともありますが)。ため息をつきたくなるような気分のときは、食べたり飲んだりするよりも、そして誰かに愚痴をこぼすよりも、ちょっとぜいたくな入浴剤を使って半身浴をするほうがはるかに結果が良好になります。デジタル機器も遠ざけて、寝る前にはチルアウトな音楽でも聴きながら陰ヨガやリストラティヴヨガのポーズでストレッチ&リラックスがおすすめです。

気軽に出かけて気分転換もできない昨今の状況では、ぜひイマジネーションを駆使して、アロマの香りなど小道具の力を借りてリラックスしてください。眠くなったらそのままベッドへ直行。翌朝はスッキリ目覚めて朝練へ行き、汗が引くころにはお腹ペコペコで気がめぐりはじめているでしょう。

朝は陽の時間帯なのでアシュタンガでシャッキリ目覚めさせて、陰の時間である夕方は活動を収束させて休むようにすると、陰陽のバランスも整い心身が調います。CHAZENでもそのヒントになるよう定期的にリラックス系クラスを企画していきたいと考えています。陰陽についても今後詳しくお話しする機会があるかと思います。

次回の漢方喫茶は呼吸法ワークショップとの組み合わせです。次の記事で改めて詳細をお知らせいたします。

シンクロニシティ

先日の日曜日、星覚さんのオンライン坐禅会でのこと。
星覚さん以外はみなミュートにしている状態で坐禅をしている最中に、カタカタカタカタ......と小刻みに鳴る音が聞こえてきた。とっさに地震だと思って構えたものの、まったく揺れを感じない。揺れてはいないが、音は続いている。音はしているけど、どこで何が音を立てているかはわからない。地震でもなさそうなので坐禅に戻った。

坐禅会が終わったあと、NHKのニュースサイトを見ていたら「福島・宮城で震度4」とある。やっぱり地震だったかと納得。東京は震度1くらいだったのだろうと各地の震度を見てみたら、東京エリアでは震度1すら検知していない。あの音はなんだったのだろう。

坐禅会には仙台で参加していた人がいて、あとでメールしたら坐禅中にけっこうな揺れがあったそうだ。その仙台の揺れがオンラインを通じて伝わったのじゃないか。ばかげた考えかもしれないけれど、そう思った。もちろん、坐禅中はミュートだし、カメラもオフだから、ニュースを見るまで地震のことは知らなかった。だけど、異空間で坐禅していても「時」は共有しており、そこからごく微細な振動が伝わってきたのではないかと解釈した。

ま、またいつものエセ超能力ばなしなのだけど、昨日読んでいた本に「シンクロニシティ」という言葉が出てきたとき、あ、それだ、共時性だったのだと気づいた。

『いのち問答』というその本は、「僧医」である対本宗訓と精神科医香山リカとの対談本である。

「僧医」というのは字の通りお坊さんの医者ということ。もとは臨済宗のかなり偉いお坊さんだったそうで、四十半ばにして思うところあり、その地位を辞して医学部に入学して医者になられたというユニークな経歴に興味が湧いたのだった。

以下引用はすべて『いのち問答』角川書店より

対本:......シンクロニシティは、意識している人にはけっこう頻繁に起こるものと言われています。われわれ宗教者は本来、シンクロニシティに敏感な存在と言えるかもしれません。科学的なものを超えたところに深く根を張っていますから、普通の人以上にいろいろな現象と遭遇する可能性を持っています。
患者さんと向き合うとき、私はいつも”すべてのものには意味とつながりがある”という見方をしています。医学的なロジックでは説明できない、その患者さんに固有の背景に目を向けながら患者さんに接するのです。


これを読んで、西洋医に対して感じる「隔たり」というかよくわからないモヤモヤしたものの正体がわかった気がした。

ヨガだの仏教だの、インド思想やその実践法の世界は「医学的なロジックでは説明できない」世界なのだ。そういう世界に棲んでいるとエビデンスがないことも信じられるようになる。それは科学的な根拠がすべての人にはなかなか信じられないことなのかもしれない。宗教者ではないけれど「科学的なものを超えたところに深く根を張っている」人間として、この科学と非科学の間を取り持つ人物の存在に何か希望のようなものを感じた。「僧医」とは天上界と地上界を媒介する巫女のような存在かもしれない。

こういう「僧医」が病院ごとに存在していて、病気を治すだけではなく、ときには死をも受け入れられるような心のケアを含めた医療を担ってくれたらすばらしいだろうと想像する。緩和ケアではすでに取り入れられているけれど、通常の医療にも宗教的な心の問題をカバーすることが求められているような気がする。

医療は科学以上の問題だ。
少なくとも私はそう思っている。どれほど優れた科学や技術を持っていても、この世の問題は永久に解決しない。この21世紀のテクノロジーをもってしても全世界がコロナウイルスに翻弄されてしまうのだし、これが収束してもまた同じような脅威は現れるだろう。

お釈迦さまはとっくの昔にその解決法を見つけているのに、今もなお人は苦しみ続けている。それは、人間が「我」と「欲」から離れられないからなのだろうね。

西洋医学の限界はエビデンスでしか動けないことにあるのではないか。そんなことをふと思った。そして科学で証明できないことへの関与は医者としての信頼を揺るがすので、無意識に排除するシステムが作動するのかもしれない。それが西洋医学なのだから仕方のないことなのだが、そこに柔軟性を加えたら現状の医療の問題が少しは解決するように思える。

ともあれ、お坊さんは死んだ後ではなく、死ぬ前に世話になっておくべき存在だ。

医学生時代の解剖実習で、怖くて実習室に入れなかった女子学生へアドバイスしたという言葉が印象的だった。

ちらっとしか見ないから怖い。ぐっと見据えて目を離さなければ死体といえどもそれほど怖くない。直視して目をそらさなければ、なにも怖くない。

嫌だけど避けられないものに対しては、逃げ腰にならず、むしろ進んでそこに向き合うことで克服できることが多い。お試しあれ。

その他にも、日ごろ私が感じている死生観や臨終のあり方、捉え方が言語化されていて、そのまま拝借して遺言にしたいくらい。お釈迦さまの説いた仏教がもっとちゃんと、もっと多くの人に伝わったらと願わずにはいられない。

たとえば、香山リカが「親が死んだ時の悲しさを想像しては憂鬱になる、やや病的な状態が10年以上続いているが、自身が精神科医でも治療できない」と嘆いているくだりがある。私からすれば、それは精神科医が治療するよりも、仏教を学んで(理解して)実践したほうが確実に治る病なんだよね。

シンクロニシティからずいぶん飛躍してしまったけれど、不安や恐れから解放されたい方はぜひ仏教を学んでください。どこから始めたらいいか、何をしたらいいかわからない方はまずCHAZENへどうぞ。

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坐禅会のあった日の満月

秋に想う

お盆のあとから空が秋に変わり、今朝は1本から8つの朝顔が咲いた。朝顔の季語が夏ではないと知って意外に思ったけれど、暦の上では今はもう秋。季節は人間の思惑などおかまいなしに移ろっていく。

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デコレーション的な


毎日ひっきりなしに救急車が行き交っている。隣が消防署で、病院の多いエリアでもある。今医療現場はどんなことになっているのだろう。感染した人たちの、溺れているようだという呼吸の苦しさは想像するだけで十分におそろしいし、スタッフは気力だけでなんとかもっている状態だろう。

シャッターの閉まったままの飲食店の張り紙に、休まざるを得ない人たちの心中はいかなるものかと思いを致す。マスクのために呼吸も妨げられている子どもたちもかわいそうなら、行動を制限されて鬱憤のたまった子どもの親たちも気の毒だ。

オリンピック選手でなくとも、みんなみんな精一杯がんばって生きているんだよなあ。みんなみんなが金メダルだよなあ。

午後ウェブサイトの更新作業をしていてふと外に目をやると、朝顔がしおれてひしゃげて散々な姿になっていた。

朝顔やサイレンの音鳴り止まず 茶味子


ところで、今週からマット拭きスプレーにユーカリシトリオドラを配合しているのだけど、某嬢がその匂いを「山椒」に似ていると言う。ユーカリシトリオドラというのは、ユーカリなんだけどぜんぜんユーカリと違う香りで、柑橘の香りが強い。シトロネラに近い匂いだと思うので山椒というイメージがわかない。

ほんで「山椒ってえのはよ」とベランダから山椒の葉っぱ(分校の忘れ形見)をちぎって、数名に嗅がせてみる。

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黄色い鉢が山椒(わかりにくいけど)


それでも、マット拭きぞうきんにシュッとして、やっぱり山椒の匂いだと言う。うなぎの上にかかっている山椒の匂いだと言う。

そんな話をしていたら、無性にうなぎが食べたくなってきた。最近体調が復活してきてお腹ペコポコだったから。そういえば、以前ギーターだったかスートラ入門だったかの会の打ち上げに、浅草の鰻屋さんに行こうと話していた(けど実現してない)ことを思い出した。

この十数年ほどは4年に一度鰻の会をしているのだけど、来年が鰻イヤーだ。来年の目標をそこに設定しよう。飲めない鰻の会は残念すぎるので、そのときまでに禁酒令がなくなっていることを願う。

今は写真だけ見てお腹いっぱいにしておこう。

chayoga.exblog.jp


最後は食い気に走るのもまた秋なり。

問答無用

万国共通でマイソールクラスに浮上するのがマットの臭い問題。

どんなにきれいなお姉さんだってずっとお風呂に入らなければ臭くなるのと同様、きれいなお姉さんのヨガマットだって使えば汚れるし、ずっと洗わなければ臭くなる。

CHAZENでは毎年、気温の上昇とともにマット洗い警報を出しているのだけれど、今年は出さなかった。うっすらと匂いを感知はしていたものの何も言わなかった。できたら、自主的に持って帰ってほしかったのね。昨年みんなにマット洗い用のマジックソープ渡して、定期的なお手入れを促してもいるから。

chazen.hatenablog.com


が、気づけばあっちの棚もこっちの棚もクサくなってる。

誰だってマット持ち帰って洗うのは面倒だし、あわよくばそのまま使い続けたいさね。自主性に任せておくと、意識の高い数人ほどしか持ち帰らないということがわかった。

なので、日曜がムーンデイで連休になる今日のタイミングで持ち帰って洗うようにお触れを出した。いつもは「仕事やら何やらの都合があるわけだから、それぞれの都合のいいときに洗ってきてね」というスタンスだったけど、今度のは「明日持って帰りやがれ!」てきなニュアンスを含むちょっと強めのアラート。

そうしたら、今朝はみんなマットバッグ持参でやってきた。「ヤべっ」っていう心の声が聞こえたw。

たまにはこういうのもいいな。
やろうと思ってたんだけど......ってことよくあるじゃない?
なのに、人から言われるまで放っておいてしまう。

そのうちやろうかな......
先週やろうと思ってたんだよね......
来週やろうかな、でも来週はアレがこうだから......

有無を言わさずっていうのは、そういう迷いがなくていい。
民主的であることは同時に迷いも生まれるので、ときにグダグダ、ダラダラという結果にもなるが、明日!と言われたら迷えないから、気持ち的にスカッとするし、洗うという行為だったら結果は爽快で清々しいハズだ。

これぞ、問答無用の永平寺的な清々しさ。
私物を持たない修行僧は限定された持ち物を「所有」ではなく「護持」する。「護持」というのは大事に護りながら持つということ。ヨガマットは毎朝の練習に欠かせない存在だから、大事に「護持」したい。

そういえば、アシュタンガヨガロンドンでは、全員マットを持ち帰る日が決められていた。置きっぱなしで練習に来なくなる人対策なのかもしれないけれど、それ採用しようかな。


ちゃんと持ち帰ってるかチェックする理事長。

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よしよし


理事長は昨日丸洗い済み。
マット以上に犬が臭かったらシャレにならん。

楽しいなら間違いない

お盆休みの大雨降りとなった本日のスートラクラス。
参加者も少なめだから、いつもと違うことを試みてみた。ふだんは私がまず講義形式でスートラの解釈をして、最後に感想などを言ってもらうやり方をしているが、きょうはまず参加者自身が説明する立場になって考え、自分が理解していることと、わからないことを明確にしてもらうことから。

その後、新しい人から順に本日の経文についての理解と疑問を投げて、(私が答えるのではなく)先輩方にコメントしてもらうという形でキャッチボール的なやりとりを行った。いつも私が説明していることを受け身的に聞いて納得するよりも、自分で考えて何かを話すことで見えてくるものがあるのではないかと思ったからだ。

キャッチボール、想像以上にうまくいった。
新人さんたちの発言は先輩方のコメントを引き出すのに十分な内容だったし、先輩方の理解もなかなかのもので、しかもなんらかの気づきを伴ってもいた。テストをしているわけではないので、正しいことを言っているかどうかでなく、そのエクササイズを通して何を思い何に気づくかだからね。

それにしても、改めて思ったのは、何かの資格がとれるわけでも、業務上役に立つわけでもない、つまり一銭の得にもならないことによくみんな真剣に取り組んでいるなあと。ある意味達成する目標のないことを続けているという無目的性が感じられてうれしかった。「無目的」って言ったらシャバの感覚ではディスってるのかと思われそうだけど、褒め言葉ですよ。

もっと褒め言葉らしく肯定的な言葉で言えば「誰からも邪な欲を感じない」ってことかな。だからキャッチボールがいいカンジにできるのだと思う。キャッチボールは、速球投げて「どうだ受けてみろ」ってものじゃないでしょ? 相手のことを思いやりながら投げたり受けたりするわけじゃない? そういう雰囲気がCHAZENらしくていいなと思ったのよ。

あと、新しい人たちが「難しいけど楽しい♡」と言っていたことが印象的で、楽しいと思えるのは感覚的にスートラを理解しているということ。言語的に頭で理解できなくても、直感ではわかっているってことだから。「楽しい」って邪道だと思っている人もいるかもしれないけど、実はこれが正しい道。アシュタンガの朝練だって続けられるのは「楽しい」からだよね。

私はいつも毎日やれ、サボるなってけしかけているけれど、それは本当にやりたい人に対してだけ。練習が楽しくないという人には「無理して来なくてもいいよ」と言っている。それでけっこうな数の人が本当に来なくなったしさ。そうやって淘汰されているから楽しい人ばかりが残っている。

アシュタンガの練習は歯を食いしばってやるようなものではない。楽しくない人にとっては、本当の意味で何の役にもたたない、時間の無駄遣いでしかないのよ。もちろん、長く続けていると何らかの事情で楽しくないときもあるけれど、その先にある楽しさがわかっているならそこは乗り越えられるはず。

スートラも然り。
楽しくなければ無理して参加しなくていい。

......とは言いながら、11月から新しく第1章から学ぶクラスを始めることにしたので、今までに途中で挫折した経験のある方、新たにヨーガ・スートラについての学びを始めたい方は、ぜひこの機会をお見逃しなく。

現行のクラスは9月と10月のあと2回で一旦終了し、第4章は不定期開講で続行していくつもりです。詳細は近くまた改めてご案内します。


きょうのおやつはS子の手作りバナナケーキ。

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しっとりふわふわでウマウマ