CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

2019-01-01から1年間の記事一覧

10連休は7稼働のCHAZEN

例年休日の時間帯と平日の時間帯が混じるゴールデンウィークのスケジュールですが、今年は曜日にかかわらず、期間中はぜんぶ7:00〜10:00のマイソールとなっております。よろしくお願いします。 本日の初めてCHAZENにいらした方が、「連休でもみなさんちゃん…

宣伝するべきか

マイソールが終わって片付けをしていたら電話が鳴った。表示された番号に誰だろうと思いながら出てみたところ、見知らぬ方からのmandukaマットに関する質問であった。頭の中では?マークが乱打されたけれど、ブログにアシュタンガ向けマットのことなどを書い…

10連休にマイソールデビューはいかが?

多くの人にとってはお正月休みより長いゴールデンウィークが間近に迫ってきましたね。CHAZENでは4月28日〜5月6日まで毎日7:00〜10:00でマイソールクラスを行います。また、3日はレッドクラスと陰ヨガがあります。5日はムーンデイでお休みです。お出かけ前に…

ヨーガ・スートラ新学期スタート

3年目にしてようやく肝心カナメのパートに入ったヨーガ・スートラクラス。 持ち上がりのメンバーと新しく加わったメンバーと合流して、それでもそう多くなりすぎない人数でスタートしました。新入生と2年目以上の人たちの間に想定されるギャップがまったくな…

私とは何か

すっかり書きそびれていたが、先月「本のフェス」のイベントのひとつとして漱石山房記念館で開催された講演を聴きに行った。茂木健一郎さんが漱石について語るという講演だ。リアル茂木さんを見たのはたぶん初めて。何も期待を裏切らないそのまんまの人で、…

CHAZENの座布団?

先日たまさか「CHAZEN 座禅 瞑想 用 座布団」なる商品を見つけた。Chazenは西洋人のファミリーネームなので「田中屋」みたいな会社名なのかもしれない。禅にかけてそういう名前にしたのかもしれない。しかし、分厚い坐蒲は日本人にとって逆に坐りにくいもの…

部活、始まりました

昨年初挑戦したお米作り。今年は本気を出して3倍の面積でCHAZENの課外活動すなわち部活として取り組むことにしました。名付けてコメコメ倶楽部。昨日はその今年初の作業日でした。着いてまず寄るのが「ふれあいパーク八日市場」という農産物直売所。 ここで…

ムーンデイのケガ

もはや日常レベルでは腕の痛みはまったくなくなり、アーサナ練習もひとつ、またひとつとできるポーズが増えてきているが、今朝練でちょっと色気を出してお尻を持ち上げてジャンプスルーを試みたところ、右腕に痛みが走った。足を低い位置で水平的に移動させ…

ちらっとお花見

平成という名前にさほど馴染みもないまま、あとひと月でサヨナラだ。令和はどんな時代になるのだろう。この4月から新しい職を得たり、転職したり、異動になったりするCHAZEN生が多い。何人かはそれでCHAZENを離れたし、練習する時間帯が変わる人も少なくない…

ひさびさにニンプ登場

もう何年ぶり?ってくらい久しぶりにCHAZENにニンプさんがやってきた。かつてのCHAZENはニンプさん率が高くて、終盤に残っている練習生4人のうち3人がニンプさんだったこともある。いやいや、CHAZENのもっと前、自分のヨガクラスを始めたとたん生徒が次々と…

あるとき突然......

某嬢が今朝、バックベンドからのカムアップに成功した。 執着しているようには見えなかったけれど、長い道のりには心中穏やかでない時もあっただろう。寒くて暗い冬のあと桜の花が咲いたような気分が味わえたのではないかと思う。ポーズなんてどうでもいいと…

二つあったら迷いになる

民主主義の現代日本においては、好きなように自分の生き方が決められる。職業も、結婚も離婚も、子どもを持つか持たないかも、自由意志で選ぶことができる。もしその選択の自由がなかったとしたら、私などはもう暴れまくって抵抗したに違いないと思うのだが…

チャンティングは覚え歌

飛び飛びで開講となった「入門ヨーガ・スートラ」のクラスが昨日で終了しました。最後まで参加された方は、やはりこのクラスでの学びが実生活に結びついて、ものの見方、考え方の変化に手応えを感じているのだなと感じました。中でもシャウチャ(清浄)、サ…

夢かうつつか

数カ月前不思議なことがあった。 休日の夕刻、消防署の先にあるひょうたん坂を上がったら、十字路の四隅がスマホを操る人々でいっぱいだった。げげ〜っ! なんじゃこりゃ〜!!!と口に出してしまいそうになるほど、異様な光景であった。ポケゴーかと想像は…

難関の2年を越えて、新しく始まるスートラクラス

昨日でヨーガ・スートラの第二章前半が終了。 いつものシェアタイムに今年の学びをそれぞれ発表してもらいました。中にはビミョーに「ん? それなんか違うぞ」と思う理解もありましたけれど、全体的に私の意図した「アシュタンガヨガを続けていくための指標…

人の話を聞くという布施行

先日の茶禅会での私の布施行は「話を聞く」というもの。これまでは何かを話すというお布施だったので、人の話を聞く側になる修行をしてみることにした。常にみなさんの話を聞きたいと思っているのだけど、あまり自分の話をされない人が多いのだよね。もし私…

ヨガは宗教か

「体を動かしたいだけならホットヨガのほうが安くていいぞ」 ちょっと前、一日一語の掲示板にそう書いておいた。これけっこう本気でそう思っている。というのも、フィットネス的なヨガをしたい人に、決して安くはない月謝をいただくのは申し訳ない気がするの…

8度目の3.11がめぐってきた

もう8年にもなるのか。 朝一の坐禅を早めに切り上げて、犠牲になった方たち、今も苦しんでいる方たちに思いを馳せて読経。誰かのために祈るときの定番となった「念彼観音力」の普門品偈などいくつかを読みながら、被災した人たちの味わった恐怖、寒さを思う…

出会うというカルマ

第6期「バガヴァッド・ギーターを読む」の初回クラスは、史上最小規模でスタートした。だいたい初回は大入りだけど、残る人はわずかというパターンなので、今期は堅実に進むのかもしれないな。今日はかつて公民館でやっていた”チャミソール”時代の方が参加し…

春と修羅の摂心

ふと、なんなら一人摂心ができそうな気がしてきたので、ムーンデイを利用しての一日集中摂心を決行。摂心といってもわりとユルいものから、泣きそうにキツいものまである。一人でやるということは、簡単に挫折も可能である。途中でゆっくり休憩なんかしたら…

どんとやれ

アシュタンガヨガで、太陽礼拝よりもまず先に教わるのが呼吸。この呼吸なくしてパッタビ・ジョイスのアシュタンガヨガはありえない。とはいえ、マスターするのに10年かかるとも言われるのがこの呼吸でもある。初心者はそもそも、喉の奥を閉じて吸ったり吐い…

飲食節あり

冷たい雨のせいか、マイソールは人数少なめ。茶禅会もひっそりと常連さんオンリーだったので、内容をちょいと濃いめにして、坐禅の後「普勧坐禅儀」をお唱えして都合1時間近く坐った。声を出すっていいものだ。これからはお経を唱えたりもしていこう。ここ最…

アシュタンガはプラクティス

能書きばっかり垂れている自分の愚かさに気づいて、パソコン、インターネットからなるべく離れ、代わりにお釈迦さま、道元禅師、澤木老師とできるだけお近づきになり、かつてない頻度で坐っているこのごろ。アーサナ練習は1日1回だけど、坐禅は1日何回坐って…

知識ではなく智慧

11月以来の入門講座ヨーガ・スートラクラス。 初参加の方が3名で、ビギナーズマインドてんこ盛り。それだけでも私のツボなのだけれど、そのコメントがもうストライクゾーンど真ん中で、ちゃみさん大喜びで破顔がとまらず。ちぎれるほどの尻尾フリフリしてた…

おへチャは、おへチャで、おへチャ仏

今月3回目の平日茶禅会、茶禅会としては今月4回でお寺さん並みの頻度です。お布施としたことで、心置きなく、じゃんじゃかやれます。金銭的な利益がなく、義務も義理もない布施行だと思うと、こんなにも明朗な気持ちでできるんですね。私自身の修行ですから…

毎日をすがすがしく、機嫌よく

数年前に太陽礼拝を教えたけれど、以後アシュタンガに興味を示さなかった人が、突然やる気を起こして毎日太陽礼拝をやるようになった。続けていたらカラダの調子がすこぶるよいそうで、 10代のころのエネルギーを感じる とのこと。ティーンエイジのころのエ…

ドナタモ オイデ クダサイ

坐禅が疎まれていると気づかされることが度々あるのだけれど、私にはそれがよくわからない。ヨガは好きなのに、なぜ坐禅が嫌いなのか私には理解できないのである。だって、とどのつまり、両者は同じなのだから。どれだけコワイもののように思われているのか。…

にんげんだもの

今期ギータークラスの生き残りは6名。初回が大入りだっただけにちんまりしているように感じられるが、第1期のことを思えば上出来でしょう。残った人たちのまとまりもよろしかったので、きのうクラスのあとに打ち上げ会@ル・ブルターニュ。シードルで乾杯。 …

手前味噌仕込み会

今年のは「テキトーでもない」仕込み会。 というのも、料理を教えたりもしているまるちゃん先生にお手伝いいただいてテキトーさを薄めたから。私のやることはもろもろテキトーのままながら、ちょっとしたところで大事なエッセンスが盛り込まれて、ちゃんと味…

クソの役にも立たん

本日の一日一語。 慣れた坐禅はクソの役にも立たん。いつでも真新しの坐禅をしなければならぬ。 昨日この言葉に行き当たったとき、背中を打擲された気がした。まるで不意打ちの警策のようにズシンと響いた(不意打ちの警策はありませんが)。自分の慢心を思…